太靈道断食法講義録 第1回

田中守平 講述

大正11年12月20日 印刷
大正11年12月25日 発行
発行所 太靈道総本院

 注:原文の雰囲気を損なわない範囲内で、一部の言葉遣い・表現等を現代的に改めた。[ ]内はルビを示す。

緒言

 近来に至り、社会の一部にはようやく断食の必要を認むるの声が喧[かまびす]しくなってきた傾向がある。それとともに、これが効果をも信じ、かつその効験に浴しようとする機運が、あるいは陽にあるいは陰に起こりつつあることは、特に注目すべき現象である。
 その時勢の傾向はしばらくおくとしても、事実において人類は、時々断食を行なう必要がある。しかもその実行によってもたらすところの効果は、実に顕著現前なるものあることを見逃してはならない。
 しかれども、断食を実行する上においての順序方法等を誤る場合には、不慮の危険を生み、弊害を起こすことが必無であるとはいい得ない。されば、断食実行についての理論及びその方法を、研究会得するの必要を感ずるのである。以下、断食の理論及び方法につき、項を追って説明を試みようと思う。

第1編 断食の理論

第1章 生命と断食

 およそ人類の生命は、これを存続せしむる上において、原始時代または原形質時代にありては、おそらく食物なるものを必要としなかったものと想像し得らるる。仮に食物を摂りたりとするも、それは現代におけるがごとき食物とは異なったものであって、気食をしたものと思考し得られる。すなわち、食物によったというよりも、呼吸によりて生活を営んだものといい得る。仮に、その生命現象が微細なものであったにせよ、またよく整っていないものであったにせよ、呼吸のみによりて生命を維持し、有形の食物を摂らなかった時代のあることを認め得るのである。
 そもそも生命現象なるものは、地球の地熱、空気の密度、光線、水分、土壌、天体の運行等との関係を有するものであって、漸次環境に適応する状態となり来たったことは明らかである。しかして、環境適応とともに、食物においても気体より進んで液体を摂るに至り、後には固体形を摂るに至れる順序を想像し得るのである。
 しかして、固形体にしてもその種々なるものを用いるに至ったのは、比較的近い時代になってからのことである。始めは極めて単純なるものを摂ったのであって、木の芽とか動物の中で特殊なるもの等に限られていたと考えられる。
 それが、人智の発達によりて段々とその種類と形とを増してきたのである。しかしてこれらのことは、まったく人類に火が発見せられた以後のことであると断定し得らるるのである。
 人類は、始め火を用いることはむろん知っていたはずはないのである。いわんや、食物の調理に火を用うるがごときことは思いもつかなかったところである。それが時の経過に従って、ついには食物を火にて焼き、あるいは煮て食するに至り、さらに進んでは生のままにては適さざるものも、火の応用によりて食物とするに至らしめたのである。
 思うに人類の文明は、常に火の応用に相比例して発達したとも観察し得られるのである。しかして、食物の発達の程度と火の応用とも、また一致している。この理由によりて、文明と食物及び火の応用は、常に相一致して進退するともいい得るのである。そこで、火によりて食物を調理するのは、文明人の為すべき生活の様式であるともいうことができるのである。
 しかし、この生活様式を生命本来の状態によりてみるときは、自然と適合しないことがある。一体、火によりて調理されたる食物を摂れば、自ずから寒さを感ずるに至るものである。その寒さを補うためには、いきおい被服、家屋等の必要を感ずるに至ったのである。
 これに反して生の食物を摂る者は、寒さに耐えうる体質となっているのである。被服、家屋につきて一考するに、人類の穴居時代にはすでに火を用うるに至っていたのであるが、それ以前ににおいては火を用いた事実を認められないのである。
 人類は火を用うるように至ってから、寒さを感じるようになったものであって、火を用いることが多ければ多いほど、外気に順応し抵抗する力を失うに至るのである。しかして、人類は火の発達応用に伴い、穴居より家居に進んできたのである。
 一面よりこれを見れば、火によりて人知は進められたものであるともいい得る。かくのごとく、火によりて人知は進歩し、文明は発達せるものと観察し得らるるのであるが、それによりて人類の生活はかえって、自然より遠ざかるともいい得ることになる。
 すなわち人類は、知識の進歩、文明の発達に従って、物質的にも精神的にもまた靈的にも、自然から遠ざかるの結果となるのである。
 私は決して、人類の知識文明を拒否するものではない。衷心その進歩発達を祝福するのであるが、叙上のごとく自然より遠ざかる要素の上に立っている知識文明に対しては、是認の辞を捧げ得ないのである。
 いかんとなれば、かかる知識文明はついに全真文化と称し得べからざるものであって、その全真ならざる文化によりて、人類はその全真を遂ぐることは不可能であるからである。進めば進むほど、自然より遠ざかる文化によりては、人類の全真化は絶対に不可能であることを断ずるに躊躇しないのである。
 すなわち、この不自然なる不全真性を帯びたる文化から脱却して、人類が自然に適合せんと欲するならば、すべからく断食を実行しなければならない。それが最も適切なる方法であるといい得る。
 仮にそれが長期間であるにせよ、また短期間であるにせよ、人類の肉体及び精神をして、真の靈性に復帰さしむべき適切の方法は、断食であると称し得るのである。
 けだし断食中における生命機能の発動は、最も自然に順応したる状態となるものである。この意味からして、その禀賦の生命をして全真ならしむるためには、長期にせよ、はたまた短期にもせよ、時々断食を行なうことが適切であり、かつ必要である。
 要するに断食は、特殊の修法として取り扱うよりは、私たちの生活組成のうちに織り込むべきものであるというべきである。

