Healing Discourse

ヒーリング随感3 第23回 秘伝開示

◎私がヒーリング・ディスコースで展開してきた、している、これらもろもろの事柄は、もちろんゴールではなくスタート地点に過ぎない。より正確にいうなら、スタート地点の準備、あるいは整備といったところか。
 だから、こんな低劣なことをやっておってどうするなどと、不粋な言葉を投げかけめさるな。

◎見ることにおける1点集中主義を転[まろ]ばし、視覚の新たな次元を啓く観の目のコツを、自らの人生全体へと及ぼすとどうなるか? 
 それにより、クリシュナムルティのいわゆる「生の全体性」を、超越的視野にリアルに収め・体感することが可能となる。いわゆる、永遠の今、だ。
 彼が伝えようとした、トータル・ヒーリングが、即、実体験できる。
「自分」の形そのものが、宇宙的な変容を遂げ始めるだろう。
 私が帰神フォトで示しているような、流動性をベースとする3D波紋の連続性を、あなたを中心とする宇宙大にまで拡大してみたまえ。
 実際のところ、私たちの身体は、地球の、太陽系の、銀河系の、軌道に乗って、猛烈なスピードにて大宇宙の真空中を大移動中なのだ。
 その、瞬間瞬間の形を、マルチストロボ写真的に、ただし、超細密・精細に、誕生から死まで重ね連ねて、3次元を越えた観点より超時空的に一望の元に納める・・・と、宇宙スケールの物凄い超流動生命体の姿が、内観できるだろう。

◎あるいは、普段私たちが「自分(我)」と思っている、感じている、信じている、その個の感覚/存在感を、全身的に強調し、そして中心を保ちつつ、球状の全方向へと、均一同等に、意識を放つ(レット・オフ)。

◎・・・・ちょっと難しかったろうか? 
 自らの時空感覚そのものに超時空解体をかける。実にシンプルなことだ。
 が、非常に難しい。
 自分は世界から切り離されている、孤独である、という感じそのものを強調して、全面的レット・オフ態勢に、静中求動で入る。
 それだけのことなのだが、なかなかできない。
 あらかじめ全身的なバランス感覚を洗練し、鍛練する必要も、あるだろう。「その」現象が起こる時には、強大なエネルギーが全身の神経系を直撃するから、余裕を持ってそれを扱えるよう、全身の神経の配分を調律しておく必要があるのだ。
 そのための訓練が、龍宮拳だ。

◎ところで話は変わるが、仮想身体とは実は生命力のガス漏れ現象にほかならない事実に、皆さんはすでにお気づきだろうか?
 命があちこち漏れている。
 嘘と思うなら、自由にあれこれ動きながら、目を閉じて、外側の空間へと流れ・動いていく感覚を、全身的に感じていきつつ、「これは、自分の生命が漏れ出ているのだ」と認知換えしてみるといい。
 何かが、実際に自分の中から「抜けて」いっているのがわかるだろう。
 中身がどんどん弱くなり、頼りなくなり、細くなるのが、わかるはずだ。
 粒子状に力を使いなさい(動きを止めずに柔らかく凝集してレット・オフ)。
 その粒子状の腕を、ゆっくり柔らかく外側へ振っていくと、粒子状をしたものが、身体から外へ出ていく感覚が生じるだろう。その分、中身が薄くなるのがわかるはずだ。つまり、弱くなっている。

◎そうした絶望的身体状況を、転[まろ]ばし、心身を自ずから統合して、水の原理に基づく渦旋波紋にて常に動けるよう、武術的プラグマティズム(本当に実戦でも使えるのか否か)の元で訓練するのが、龍宮拳だ。
 龍宮拳の基礎原理は、神経系を繊細化・精練化してより高性能にチューニングすることにある。

◎以下は、プライベートBBSに最近私が投稿した一文であり、元来メンバーのために記したものだが、一般の方々にとっても重要と思われる内容が含まれているため、ここに転載して公開するものである。
 取らば取り 嗤わば嗤え たまゆらの たまの響きに カムダカラやひそめり

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 龍宮拳

 第一箇条
 臍をもちて、すべてのわざを統べ合わすべし。

 解題
 いろんな術を修する際、その術自体にある程度慣れてきたら、必ず臍への(指先での)ヒーリング・タッチをクロスオーバーしていく。
 つまり、それらの術を執り行なっている際、自らの臍はどこにあるか、臍それ自体で感じていく。
 すると、腰が正しく入ってきて、体全体すみずみまで、力の配分、かかり方、つながり、などが、劇的に組み変わっていく。それが起こらないようなら、おそらく原因はヒーリング・タッチが効いてないことにある。

 ヒーリング・タッチの凄みがまだわかってない者が、まだまだ多いことに驚かされる。 
 ヒーリング・タッチとは、人の人生を換えるような芸術の感動を、触覚を通じ、ダイレクトに自分・他者と響かせ合う術だ。すなわち皮膚感覚に直接訴えかけるまったく新しい芸術、触覚のアートなのだ。
 こういう芸術の様態は、おそらくいまだかつて存在したことがなかったのではないか?

