Healing Discourse

1万回の「愛してる」を、君へ 2013.10.11(絶食 DAY18)

2013.10.11(断食 DAY18)
<朝>

 愛する美佳、

 誰もが皆、強迫観念に取りつかれているみたいに、「食べろ」「食べろ」としつこく私に迫る。
 昨日の未熟な女医は、伝家の宝刀である死を持ち出して「食べなければ死にますよ」と脅[おど]した。
 が、「死ぬことは一向に構わない」と平然として答えたら、それ以上何も言うことがなくなって、押し黙ってしまった。

 死んではいけない。死は悪いもの。1日でも食を抜けば命に関わる。
 ・・・そんな固定観念に、皆、がんじがらめに縛り上げられている。
 そうした思い込み、とらわれに気づき、解き放てば、もっと生命力にあふれ、元気に満たされ、楽になるのに。

 本日、絶食18日目。
 例によって苦痛、空腹感などはほとんどなし。

 レジスタンスだというのに、たった18日断食したくらいでやめてしまうのでは、あまりにも貧弱というものじゃなかろうか?
 これはレジスタンスなのだと、あまりにも強く食べることを勧める人に告げたら、「食べながらレジスタンスでも何でもやったらええやんか」だと。
 論理が完全に破綻[はたん]しているよね。だって食べないことを通して抵抗し、反逆しているんだから。
 感情論に訴えかけてみたり、かと思えば「お願いですから食べてください」と懇願[こんがん]したり、まぁあらかじめ予想されたことではあるが、現代人にとり、「絶食」というものは想像以上に強烈なインパクトを秘めているようだね。

 私は馬鹿じゃない。
 重湯やみそ汁、野菜ジュースなど、補助栄養を摂[と]るべき時には適宜摂り、断食期間をじわりじわりと延ばしてゆくつもりでいる。
 そのように周囲の者たちに言ってやるのだが、誰一人として耳を貸そうとしない。この連中は、皆、半ば機械と化してしまっている。
 誰もが目先のことにとらわれ、どうすれば私が死んだ時の責任を取らされずにすむかで、頭が一杯のようだ。
 責任を自[みずか]ら負おうとする者は、尊厳というオーラをまとうようになる。
 ・・・インドの賢者OSHOの言葉だが、責任回避に汲々[きゅうきゅう]とする者たちからは、尊厳のかけらも感じられない。

 とても穏やかな、何だか雲の上に超然と座して世界を観[み]おろしているような、そんな気分だ。
 涼しい、気持ち良い秋風が、窓からソヨソヨと吹き込んでくる。
 そのひんやりした感触が、たまらなく爽快だ。
 私には、それ以上求めるものが何もない。

 讃えるべきかな、龍宮の道。

我が愛しの美佳、しなやかな愛を、君へ。

一行

 

付記1:
 君が最初によこした弁護士――あの、1回だけ私と接見した後、臆病風に吹かれて逃げ出してしまった人——が、当時断食数日目であったにも関わらず、「こんなに強い信念を持っている人と会ったのは初めてです」なんて言っていたが、ということは、現代日本人は皆、信念を持たず、死を闇雲に恐れ、フラフラ幽霊みたいに彷徨[さまよ]う人生を送っているんだろうか?
 私にはとても信じられない生き方だ。
 死に対し、もっとリラックスし、死を楽しみ、祝うことを、私たちは覚えなければいけないね。
 インドネシアのバリ島など、死を祝う文化は現実に存在する。私たちは他文化からもっともっと学ぶべきだ。

 死が、ゆっくりゆっくり、それと気づかないほどの柔らかさ、静かさ、優美さをもって、近づいてきているのを感じる。
 美しい。
 はかり知れぬほどの美、深遠なる神秘。

 人生究極の理会と、大いなる歓び[エクスタシー]に包まれながら死を迎える「ヒーリング・デス」の道を、ヒーリング・ネットワーク時代には充分探究する余裕を持てなかった。
 今後の課題[テーマ]の1つだ。

