続々々・観の目

※[]内はルビ。

 プライベートBBSの過去記録をさらに。
 私が何を伝えようとしているか、真剣に耳を傾け、一片の文章、1つの言葉からも理会(頭だけでなく、頭も含めた体丸ごとでわかり・できるようになること)の手がかりをつかもうと観の目を柔らかく光らせている方々にとり、それは有益かつ貴重な情報の宝庫であり、単なる一過性・表面的好奇心のみの人にとっては、ただ退屈なだけだろう。
 敬いの心をもって「学び」を熱心に求める、節度ある人々に対し、私はこうして語りかけている。
 BBSでのやりとりを注意深く読めば、観の目という観法(目の使い方)を深めるため、1つのスライドショーを何度も何度も、いろんなやり方で、繰り返し観照していることがわかるだろう。普通は見えないもの、目の前にあっても見過ごしてしまうもの、芸術家など繊細な感性を備えた者のみが観ているもの、そういう世界を観ることができる目を養おうとしているのだから、同じ「テキスト」で何度も繰り返しトライし、修練するのは当然のことだ。すると、報告されている通りに、毎回毎回、より奥深い観え方が開かれてくる。そして、そうやって「観る目」を開くことは、単に写真作品を観照する際に役立つだけでなく、人生全般にまで深い影響を及ぼす。
 そういう、実際的なことについて、私は語っている。

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ヒーリング・フォト  投稿者:佐々木奈緒子 投稿日:2010/11/22(Mon) 02:06 No.178 

 スライドショー1-2と1-3を交互に拝見し、観の目を保ちつつ動く修法を練修していくと、生々しいリアルさを伴って紅葉や龍田姫が迫ってきました。 
 ゆっくり粒子的に動いていくことで、動きの中で一瞬一瞬が連続して感じられてきてどんどん世界が拡がっていき、超越的な空間に入り込んでしまったように思い、驚くばかりでした。
 また、スライドショー1-2で光や色の連なりを全体的に感じてみると、視野が一段と開け、こんな写真だったのか!と思うほどこれまでとは違ったように観え始めて、粒子が蠢[うごめ]き、素晴らしい芸術作品であることをしみじみと感じました。それと同時に、まだまだ部分に囚われていたことも明らかになり、トータルに捉えることをもっと練修していかなければと感じました。
 そして、スライドショー1-1を拝見すると、強烈な神聖感と緊迫感が感じられてきて、そうしながら身体の奥の奥から繊細にたまふりが起こってくるのが分かりました。

 龍神のスライドショーも拝見させていただき、まず様々な光の美しさにみとれてしまいました。うねるようなダイナミックな流れが、私の心身の滞りを流し去っていくようにも感じ、心も身体も爽やかになっていくように感じました。特に龍爪(スライドショー4:12)を拝見したときは、本当にドキッとして、他のお写真も龍のスピリットそのものであり、ヒーリング・フォトを拝見する度に思うことですが、どうしてこのような神秘的な現象が起こりうるのか、不思議でならないとつくづく感じます。

ヒーリング・フォト  投稿者:佐々木亮 投稿日:2010/11/22(Mon) 05:07 No.179 

 スライドショー1-2、1-3でさらに観の目を練修し、続けてスライドショー1-1、1-4を拝見していきました。動きを加えつつ観ることについてどうしても難しく感じていたのですが、ふと、動きが雑で速すぎることに気づき、できる限り粒子的に分割し、観の目をキープするよう心がけると、紅葉がとにかくダンスしているとしか言いようがない状態で、龍田姫も「アアッ、美しい・・・」と思わずにはいられないほど迫ってきました。
 スライドショー1-1と改めて向かい合いますと、以前と比べものにならないほど神聖さが増し、先生の目が輝いて、腹の奥底まで射貫かれてしまうように感じました。
 『龍神』(前編)のヒーリング・フォトは本当に魔術的、呪術的としか言いようがありません。観るのにも相当腹を括[くく]らないと、向かい合うこともできないのではと思えてしまいます。私は特に龍爪の前のお写真(スライドショー:11)が人とは思えないほどでゾクッとしました。どれも心の奥深いところとダイレクトに触れ合うような感触があります。