 だから、臍も触覚で感じなければ意味がない。
 ヒーリング・タッチの要訣は3つある。
1.「ゆっくり柔らかく、粒子的に」(力と意識を使う)
2.「皮膚面に直角に触れ合う」(鏡に映し合うように。御鑑[みかがみ]のわざ)
3.「形(空間)を感じる」

 実例で示そう。
 自分の籠手(前腕)と、もう一方の掌とで、ヒーリング・タッチ。
 タッチする手の掌芯(手の中央の大きな浅いくぼみ)をまず籠手の適当なところに置き、その円周全体から外側へと均一に放射的に力が拡がるようにすることで、籠手をふわりと覆い、柔らかい被膜のように、かぶさって重なって密着していく。
 その状態で、カーブした曲面の向こうにあるもの、指先など、を、選んでそこ(ある程度広いエリアで良い)が直角に触れ合っているかどうか、しっかり確認。
「直角」が鍵だ。
 超越への、鍵だ。しっかり心得るべし。
 だが、一つの直角だけでは足りない。
 秘密は、2つの相異なる直角の感覚を、同時に意識することにある。
 だから、タッチ面のこちら側にあるところ、例えば掌底部があたっている部分の適当なエリアに、今度はもっぱら注意を集中し、充て方を直角に規定した際の、位置感覚(そこ、そのものの意識)と方向感覚とをしっかり感じておく。
 各々を交互によく錬っておき、それからおもむろに両者を同時に感じようとする。この際は、掌芯以外の掌全体が籠手に密着している。
 掌芯は、余談だが、土踏まず同様、直接タッチと関わらない。そこは、自らは触れ合わずして、触れ合いのバランスそのものをコントロールするところだ。

 あらゆる先入観を一端脇に置いて真剣に取り組んでみれば、あちらとこちらのそれぞれの直角感覚を同時に、均等に、相照的に意識するというのは、何かとてつもないこと、そして新しい・体験なのだと、直ちにおわかりいただけるだろう。
 両者の間で生命のスパークが起こる。
 何ものかが、内的に産み出される。
 ぶくぶく濃密に沸き立つあわのように、生命の質感がヒーリング・タッチの裡に吹き溢れてきて、内面が充実していく。それが、籠手内空間の形(器性[うつわせい])を成していく。
 これがマナだ。
 いのち、だ。

 上記がしっかりわかった上での、臍へのヒーリング・タッチでなければならない。
 私が言う臍は、指先を少し深めに臍に差し込んだ際に触知できる、やや硬く分厚いスリット(腹直筋間の裂け目)のことだ。上(立位時)は剣状突起、下は恥骨を結ぶ白線を、ちょうど真ん中で貫く。
 立位にて、スリットまでしっかりまっすぐ指先を差し込み、上腹側から行った指の臍に対する直角を感じることと、下腹側から上がってきて指の臍に対する直角を規定することとを、同時に、均等に、意識する(最初は片側ずつ)。
 これを<三角の原理(一名、3の原理)>といい、ヒーリング・タッチ極意の一つとなっている。筋骨矯正術の超絶の手わざに触発され、マナとして顕現した超宇宙的叡知だ。
 正三角形を、頂点から底辺の真ん中にまっすぐおろした点線が左右二等分しているヤントラ(神聖図形)にて、象徴・表記される。慣れれば、その形を想起するだけで、自動的に三角の理が起動するようになる。
 このやり方で、人間の体のどこでもいいから「すじ」をスッとおさえる・・・と、たちまち、ぐっと深く、「効いて」くる。
 ここでもやはり、2つの直角のクロスオーバーがポイントだ。
 こちらから観た直角と、あちらから感じた直角の、同時・均等・相照。

 すべてのマナを臍の元に統べれば、ただ臍とヒーリング・タッチしただけで、あるいは臍を想起するのみで、直ちにその時その場に必要なマナが、自然に起動するよう、自らをチューニングすることができる。
 もちろん、いかなるものとしての臍か、が問題だ。ただ何となくの臍じゃあ、ダメだ。
 腹の中心。
 ちなみに、その中心から上の腹(上腹)は上体側へ、下の腹は下体側に、それぞれ属す。越境してはいけない。
 が、誰もが、下腹を上腹の連続、延長のように仮想している。現代人は、特にそうではないか?
 臍から下、もっと正確にいうなら、臍の下半分から下の腹は、下体(脚、足)側に属する。「脚」という認知を、つけ根のところで止めてないで、そこからもっと引き上げてきて、臍の真ん中半分ギリギリまで下から「満たす」よう、意識してみるといい。
 むろん、その際には、これまで下を占拠していた頭からの意識は、自ずから追いやられて臍上半分のボーダー以上まで撤退せざるを得ない。その撤退感は虚のレット・オフ感覚として、上体内全体へと広がり満ちていく。
 と同時に、下腹の中が、ぐっと球状に引き絞られるように充実してくるだろう。いつもこれじゃなきゃ、人間、いけない。

