Healing Discourse

グノーティ・セアウトン [第5回] インターミッション 2

 去る6月10日、希望者を対象としてヒーリング・アーツの初歩の手を実体験し、修得するための場を設けた。このような学びの場を、今は仮に相承会(そうしょうかい)と呼んでいる。「承」には、ささげる、うける、うけたまわる、うけつぐ、つたえる、といった意味がある。
 相承会参加者から早速感想・報告が届いたので、今回はその一部をご紹介する(すべて抜粋)。

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◎今回の相承会で、高木先生に触れ合っていただいた感覚をあらためてじっくりと思い出すと、本当に軽く、体表面の形のみにそっとタッチされていることがよくわかりました。わずかでも押し付けるような、余計な力は一切入っていませんでした。
 手のひら同士で触れ合って、レット・オフの作用を伝えていただくと、最初はゆっくり、少しずつ広がっていくのですが、ある時点で、大きな波となり、それが全身に伝わっていくと、まさに「たまふり」と呼びたくなるような、ダイナミックな感覚を覚えました。
 全身が、より意識的になっていくに従って、とても楽しく、気持ちよく、日常生活の中で背負ってきた重荷から解放されていくのを実感いたしました。特に、通常陥っている仮想身体のエネルギーレベルの低さ、味気なさが理解され、文字通り、仮想の人生を生きていることの一端を感じることとなりました。やはり、あらゆる箇所と徹底的に触れ合い、意識化を促進していくことが、充実した、楽しい、自由な人生を生きるためには必要であると思いました。裏を返せば、意識的に触れ合うことによって自分の可能性がひらかれるということでもあり、大いなる福音であると感じました。<T.K. 男性 東京都>

◎高木先生がHPのイントロダクションの中で触れられていましたが、煩悶・苦悩をおぼえた時に、頭部にヒーリング・タッチし、凝集、レット・オフを行なうことで、それまで渦巻いていた思い煩いはどこへやら、解消されてしまうのを実際に体験しました。そして、頭部から微細な振動が全身へと伝わり、穏やかさ、静謐さが心身を浸していきました。頭部に滞っていたものがほどかれ、体内を流れていくのを感じました。ちなみに、高木先生の頭骨の振動は半端ではなく、全員で先生の頭部に柔らかく触れ合うと、その振動がありありと全員に感じられるほどでした。先生曰く、「健康な人間というのは、だれでも頭部が微振動し、それが全身に及んでいる」とのことでした。ということは、いかに煩悶苦悩が人の生命力を減退させ、健康を奪う原因になっているのか、ということではないでしょうか。常日頃から、十分に気をつける必要があると思いました。
 また、ディスコースの中で、手首の仮想ということに関して触れられていました。自分でも文章をもとに独習し、仮想について体験してきたつもりでしたが、実際に先生に手合わせしていただくと、既成概念を崩されるようなショックを受けました。数人で、先生の手首を本気でつかみ動けないようにしたつもりでしたが、先生が「これが仮想の手」とおっしゃり、「今から本当の手にしていく」と言われると、つかんでいた全員が、支えを失ったように力を抜かれ床に倒れ伏してしまいました。その間、先生は外側に現れるような動きは一切行なってはおられず、純粋に手の中に意識が入るだけで、このような現象が生じたのです。また、その際に自分の手首に何が起こるかを、観察していました。すると、先生が意識を切り替える時に、自分の手首にもそれまで感じたことのない様な存在感をおぼえました。まさに「以身伝身」。このような形で、本物の手を体験させていただいたことに感謝しております。
 これから、全てをまっさらにして、0からやり直したいと思います。どうぞよろしくお願い致します。<S.M. 男性 宮崎県>

◎普段の生活の中では、我々は外側の世界に対して意識を向けて生活を送っているので、こうした身体の内側を感じるということはないのですが、このような働きを実体験しますと、身体の内側にも広大な世界が拡がっているように感じ、皮膚の外側と内側とに2つの世界があるように感じました。
 今まで人にこのようなことを感じる能力が備わっているとは思ってもみませんでした。いや、本当は備わっているはずなのに、それに気づくことができないでいたといった方がよいかもしれません。それは自分の体について、外側から感じるということが普通のことだと思っているためではないかと思いました。先生と触れ合わさせていただいて、なにか新しい世界の存在について教えていただいているように感じました。そして、こうした貴重な体験をさせていただけていることをありがたく感じ、それとともに触れ合うということが人間が生きていく上において、たいへん大切な行為のように感じました。<S.H. 男性 大分県>