スライドショーを拝見して  投稿者:道上健太郎 投稿日:2010/11/22(Mon) 06:03 No.180 

 現在は観の目を保ったまま、ゆっくりそしてほんの少し頭を前後や左右、身体全体を上下に動かせたり腕を動かせるようになった所ですが、それぞれの角度からも立体的に観え、同時に自分の裡側にも光景が映り込んで来るように感じられました。スライドショーの1-2と1-3を繰り返し観賞し、やっとそういう状態になった所で、スライドショーの1-1を観させていただいたのですが、勢いが画面から飛び出して風を感じるような感覚や、星々が煌く中でのまさしくコズミック・ダンスを観ている強烈な感覚が生じました。

 やっと『龍神』(前編)のスライドショーに観の目で向かい合わせていただいたのですが、わずかに動いて位置を変えつつ観ている中で、強烈なヴァイブレーションを感じ、うっかり「オー」と声を漏らしたり、突き動かされる感覚に少し大きめに動いた途端、目が切れてまた最初から、というのをしばらく繰り返してしまっていました。
 一巡する間、全て静中求動で観る、という錬修も間にはさみつつ観照していると、何度目かで3枚目から4枚目の作品で、龍身が躍り出て、こちらに向かって飲み込むようにクワッと大きく口を開くような動きとして繋がって映り、気づけば観の目を保ったまま手に働きかけて開く動きが出始め、フォトの移り変わりに応じるように全身が動いていました。
 球を持たれた指先に龍の爪が出現しているのが、観ようとしたのではなく自然な流れで目に映り、またその1枚前のフォトでは佐々木亮さんが書かれているのと同じく、そのお姿が完全に龍に「変身」しているその凄まじさが強烈に伝わってきました。
 拝見させていただき、ありがとうございました。

ヒーリング・フォトの威力  投稿者:佐々木奈緒子 投稿日:2010/11/23(Tue) 03:40 No.185 

 『龍神』(後編)のスライドショーを拝見させていただきました。
 何度も観の目を練修しながら拝見するうちに、龍神のお姿がどんどん迫ってきて「凄い・・・!!!」と感嘆の声を自然に上げていました。
 あるお写真は、龍が大きな口をぱっくりと開けているように観え、それに気付くと驚愕してしまいました。
 他にも、高木先生のお顔が角の生えた龍の顔そのものになっていたり、先生の手が龍の顔になっていたり、前回に引き続き超越的すぎて凄まじいものを拝見してしまったという気持ちです。
 実は、昨日は外出が長くなったこともあって疲れており、スライドショーを拝見するまでは眠気を感じていたのですが、ヒーリング・フォトを拝見する度に心身に涼やかな風が吹き渡るように感じて、疲れがいやされていき、眠気も吹っ飛んでしまいました。真のヒーリング・フォトであることをまざまざと感じ、その威力を実感しました。
 拝見させていただくことができ、心より感謝いたします。ありがとうございます。

ヒーリング・フォトを拝見して  投稿者:佐々木亮 投稿日:2010/11/23(Tue) 05:57 No.187 

 『龍神』(後編)の帰神ヒーリング・フォトを観させていただくにあたり、再びスライドショー1-1~1-4までを観返していきました。最近毎日ヒーリング・フォトを拝見しておりますが、作品が増え、以前の作品を観返すごとに、観え方の質が変化してきているように感じます。
 龍神・後編は、さらに滑らかでダイナミックな「流れ」を強く感じました。全身で画かれる超立体的な書のようでもあり、また、あまりにもリアルな「龍」がそこかしこに顕れ、とても油断できないピンとした空気が観ているだけで張り詰めてきます。
 燃え上がる炎で画かれた書のような作品もあり、どのように撮られたのかまったくわからないほど流れそのもので、驚かずにはいられません。

ヒーリング・フォトを拝見して  投稿者:道上健太郎 投稿日:2010/11/23(Tue) 06:20 No.188 

 『龍神』(後編)のスライドショーを公開していただき、ありがとうございます。
 観の目による観照の迫力がどんどん強烈になっているので、スライドショーを観照するためにマウスをクリックする前に、毎回覚悟が必要になってきていますが(笑)、そうして開いた開始直後の1枚目からいきなりド迫力な所から始まり、度肝を抜かれました。
 先生のお顔に牙が浮かび上がり、あるいは身体という制限を突き破って躍り出す龍の胴体が映り、手に持たれた球が個体ではなく液体がまとまって形作られたものに観えました。
 途中でふと、何かこれらヒーリング・フォトに共通するものを見たことがある、という気がしてきたのでよくよく思い返してみると、先生の書かれる「書」ヒーリング・カリグラフィーのことでした。今頃ですが、書という形でしか我々が目にすることができなかったものが、フォトとして映し出されている事に感動しております。

