Healing Discourse

ヒーリング・アーティスト列伝 第1章 通身是手眼 〜井上仲子(筋骨矯正術)〜 第1回 純国産の整体術

  探求の旅路の果てに叡知の源流へとたどり着き、いやしの生の創造者となった人々は、古今東西の時空に綺羅星の如く散らばっている。
 ヒーリング・アーティストとは、術(わざ)を究め尽くして藝(わざ)へと昇華していった、人生の達人たちだ。
 彼女/彼らの1人1人が実にユニークであり、その表現方法も価値観も生き方も、それぞれまったく異なっている。
 しかし、その生がヒーリング芸術そのものであるという点において、全員にハッキリした共通性がある。
 私がこれから物語ろうとしているのは、これら類い稀なるヒーリング・アーティストたちのストーリーだ。時間と空間を超えて達人たちと出会うヒーリング・トリップへと、私はあなた方をご招待する。
 ヒーリング・アーツと深い道縁で結ばれた人々を主として取り上げ、ヒーリング・アーツの何たるかについて、これまでとはまったく異なる角度から明らかにしていこうと思っている。
 達人たちの様々な術(わざ)も、具体的に取り上げていく。一種の武者修行、他流試合の意気をもって、それらの術と時空を超えて触れ合い、ヒーリング・エクスプロージョン(いやしの芸術的爆発)を引き起こせるか否か、我が全心身をかけて試みるつもりだ。

 シリーズ第1回で取り上げるヒーリング・アーティストは、井上仲子(いのうえなかこ:1849~1930)。但馬の人。
 1人の師も持たず、独力でオリジナルのヒーリング・メソッドを編み出した。そして、幾多の人命を助け、人々を病苦から救った。
 いやしの生を真っ直ぐ鮮烈に生きた、ヒーリング・アーティスト。
 本章では、この井上仲子の行跡を辿りつつ、その術(わざ)の実体にヒーリング・アーツの観点から迫っていく。

 井上仲子が、身体の歪みと健康の関係に着目し、様々な実地工夫を経て「筋骨矯正術」を創始したのは、明治11年(1878年)のことだ。
 ちょうど同じ頃、海の向うのアメリカでも、骨格のアンバランスを是正することで健康回復を図ろうとする整体術が、相次いで産声を上げていた。A・T・スティルのオステオパシー(1847年)、D・D・パーマーのカイロプラクティック(1895年)などである。
 これら西洋科学に基づくアメリカ式の整体術と違い、井上仲子の術(わざ)は、「ハラ(肚)」をベースとする東洋的色彩を帯びたものであった。骨格自体を直接操作することはほとんどせず、もっぱら腹部を揉むだけで、医師が匙を投げた重症患者を次々に完治させていったという。
 学校教育を受けなかった仲子は、生理学や解剖学についてまったくの無知だった。が、往々学者たち(主に大学教授)をして兜を脱がしめ、医学博士や軍医総監らが来たって、自らの病気治療を請うこともあったそうだ。

 頭山満(玄洋社総帥、民間国家主義運動の草分け的存在)、富岡鉄斎(文人画家、儒学者)を始め、奥村五百子(愛国婦人会創立者)、細川潤次郎(枢密顧問官、男爵)、鈴木喜三郎(法学博士)、北垣國道(貴族院議員、男爵)、阿武素行(陸軍少将)、木下廣次(京都帝国大学総長)、関屋敏子(声楽家、世界的プリマドンナ)など、当時の錚々たる人物たちが、仲子の手により病苦から救済され、その入神の妙術と至誠の人格とを褒め称えている。

 丹田修養法の大家・肥田春充(ひだはるみち)も、自らの著作中で井上仲子について触れ、「諸病の原因を脊梁骨の歪みに帰し、それを治すのに腹を揉む。敬服すべき着眼である」と、高く評価している。
 その肥田春充が、「到達高所からいうと、達磨以降の第一人者なりと信ずる」(『宇宙倫理の書・第5巻』)と激賞した橋本峨山禅師(京都嵯峨天龍寺管長)もまた、仲子によって病から救われた1人だ。峨山は疾病快癒の感謝のしるしとして、以下の書を仲子に授けている。

通身是手眼[つうしんこれしゅがん]
 但州婆子、善按筋摩骨術、名聞遠近、其言曰、病只因筋骨不整、筋骨整病則無、整其筋骨、先於腹部、余奇其言之不捨本而奔末、受治旬餘忽見効験矣請題数字書以為贈
 明治戊戌仲夏日  雲居庵峨山

 <大意>
 但馬の婆子(ばし:おばば)、筋を按じ、骨を摩するの術を善(よ)くす。名、遠近に聞こゆ。その言葉に曰く、病はただ筋骨の整わざるによる、筋骨整えば、病即ち無し。その筋骨を整う、まず腹部においてすと。余、その言葉の本(もと)を捨てて末に走らざることを奇とし、治を受くること旬余、たちまち効験を見る。数字を題せんことを請われ、書してもって贈となす。

 この他にも、起死回生の歓びと感謝の言葉として、仲子を「再生の恩人」と言い、あるいは「神人」と崇めて、感謝し称賛する人はどれだけあったかわからないほどだという。しかし仲子は常に、「わしが病気を治したのではない。身体の歪みを直してあげたら、病気は自然に治ったのじゃ」と、謙虚に語っていたそうだ。