◎先生の御指導のもと、身体のいろんなところを、凝集、レット・オフしていくと、どんどん身体が緩みはじめ、気持ちよい開放感とともに驚くほど体が柔らかくなっていきました。
 先生のいわれる仮想身体は、本当にそういうものがあり、それが自分を硬く鈍感なものにし、縛りつけている事は本当でした。この感動と気づきを、多くの方に知ってもらいたいと切に思いました。
 また、ヒーリング・タッチも体験させていただきましたが、その優しい繊細なタッチに驚いてしまいました。まさに粒子感覚というべきものでした。左脚をほんの10秒ほどヒーリング・タッチして頂きましたが、脚の内側に今まで感じた事のないような波が流れるのを感じ、立って歩いてみると右脚とはくらべものにならないほど軽く、おもわず笑ってしまいました。
 頭や、ほかの部位にもヒーリング・タッチを受けましたが、圧巻だったのは、身体の深いところから粒子の波というか言葉に出来ないエネルギーの波のようなものが、ふわーーっと押し寄せてきて身体中に広がっていったことです。その波に身体が貫かれどんどん楽になっていきました。その波は、時に激しくもありましたが、心身が洗われるような、とても心地よいものでした。
 癒しとか、ヒーリングとかの言葉がよく叫ばれるようになって久しいですが、ヒーリングとは、こんなにもダイナミックで、生命力あふれるものだったんだと、また今回の体験でこれこそがヒーリングなんだと思いました。多くの方がこの体験をし、仮想身体に気づき、人生を生き生きとしたものにしてほしいと思います。<Y.T. 男性 沖縄県>

◎先生と掌を柔らかく触れ合わさせていただきました・・次の瞬間、わたしは床にひれふしてしまいました。関節技がかかったからでも、苦痛が生じたからでもありません。からだの中に生じたゆるみ広がる作用によって、やさしく、あたたかく、心地よく、崩れ落ちてしまったのです。それは、先生と一体となったような、まるで抱かれているような感覚でありました。
 先生の腕を、力を込めて掴ませていただきました・・またしても次の瞬間、床に転がっておりました。スーツとおだやかな流れが感じられたと思うと、予期せぬところが動き出し、体勢を保つことはできません。掴んでいるという感覚そのものが消え去ってしまうという不思議な体験です。時には、自分の固く凝っているところに流れ込み、(喜びの)悲鳴をあげながら、のたうち回るときもあります。このように強烈なかたちで感じるときがありますが、終始、先生はやわらかく触れ合ってくださっているだけなのです。
 何度も体感させていただくと、それは微細に振動する粒子(の波)であるということがわかってきました。わたし自身、きらびやかな光として感じることもありました。ある時、先生は「最初の段階ですぐに倒れてはダメだ。いったん満ちるのを静かに待つよう心がけなさい」とご教示くださったので、以降、先生と触れ合わさせていただくときには、このことを意識するようにしました。すると、からだという容器が満たされ、その中で波紋が生じ、(動きとして)溢れ出すのが感じられるようになりました。粒子感覚が明確になり、心身のより深い部分にまで共鳴が起こります。ピリピリ、ジンジンとした躍動感ある粒子感覚、からだの中を縦横無尽に駆け巡る流れ、この状態、この行為こそ「たまふり」なのだということが理解できました。ディスコースでは、ヒーリング・エクスプロージョンという表現をされておられましたが、内からふくらみ、広がっていく感覚は、まさに「静かで透明な爆発」そのものでありました。
 実際に体験して、ディスコースに書かれてあることは、何らの誇張もなく、ありのままを丁寧に表現されていらっしゃるのだということがよくわかりました。今回、先生から作用を受けさせていただく度に、わたしは自分の心身の固さや器の小ささを痛感いたしました。つまらない物ごとにこだわったり、ちっぽけなことを気にする日々は、「たまふり」の状態から見たら、なんと不活性なものでありましょう。ただ、大いなる可能性は、「たまふり」を行なうための構成要素は、わたしたち一人ひとりの中に平等に備わっているということです。
 わたしの心を躍らせるのは、自らが開いていくことができれば、みんながヒーリングの受発信源になれるという素晴らしい事実です。
 このような機会を与えていただけたことに感謝いたします。ありがとうございました。<M.I. 男性 大阪府>

◎相承会では、ディスコースを読み解きながら自分で練修していた粒子感覚が、如何に浅いものであるか痛感しました。これまでは、それで充分細やかなものと思い込んで内心得意になっていました。
 高木先生が触れ合ってくださったとき、感じた粒子は、非常に繊細で、自分の感覚では感じられる限界を超えているような細やかさに思えました。滑らかな流体のような、気体のような、そして、粒子と思っていたものより、さらに微細で柔らかな感じでした。そして、生き生きとして、燃え上がるような輝きに、圧倒されました。
 レット・オフしてくださると、こちらの思い込みや存在感を、大きな流れに丸ごとさらわれ、こうと決め付けていたものが、全てひっくり返って溶けてしまったように感じました。それに対して、普段の状態は、「ああすべき」、「こうしてはいけない」、「アア失敗した」など、これまでの思い込みで、体も固く締め付けられているようでした。そこから解放された状態は、とても自由で、安らぎに充ちたものでした。ヒーリング・アーツの奥深さを、あらためて感じました。相承会で出会ったことは、あまりに深く、貴く、とても言葉にしきれないのを感じます。<S.T. 男性 愛知県>