美佳、音なき愛のオーケストラを、君へ。

一行

付記2:
 今し方、トイレのガラス窓(大きなものではないが、中の様子が外からわかるようになっている)に上半身を映してみたら、ほっそりした体に筋肉がくっきり浮き出ていて、まるで20代の頃のような体型となっていた。
 君にみせたら、また「惚れ直し」が起こるんだけどなあ。・・・まあ、これは冗談としておこうか。

 毎日、世界調和の祈りを捧げ続けているが、最近ではそっと合掌するだけで、指が超微細振動しているのを感じる。
 いわゆる霊子作用だ。
 生命[いのち]の振るえ。
 生と死の対極間で起こる振動。

振るえる愛を君に。美佳。

一行

付記3:
 昼から検察庁へ行き、昨日のどたばた騒ぎでお流れとなった検察官取り調べを受けてきた。が、取り立てて新しく話す内容は何もない。
 友人らに害が及ぶ可能性のある事柄については黙秘を貫くのみ。
 私に指示されてやった、ヒーリング・ネットワークによる組織ぐるみの犯罪である、などと供述しているらしいA君について、どう思うかと問われたが、「今でも友人であるとの思いに変わりはなく、彼の魂を私は信じています」「事情はどうあれ、私の元で学んでいる人たちの行動に対し、私は全面的に責任を負わんとするものであり、そのために命を失うことになっても本望です」と答えた。
 私の本心そのままだ。
 A君が、たとえ当人の考え、判断に基づく行為だったとしても、結果的に法を破り、逮捕され、刑を受けるに至った(現在、控訴中。詳細は不明)ことに対し、自らの監督不行き届きを責め、A君に対し謝罪する意味を込め、今こうして断食している。
 と同時に、A君を裁き、今、私をも裁こうとしている法律そのものが内包する矛盾に対し、猛烈に抗議すると共に、悪法を振りかざして1人でも多くの罪人[つみびと]を作り上げ、「点数稼ぎ」(?)にこれ努める検察の独善・非情の是非を世界に、人々に問いかける。
 それが、私の断食レジスタンスの理由[わけ]だ。

 私の断食は、反逆の狼煙[のろし]なのだ。

美佳、勁[つよ]き愛を、君へ。

一行

付記4:
 上記文章を書き上げて寝転がっていたら、留置施設の責任者らしき人が来て、檻ごしにあれこれ話し合った。あちらは私がまったく食べないので、いつ倒れるか気が気じゃないらしい。
「駄々っ子[だだっこ]みたいに、あなた方を困らせようとしてこんなことをしているんじゃない。今後の裁判のスケジュール等がハッキリしたら、それに合わせ、適当に栄養を補給してゆくつもりでいる。どうか私を信じてほしい」などと、真情を込め話した。
 伊達[だて]や酔狂[すいきょう]で食を断っているわけじゃないことだけはどうやらわかってもらえたようだ。
 これまでにも留置され、絶食で抵抗を試みた者がいたそうだが、皆、すぐ挫折してしまい、私のように延々続けた前例は皆無であるとのこと。

 何だか面白くなってきた。
 断食が、余人[よにん]に真似できぬ、私の「特技」の1つだったなんて、これまで考えたことすらなかった。
 それにしても妙な特技では、ある。
 それが、こんな思いがけないところで役立とうとは・・・。まさにびっくり仰天だ。

 面白いじゃないか、美佳。

1万回の「愛してる」を、君へ。

一行

付記5(夜):
 本日で留置&断食18日目だが、この間に『ボニン・ブルー』と『ドルフィン・スイムD』の草稿を書き、君へのラブレターも、いつの間にか「作品」の様相を呈し始めたが、すでに便箋5冊目へと突入した。
 けっして時間を無駄にしてない。着実に「作品」を生み出し続けている。
 執筆に限らず、何かを創作している限り、私が歓びに満たされていることを、君は知りすぎるほどよく知っている。
 私が創るんじゃない。
 私は創造性そのものだ。

 長きに渡り私の内なる創造性を閉ざしていた封印を、破る手助けをしてくれたのが、世界各地の古代文明で人々から敬われていた神聖なハーブや、類似の作用を持つ人工的に合成された(あるいは、何ものかの意志により合成へと導かれた)薬品だ。

 それらは、私が生来備えていた芸術的感性を目覚めさせたのみではない。
 競争原理社会の中でいつしか見失っていた、他者への思いやりや愛が、私の元へと戻ってきた!