 仲子の、次のような言葉が残っている。
「私の治療はただ身体の歪みを直す、すなわち真っ直ぐにするだけで、病のことは少しも知りませぬが、身体さえ真っ直ぐにするなれば、大概の病は自然に治るのでございます」
「私はお医者と違いますから病気は治せません。ただ身体の歪みを直してお腹を整えるだけです。そうすると病気が勝手に治ってしまうのです。お医者は手が悪いといえば手、足が悪いといえば足ばかり見ておられるから、全体の歪みがわからないのです」
「私はこの病人、あの病人ということはございませぬ。どんなお方でも腹を根本にして、手や足はすべて枝葉であると考えておりますから、第一に腹について筋の狂いを整え、腹の力を待って順次手足の治療をいたしますので、つまり枝葉を茂らすには、まず根元に手を入れるという仕方でございます」
 ヒーリング・アーツもまた、腹を非常に重視する。ただし、単体の腹ではなく、腰を中心として脊椎全体と連動するダイアフラムとしてのハラだ。

 金子博愛著『世に問う』では、「女史の治療を受けると種々な難病が全快するのみでなく、普通の医術で全快した場合に比較して、体質の変化する程度が一層顕著であって、病後という有り様でないほどに普通の人々よりも一層健康になり、普通の人々の羨望する如き体格になることもある」と紹介されている。仲子の術が尋常一様なものではなかったことが、この一事からも伺える。

井上仲子(65歳頃)。

 実は、井上仲子に関する情報はあまり残っていない。彼女の術の伝承者も、私が知る限りでは、残念ながら現存しないようだ。
 しかし、ちょっとした手がかりからでも、仲子がいかなる術を使いこなしていたか、推察することができる。
 例えば、その術を実際に体験したある人は、「指頭の妙たとえるべきものなく、その一圧を腹部に加えらるる時、頭の芯まで一時に爽やかになる心地したり」と述べている。
 単にオン(すること)だけを使って、いかに巧みに腹を押さえてみても、こういう感覚は決して起こらない。かえって、頭がグッと圧迫されるような不快感を感じるだけだろう。
 しかし、腹を押して頭に不快感が造り出せるなら、それを反転させれば、爽快感に変えることもできる。・・・これがヒーリング・アーツ流のアプローチ法だ。
 そういう神経的反転を引き起こすための具体的手法を、ヒーリング・アーツではレット・オフと呼んでいる。これを応用すれば、指先でちょっと腹を押すだけで、頭の中にまで爽快感を通じさせることが、実際に可能となる。

 また別の人は、次のように書いている。「仲子刀自(とじ:中年以上の女性に対する尊称)の治療を受けていると、親の懐の中に抱かれているような心地がする。神の庇護の下にあるような気がする。そして非常に安楽な境涯にいる。それだけでも病気が治りそうに思われた」
 我田引水や牽強付会は戒めねばならないが、私たちが現在真剣に探求し、頻繁に味わいつつあるヒーリング感覚に、本当にそっくりだ。腰と腹を中心とする全身的レット・オフの波にたゆたっている時、こうした<絶対>への帰一感がしばしば発生する。それは、宗教的な安心立命の境地にまで通じていくものかもしれない。

 私は、井上仲子というヒーリング・アーティストに強烈に惹きつけられる。私が知らない何を、彼女は知っていたのだろう? 私が知らぬいかなる術(わざ)の、彼女は使い手だったのか?

 もう一度、仲子の写真を「観て」いただきたい。
 力強い手、包容力のある手だ。
 強い信念を貫き、自らの人生を切り拓いていった人の手だ。
 こういう手は、果たしていかなる生き方を通じて形成されるものなのか? 次回より、井上仲子の生涯(の大まかな流れ)を、皆さんと共に辿っていくことにしよう。

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 今夜、妻の美佳と共に、原爆ドームへ小巡礼に行ってきた。わが家から、タクシーで20〜30分ほどの至近距離だ。

 毎年8月6日、あたりが暮れなずむ頃、ドーム隣を流れる元安川(もとやすがわ)に、鎮魂と平和祈念の灯籠が流される。
 この祈りのセレモニーに加わろうと、日本全国は元より、世界中からたくさんの人々が、原爆ドームの元に集う。

 いくつもの灯籠が次々と放たれ、川面が幻想的な明かりに揺らめき始める頃、川沿いの遊歩道は人の洪水で氾濫する。人、人、人の波に揉まれるようにしながらゆっくり進んでいくと、人種も国籍も、年齢性別も異なる様々な顔、顔、顔とすれ違う。各国のいろんな言葉が飛び交っている。トゥドゥンを頭に巻いたマレーシア人女性たちの姿も見かけた。
 
 灯籠流し(精霊流し)とは、逝きし者たちへのあらゆる執着——良きにつけ悪しきにつけ——から解き放たれるための、ある種のヒーリング儀礼(セレモニー)だったのかもしれない。
 人々は、死者と関わる種々の想いを蝋燭の炎に託し、海の彼方へと送り出す。その一連の儀式を演じることを通じ、執着(いつまでも持ち運ぶこと)の重荷がいつの間にか希薄となり、記憶への囚われがずっと少なくなる。そして、身も心もより軽やかに、より健やかになっていることに、ふと気づく。

灯籠流し。原爆ドームの傍らを流れる元安川にて。

<2009.08.06 原爆祈念の日>