<マヤ・デビュー> 撮影:高木一行&美佳 2011.10.03

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ライナーノーツ

高木一行

マヤ・デビュー 撮影:高木一行&美佳 2011.10.03

 仔猫がわが家にやってきた。
 2011年10月3日。
 メス猫。推定生後1ヶ月。
 いかなるヨスガ(因・縁)によって、かような次第となったのか。それについては、人間の言葉では表現・伝達不可能だ。
 ただ、神秘である。
 美しい。
 それに面白い。
 猫好きだけが、それを知る。

 私は、作家ラブクラフトが、膝の上でぐっすり眠っている猫を起こすのが気の毒で、明け方までじっとそのまま椅子に座り続けていたという逸話を聴き、彼の作品が一気に好きになった。
 ラブクラフトといえば、例の「人間の発声器官では発音不可能な言葉」とは、◎が◎を◎◎◎◎鳴らす音だと私は思うのだが、ラブクラフト流ジョークがどうやら誰にも通じないようだから、彼もあの世で大笑いしているに違いない。鉄舟や樗山らと肩を組んで。
 関連記事は、『ヒーリング随感2』第22回。 

 前兆はあれこれ、あった。
 先般訪れたマレーシアのクアラルンプールでも、『ヒーリング随感3』第67回でご報告した通り慌ただしい滞在ではあったが、やはり予兆が示された。
 まったく思いがけず、20数年ぶりで、私は懐かしい場所で懐かしい人と出会い、「あの猫」の話で大いに盛り上がったのだ。
 チャイナタウンの一角にひっそりとあるそのペットショップで、かつて私は愛猫・故シータと出合い、その後の20年間を共に生きることとなった。
 私にとってそれは、育児、恋愛、友情、介護、そして死を看取ることまでの本質を、すべて一括して体験することを意味した。それを通じ、私の人生は極めて深まり、豊かとなった。
 凝集・拡散を操るヒーリング・アーツの禊マッサージも、その源をたどるなら、シータよりしばしば受けた猫マッサージが探求の発端となっている。

 このシータという猫、マレーシアから日本に連れて帰ろうと思うくらいだから(無論、容易なことではない)、仔猫の頃から大変な魅力と、同時に魔力の持ち主だった。飛行機を止めたとか、乗客数名がわけのわからぬまま空港からチャイナタウンのペットショップまで呼び寄せられたとか、いろんな逸話がある。一時期、菜食になって、イチゴやキュウリなどを喜んで食べていたこともある(好物は言わずと知れたドリアン)。 
 マレーシアのクアラルンプールから遠路はるばる台湾経由にて、1日半もかけようやく東京羽田空港に(貨物として)到着したシータは、長旅の疲れなどまったくみせず、まずはすし屋に立ち寄って日本の魚をちょっとご試食(いたくお気に入り)、わが家に着いた後は、用意した猫缶をガツガツ平らげ、ケージの棚でごろりと腹をみせ、大の字でおやすみになった。

 そのシータを送ってより3年。
 ようやく「喪が明けた」と感じ始めていた。
 その矢先のことだ。
「また来たよ!」といわんばかりに、行きつけの大型ペットショップの、里親募集の札がはられたケージの中で、小さな仔猫が私をじっと見つめていた。
 ヒーリング作用を込めた指を差し入れたら、元気に飛びかかってきてじゃれつく。
「びりびりっ」と打って来るものを感じた。
 直ちに、わが家に迎えることを決意し、そばで一部始終を観守っていた妻の同意も得て、「そうした」。妻も、そろそろだろうと感じていたらしい。

 連れ帰って暖かい場所を用意し、仔猫用のフード(ペットショップで給餌されていたもの)を与えてみたが、どうしたことか、ちゅうちゅう音を立てて吸いつくばかりで、ほとんど食べることができてない。
 母猫から引き離されるのが、どうやら早すぎたらしい。 
 このままうまく育つだろうか?
 何はともあれ、霊子ヒーリングだ。仔猫を膝に乗せ、10分ほど、執り行なった。
 おとなしくじっと受けている。

 名前は「マヤ」。
 ヒーリング共振の真っ最中、ふと、「わかった」。

<2011.11.12 山茶始開>

※関連記事は『ヒーリング随感3』第11回12回