ヒーリング・フォト  投稿者:池尻理賀 投稿日:2010/11/23(Tue) 09:48 No.189 

 龍神の帰神ヒーリング・フォトを拝見させていただきました。
 観の目を保ったまま動いていくことは難しくまだまだ練修が必要ですが、少しずつその凄さを実感しているところです。
 龍神(前編)、龍神(後編)の帰神ヒーリング・フォトを観照させていただくと、煌[きら]びやかに燃え立つ龍神のお姿があらわれ、手に持たれている球が液体のような質感で映し出されており、本当に凄いとしかいいようがありません。滑らかで力強い流れが立体的にこちらに迫ってきます。
 数日前から風邪気味で、熱はないのですが咳がゴホゴホ出ているといった症状が続いていたのですが、帰神ヒーリング・フォトを観照していくうちに、滞っていたものがサラサラと流れだしていき、どんどん元気になっていくのが実感されて、気がつくと咳がまったく出なくなっていたので驚きました。観照するたびに活力が漲ってくるのを感じます。素晴らしい作品を拝見させていただき、ありがとうございます。

龍神の帰神ヒーリング・フォトについて  投稿者:渡辺義文 投稿日:2010/11/23(Tue) 14:13 No.190 

 龍神の帰神ヒーリング・フォトを公開して頂き、誠にありがとうございます。帰神ヒーリング・フォトを観させて頂く前は、セッションに参加させて頂く前と同じ緊張感を覚えます。ですから、必ず調腰板で腰椎を調整し、熱鍼器でまぶたと目の周りを刺激してから、観させて頂いております。
 龍神の帰神ヒーリング・フォトは本当に「水」、「流身」そのものであり、龍神の御神気に満ち満ちた御写真であると感じました。また、これは超越的な阿修羅像ではないかと思えるような御写真もあり、帰神ヒーリング・フォトを観させて頂くことの奇跡的な幸運を感じております。
 しかし、御写真を拝見させて頂きながら一番感じましたことは、これは先生が全身丸ごとで表現された「書」ではないかということでした。佐々木さんや道上さんも同じように感じられておられることに驚いております。
 現在、新進気鋭の書道家の方々が新たな書の世界を開こうと日々精進なされていると思われますが、感性の鋭い書道家の方が、先生の作品と触れ合われたのなら、とてつもないインスピレーションが湧き起こるのではないかと感じております。
 わたくしも、日々ヒーリング・フォトを観させて頂きながら、超越的な「観取り稽古」に励んで参りたいと思っております。ありがとうございました。

