Healing Discourse

ボニン・ブルー 小笠原巡礼:2013 第9部 奉納帰神海中ヌード2

 本スライドショーを、巷間[こうかん]にあふれ返る品のないヌード写真類と同等にしか見ることができず、浅はかにも侮蔑[ぶべつ]、嘲笑[ちょうしょう]する人がいるとしたら、心の底より気の毒だと思う。その人は自分自身の内面にある神聖な輝きを自らおとしめている。

 これまで私たちは、形や動き(形の連続性)の内面に秘められた生命力、精霊、カミ・・・・を写し撮るべく奮闘・努力してきた。生命[いのち]の輝き、カミ、が、私たちのあらゆる写真作品を一貫して流れる根本テーマだ。
 それではスライドショーを。撮影場所は父島、宮之浜ビーチ。

 性が極度に歪んだ形で抑圧され、しばしば軽んじられている現代世界において、自分の妻のヌード写真を公開することの是非について、幾度も自分自身に問いかけた。妻自身はあっさりしたもので、公開に何の異存もないという。
 私は彼女を深く、こよなく愛しているし、海中ヌード・シリーズは妻の裸体や波、水、光などを媒体として超越的に(あるいは偶発的に)顕[あら]われる<カミ>の姿をとらえようと試みて得られた霊果なのだ。
 恥ずかしいとか、世間体とか、そんなちっぽけなバカげたことにこだわってなどいられない。
 それに、私は妻のヌード写真をとても美しいと感じる。美しいものを隠したり、自分1人だけで独占すべきじゃない。

 なお、最後に1つだけつけ加えておく。
 私が言う「美しい」は、一般的に使われる「きれい」とは根本的に違う。
「きれい」は、時代によって大きく移り変わる浮動性の相対的価値観を指す。
『源氏物語絵巻』に描かれているオタフクみたいな顔の女性たちを、当時は誰もが皆「きれい」と感じたのだろうが、現代人の感じ方はまったく違うはずだ。
 これに対し、「美(美しい)」とは、時代や場所の違いに影響されない、絶対的、本質的な価値を言う。
 真の芸術家は「きれいさ」ではなく「美」を追求する。
 これは、偉大な芸術家・岡本太郎の著作から学んだことだ。