 20歳[はたち]前頃の私が、どれほど冷淡で、他者の苦しみに無関心であったかを知れば、誰もがきっと驚くに違いない。
 当時、「受験戦争」なる言葉が平然と社会内で使われていたが、主旨を要約すれば、「他者を蹴落としてはい上がれ」ということだろう。
 中学から高校、そして大学へと、常に「戦争」の渦中に身を置き続けた結果、「自分さえ良ければそれでいい」と自然に思うようになり、それが正しいと信じ込んで疑わなかった。
 戦いに明け暮れ、互いを喰らい合う、まさに阿修羅[あしゅら]の世界だ。

 その後、いわゆるエリート・コースからはずれ、心身修養の道を志す過程で、閉ざされていた私のハートも徐々に開いていった。
 そして30代後半、初めて試みた神聖なハーブ体験の中で、ハートが一気に宇宙大まで解き放たれ、私は神の大愛と、万物が内包する生命力の美しさに目覚めたのだ。

 芸術的感性や愛が目覚めただけじゃない。
 聖なるハーブの実験を重ねるうち、まったく思いがけないことに、宗教的な神秘の次元が、・・・突如として、私の前に開かれた。
 それは、あらゆる宗教の根底にある、本質的な・・・いわば「宗教性」そのものだった。
 それらのハーブが、古代文明においてなぜ「神聖」とされたのか、私は自らの実体験を通じ、明瞭に理会した。

 まったくもって神秘的だ。
 自然界にある植物やキノコなどが、なぜ、人の意識を変え、深遠な宗教的神秘体験を引き起こすのか。
 その化学的・生理的メカニズムを解明し、まったく同じではないが、本質的に同等の神秘体験を引き起こすべく、人工的に合成されたものが、いわゆる向精神薬だ。
 不思議ではないか。肉体ではなく、精神、というよりは意識に働く薬とは・・・。
 外的な力を一切借りることなく、30代後半まで独力で努力・精進し続けた結果、荒行や瞑想法等を通じ私が到達し得た境地を、聖なるハーブの力は粉微塵[こなみじん]に打ち砕き、それまで想像すらしたことのなかった遥かな高みへと、私は軽々と引き上げられた。

 この作用、力は、確かに神聖だ。
 私はそれに大変お世話になったし、限りなき恩義を感じ続けている。
 私が断食し、必要なら一命を捧げてでも、聖なる世界への扉を一方的に、闇雲[やみくも]に抑圧、規制することの是非を訴えかけようとしているのは、ほかでもない、「御恩返し」のためだ。

 人間が神聖なるものに憧れ、自らの内面を通して<聖性>を探究しようとすることは、信教の自由と関わる重要な基本的人権の一つだ。
「信教」とは、すでにある既成の教えを信じ奉ずることのみを指すのではない。
 宗教(おおもとの教え)とは、特定の宗教組織のみが独占できるようなものじゃない。神聖さの探究と実践こそが宗教の本質だ。

 個人が<聖なるもの>を探し求めようとする営みを、法律違反と一方的に決め付け、犯罪者として裁こうとする、これは<宗教弾圧>にほかならない。
 暗黒中世の魔女裁判と、本質的にまったく同じことが、より洗練された形ではあれ、今、現在も、公然と、平然と行なわれているのだ。

 自らを罪人の立場に置き、実際に裁かれる中で、「これは宗教裁判である!」と声高に主張すること・・・それが私の目的だ。

 そして、私がいかに真剣であり、真摯[しんし]であるかを示すため、今、断食を断行している。

美佳、愛してる。全身全霊で。

一行