 御報告が遅れてしまい、大変申し訳ございませんが、先日の日曜日に龍田大社に参拝させて頂きました。
 神社に向かわせて頂く前に、調腰板で腰椎を調整し、熱鍼器でまぶたや目の周辺と掌を充分に刺激し、龍田姫の帰神ヒーリング・フォトと観の目でしっかりと向き合わさせて頂きました。
 三郷駅を降り、秋晴れの清々しさを感じながら龍田大社へと向かいました。神社に着き、大鳥居の前で一礼し、境内に入りますと、艶やかな紅葉の木々が生茂り、秋の風情そのままの粛々とした華やかさに包まれておりました。
 また、七五三の時期でもあり、何組かの御家族が参拝に訪れていらしゃいました。
 紅葉を観の目で観照させて頂きながら、拝殿へと向かいました。龍田比売命は拝殿の奥に摂社として龍田比古命と並んで祀られていました。
 拝殿の前で腰椎にヒーリング・タッチを行い、腰を入れてから、二礼二拍を行い、本日参拝させて頂いたことの御挨拶とヒーリング・ネットワーク及びヒーリング・アーツ、そして佐々木さんのウェブ制作の進化、向上、発展を祈念させて頂き、最後に一礼をして拝殿を後にしました。
 その後、末社である龍田恵美須神社、白龍神社、三室稲荷神社にも参拝させて頂き、御挨拶を申し上げさせて頂きました。なかでも白龍神社は御神体が巨石であり、水を好まれるということで、柄杓で水を掛けて頂くように説明書きがなされておりました。粗相があってはならないと緊張しながら、水を掛けさせて頂き、一礼してその場を後にしました。
 その後、しばらく境内を散策していると、何故か急に身体が熱くなってきて、汗をかき始めました。決して気温は高くなく、服装も軽装であり、昼食も食べておりませんでしたので、汗をかく程の熱さを感じることに不思議な気持ちでおりました。
 今回、龍田姫の帰神ヒーリング・フォトを通して、龍田大社との御縁を頂きましたことに心より感謝しております。ただ、不思議に思いますことは何故今まで龍田大社のことを知らなかったのだろうかということです。
 わたくしはこの地に住みまして30年以上になります。駅などでは季節の紅葉だよりや桜だよりなど、行事関係のポスターは必ず見るほうですので、大概の神社仏閣は知っているつもりでおります。
 また、龍田大社を調べておりますと、能の演目にも「龍田」があるほど有名であることを知り、ますます何故今まで知らなかったのだろうかと不思議に思っております。本当に御縁を頂くことができたとしか言いようのない気持ちでおります。
 また、昨日は地元の広報誌をたまたま見ておりますと、自分の住んでいるところの近所に奈良時代に大和と難波を繋ぐ行幸路である「龍田道」が通っていたことを知りました。このように御神縁だけでなく、図らずも郷土との縁も深まりつつあることを感じております。
 これからも度々、龍田大社に参拝させて頂き、さらに御縁を深めさせて頂きたいと考えております。ありがとうございました。

ヒーリング・フォトを拝見して  投稿者:帆足茂久 投稿日:2010/11/24(Wed) 01:32 No.191 

 観の目にてスライドショー1-2「宮島巡礼」をみていますと、自分そのものが景色の中に溶け込んでいくように感じられ、身体を動かすとより立体感が現れてきて、何層にもその奥行きが感じられたり、あるいは景色に変化がともなってくるように感じられました。
 紅葉や銀杏の葉は、日差しを受けて葉の色を輝かせつつイルミネーションのように、同系色の葉とともにまるでダンスをしているように感じられました。
 スライドショー1-1とあらためて向かい合うと、内面的な充実感の高まりを感じました。特に五鈷杵とともにある先生からはお写真を通じてエネルギーが表出せんばかりに感じられました。
 スライドショー1-4「龍神(前編)」では、身体を動かしながら観てますと、浮かび上がって観え、また腕や動きの中から龍があらわれているように観えました。
 スライドショー1-5「龍神(後編)」では、先生に顕現してくる動きというのが肌の色と相まって清らかな水のような質感があり、たいへん滑らかに表現され、まさに龍が動いているように感じられました。
 このような貴重な作品を拝見させていただき、ありがとうございました。

ヒーリング・フォト感想  投稿者:増岡三四郎 投稿日:2010/11/24(Wed) 06:56 No.193 

「龍神(前編)」「龍神(後編)」を拝見させていただきました。
 観の目を保ちつつ動きながら観ていると、よりリアルにその質感が感じ取られるようになりました。それは、水、液体そのものであり、細やかな粒子が奔流となって空間を所狭しと泳ぎ回っているようなダイナミズムを感じました。
 中には、先生のお姿が龍そのものとなっているお写真もあり、粒子が様々に形を変えて人の姿を取っているとしか思えないような不思議な感想を持ちました。
「龍神」を公開していただき、誠にありがとうございました。
 昨日は、近所の公園で色づいた葉を観照してきました。観の目を保ちつつ動きながら観ていると、それまでとは全く観え方が違ってきている事に気づきました。それまでひとまとまりだと感じていた葉が、様々に重なり合い、多層的に映り始めました。一つ一つの葉がくっきりと空間に浮かび上がり、それはそれは美しいものでした。
 そこで、普通モードに戻してみると、ごく普通のモミジの木に見えてきて、そのギャップは大変甚だしいものでした。
 思うに、観の目を知らなければ、世の中の美を随分見過ごしてしまっていることになり、人生を生きる上で、大きな損失であるということをまざまざと思い知りました。

<2011.03.23 雀始巣[すずめはじめてすくう]>