 この、下体側に属す下腹(及び腰の下)にて、煉丹の超越もちつきが、執り行なわれるのだ。
 上腹の延長としての下腹(を上から下へと感じること)ではなく、下体側に属す(そのような性質を生来備える)下腹(を下から上へと感じていく)。
 これもまた、秘伝といってよいマナ(教え)だ。
 
 これを使えば、肥田式簡易強健術・腹斜筋練修法の力の動きも解明できる。のみならず、強健術のすべての型へと応用可能だ(ということは、強健術の基礎原理の1つということになる)。
 皆、春充の説明を誤解し、上腹から下腹へ、そして下腹からもも(の裏側)、さらにはふくらはぎへ、足(踵)へと、力を押し出そうとして奮闘してきた。脚と腹とを、もものつけ根のところで別ける仮想に囚われてきた。
 実際には、もものところは「つけ根から膝へ」(膝や股関節、骨盤を痛める)ではなく、その正反対に、「膝からつけ根へ」意識しなければならない。そして下腹、腰を、臍下半分以下まで満たす。
 臍から下の腹を、完全にあちら(脚)の領域に属すものとしてあきらめ、臍より上(特に頭)があれこれ手出し、指図しようとするのを完全にやめてしまう。あちらはあちら。
 重要なのは、臍から上と臍から下を、同時・均等・相照的に、意識し続けることだ。上半分と下半分それぞれが。下半分を、もっぱら実として(その実の中にも虚実がある)。
 まず、簡易強健術の当該の型(あるいはそれ以外のどの型でも)の、極めの姿勢を執った状態で、方向性の認知換えをするといい。
 すると、ぎゅぎゅぎゅっと下腹の中身が引きしぼられて、強大な力が下腹内部にこもり、ピタッと思考が止まって、ピーンと目が冴えたように意識が明晰となる。腸間膜神経叢への圧力刺激が、迷走神経を通じて脳幹(生命の座)を覚醒させる、と平田内蔵吉は説明している。
 龍宮拳は、この意識状態に基づき術を運用する。

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◎南国のリゾートで楽しく遊びながら(ただしヒーリング・アーツ流の遊びは極めて真剣・トータル也)、サンゴ礁の美しい海で徹底的に禊祓[みそぎはら]い、もろもろのヒーリング・アーツ作品を奉[たてまつ]り納めた結果、まったく期せずして示現し始めたのが、龍宮拳だ。
 当然ながら、非常に変わっている。
 海のカミ[スピリット]たちが、入れ替わり立ち替わり、私の裡に顕われ、わざを授ける(が如き)体験が、最近しょっちゅう起こるようになった。
 魚やタコやカニの神というのは、かなりユニークで珍しいのではないか?

◎水の世紀として、後の世代に振り返られるようになるであろう21世紀は、人口爆発と無制限な水資源摂取(4大文明の1つを産み出した偉大な黄河の水は現在ほとんど涸れかかっており、アメリカ穀倉地帯をうるおすグレート・プレーンズの地下水は90%がすでに汲み上げられてしまったという)により、水の問題が地球レベルで噴出することになるだろう。
 食物よりも、まず水の絶対数が、足りなくなる。これは、飢餓よりもっと恐ろしい、悲惨な事態を生み出すであろうことは火をみるよりも明らかだ。
 水への人々の意識が、かつてなかったほど、高まることになるはずだ。水の知られざる未知の性質や運動についても、(再)発見が相次ぐだろう。
 外なる水への関心が高まると同時に、自らの内なる水(人体の約70%は水)への尽きせぬ興味も、地球規模のムーヴメントとして勃興してくるだろう。
 自らの裡なる水へと回帰する龍宮拳は、人類が水のスピリットをみいだし、水との新たな共生関係を結ぼうとする際、水と人類との仲立ちを務めることができる。
 龍宮、が、まもなく人々の心を結ぶ、水の楽園の象徴、キーワードとなるだろう。

◎しかし、ティティムル・スープとか龍宮拳とか仔猫とか、びっくりするような「いいもの」(福)が、今回の随感シリーズでは次々飛び出してきたものだ。
 レット・オフを応用した逆転呪術が成功すると、こうなる。
 マレーシアの試練では危なかったが、転んでもただでは起きないふてぶてしさを発揮し、災いを転じて、ついに福へと換えてしまった。
 自分でもちょっとびっくりするくらいだ。
 私はこれまでも何度か広言してきた通り、本ウェブサイトを呪術的電脳密林と化すべく、呪術的な意図と術をもって、次々とヒーリング・アーツ作品を発表し続けてきた。
 龍宮拳も、私にとってはヒーリング・アーツの一応用作品に過ぎない。

◎最近のマヤ。
 すでにご披露したクライミング・マヤのわざから、流れるようにクッションへと移り、禊マッサージ練修に入る。

◎本日のマヤ1(クリックすると拡大。以下同)。

『Wishing you a very merry Christmas!』

◎本日のマヤ2

『忍法木の葉隠れ』

<2011.12.23 乃東生(なつかれくさしょうず)>