◎先生から作用を伝えられる時、静かで透明な感覚がどこまでも爆発して広がっていくのが感じられました。その感覚は自分で「感じよう」とするのをやめ、ただあるがままを受け取っていればいるほど、より鮮明になっていました。そうしていると、自分が実際に起こっているいやしの感覚ではなく、これまでの日常の延長線上での感覚として想像上のいやしの感覚を求めてずっと遠回りをしていたのだと気付かされました。
 レット・オフのオフ感覚についても、実際にオフが起きるのを待たずに「オフが起こったら(外形が)こんな感じになる」という仮想の感覚を反映させようとしていました。本物のレット・オフが起きると、本当に自分では何もしていない感覚で、自分の中に自然な作用が響き渡り、相手に伝わり、結果として外形が変化しているのを味わいました。
 レット・オフは今までできたからできる、同じようにする、そういった慣れや惰性はなく、毎回その時その時で「起きる」という新鮮な感覚がありました。<K.M. 男性 山口県>

◎高木先生との触れ合いを通じて、実際にヒーリング・タッチや仮想身体を体験すると、ディスコースに書かれてあることが紛れもない真実であることが、身体を通してはっきりと理解できました。
 強烈に印象に残っているのは、手首の仮想についての学びでした。先生がヒーリング・タッチで私の手首に触れてくださると、まるでスパークしたような衝撃が全身に走り、手首が突如その姿を現わし、しかも手首の中の空間がありありと感じられてきました。これはどのように表現すればよいのか、言葉の選択に迷ってしまいますが、輝き、濃密さ、存在感といえるでしょうか。
 手首の仮想が正されると同時に、心身の統一がはっきりと自覚できました。また、先生の手首をグッと掴み、先生が仮想の手首から真実の(心身統一された)手首にされると、その瞬間にこちらが崩されてしまいました。いったいなぜこのような現象が起きるのかわかりませんが、一人ではなく何人で掴んでも同じことが起こりました。仮想の身体で、仮想の人生を生きている・・・どうやらこれは紛れもない事実であることが、理解できてきました。しかしこれまで仮想の人生を生きてきた、となると、空恐ろしくさえ感じます。
 また先生のヒーリング・タッチの柔らかさ、繊細さには驚きました。本当にごくわずかに触れ合っているだけ、といった感じなのですが、レット・オフされたときの深さ、広がりは想像を絶するものでした。レット・オフによって、身体の細胞のひとつひとつがいやしの作用を受けて、目覚めていくようです。レット・オフの広がりを存分にこの身に受けると、まるで新しい自分に生まれ変わったかのごとく感じられ、意識はクリアーになり、心身ともに清々しく、活き活きとしてきました。「これが自分なのか?」と思えるほど軽く、なおかつ満たされていました。
 高木先生が「初歩」といわれる術(わざ)を今回伝授してくださいましたが、「これが初歩? 極意ではないの?」というのが正直な感想です。私は、さらなる奥深い世界をぜひとも見てみたい、体験してみたいという思いが沸々と湧きあがってきています。またこの素晴らしい(衝撃的でもあります)ヒーリング・アーツを、ひとりでも多くの方が体験されることを願っています。<M.K. 男性 岡山県>

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 相承会の模様を撮影したビデオ映像の一部を、動画でご紹介する。現時点では粒子の粗い(1秒あたりのフレーム数が少ない)映像を、ごく短時間お目にかけるのが精一杯だが、近い将来インターネット環境がより向上すれば、文章とムービーとが補い合うような形でディスコースを提供することが可能となるかもしれない。

 力を身体の内面に向かって抜くコツを覚えたなら、それを応用して他者の力をも自らの身体内で処理することができるようになる。相手は強くつかんだと思った次の瞬間、全身が内側から柔らかく溶けていくように崩れ落ちてしまう。

 解剖学的に正しい角度で相手の手首を軽く折り曲げ、その「折り曲げること」をレット・オフする。最も重要なのは、「いかに手首を曲げるか」ではなく「曲げるという行為をいかにしてやめるか」だ。
 正しく行なえば、身体内を活発に駆け巡る生き生きとした生命力の流れが生じ、相手は体の奥から先に緩みほどけていく。これがヒーリング・アーツ流のストレッチ法であり、「ヒーリング・ストレッチ」として体系化が進められている。

<2007.06.16>