第2章 断食の歴史

 断食は、過去幾千年に渡り、洋の東西を問わず広く行なわれ来たったことは、幾多の文献に徴しても事実と認め得られるのである。しかも、その幼稚なるものにありては、肉体の健康、疾苦からの離脱を目的としたものがあり、さらに進んだものとしては、心的にあるいは靈的に向上進展を希求するの動機から出発したものであって、断食という一事によりても、人類の文化史は展開せられるのである。されば断食実行の上においても、断食に関する歴史的知識の概観を得るのも、裨益するところ決して尠少ならざるを思い、特にこの1章を設けたのである。
 現代においても都邑に行なわるるヒノモノダチ(火の物断ち)なる習慣がある。これは火によりて煮熟した食物の摂取を絶ったことによりて始まった事柄であろうと思うが、事実においては断食の形を取って行なわれている。
 これはいかなる場合に行なわれるものであるかというと、近親または知己というような極めて親しい間柄の者の上に、疾病災厄等のあった時、本人に代わってこれを行なうのである。すなわち火の物を断ちて、疾病ならばその平癒を祈り、災厄なればその解除を祈誓する一方法である。
 また、これを立願(りゅうげん)とも称せらるるのである。立願という言葉には、火の物を断つという意味を含有してはいないが、その内容は常に火の物断ち、詳言すれば断食を行なって祈ることになっている。
 これを、単に科学的に観察する時は、一個の迷信として目さるべきものであるが、事実現今においてもこれが行なわれ、その間相当に靈的意義が発見されることを往々見受けるのである。
 この火の物断ちによりて、断食の歴史をも知ることができるのである。始め人類が火を発見したのと同時に、この火の物断ちは行なわれたものと思われる。というのは、人類の祖先が火を用うることを知る前には、病苦というものを知らなかったのであったが、火の発見に伴ってその生活が自然から遠ざかるところより、病苦はその間を侵して頻々発現するに至ったのである。
 この時に際して火の物を断つことによりて、朧気ながらも人間生活の本然性に還ることを得るものと想像したようである。当時の人間は、仮に文化において低級であったにもせよ、神すなわち自然物以上の何者かが存することを信じる心は、現代人より遥かに素朴であっただけに、厚くかつ深かったのである。
 彼らは火を用うるのは、むしろ神を汚すものとしたのである。何によりてそう考えたかというに、当初神を祀れる森において、特殊の樹木の摩擦によりて発火するのを認めた時、彼らはその火の威力に驚嘆したのは、想像に難くないと思う。ここにおいてか彼らは、その樹木を名づけて火の木(檜)と呼ぶに至ったのである。しかして、彼らが特殊の樹木が火を発するのを、神の森において初めて見たときの一種の心の状態は、その現象を目して直ちに神の怒りによりて生じるものとしたのである。
 したがって、人間が火を用うるのは、ますます神の怒りを増すものと想像し、火の物を断って神に謝し、その怒りを解くことを祈るようになったのである。
 これは、人類の歴史におけるある時期において、当然遭遇すべき現象の一つである。過去において、人類の祖先が行なったこの火の物断ちの動機、あるいは観念というものは上述の通りであるがゆえに、その原因を異にするも、結果においては期せずして人間の生命の本然性の復帰と一致することになっているのである。
 当時の人々は、事実よりも信仰に出発して火の物断ち、すなわち実質的には断食を行なったと思われるが、事実は人類生命の本然性を回復することになっているのである。しかして、そのことは順次伝習されて、ついにはいずれの民族の間にも行なわるるに至ったものである。
 総じて宗教の盛んなるところには、断食も盛んに行なわれるものである。釈尊も幾年かの間、森林中において断食に近き苦行を行ない、最後に一婦人の捧ぐる乳粥を摂って正覚成道したということが伝えられている。釈尊のこの正覚成道は、断食を終えて食物を摂るに至ってからであったにしても、森林中においての効果を無視することができない。もし釈尊にして、かの森林中において断食をなすことがなかったならば、おそらく彼の正覚成道は望み得られなかったであろう。
 支那において行なわれる仙術にしても、辟穀(へきこく)と称して、断食によりて道に入ったものである。
 またキリストは、悪魔に試みられんがために、荒野において40日40夜断食したと称せられている。キリストが神の子たるの自覚は、実にこの断食によって発したのである。
 現今、欧米において行なわれる靈媒的現象も、やはり断食によりて発現するのである。この靈媒は古くよりあったのであって、日本のいわゆる巫女も、同種類のものである。
 かくのごとく見来たれば、断食は東洋西洋を通じて、古来より広く行なわれ来たったことが分かるのである。
 断食は、人間の体力、精神力、靈力を回復し、その本然性を顕揮せしむるものであって、東洋及び西洋で行なわれ来たった迹[あと]を見るに、そこにいくばくかの程度の差は発見せらるるにしても、その結果を概括すれば同一に帰するのである。
 翻って現代人が断食を行なう様子を見ると、いずれも自己の健康を増進するをもって目的とするものであって、かくのごときは真の断食の意義より見る時は、極めて低級なるを免れないのである。近時米国において、盛んに断食が実行せられつつあるのを見るが、米国人は極めて現実性の強い民族であって、彼らの断食実行は、まったく健康を得ることのみに留まっている。これは断食ということに対しては、あまり多くの意義を発見しないが、その反面において、まさに科学に立脚したる医術または諸種の健康法の無能を語る一個の証左であって、物質文明をもって宇内に誇りつつある米国にして、この断食の流行を見るというのは、実に文明に対する一種の皮肉であるとともに、現代人知の行き詰まりを語るものとも見ることができる。
 前述の通り、現代人の行なう断食は、その動機と目的とにおいて低級であるとはいうものの、その効果を認むるに至ったことは、時代の趨勢であるといわねばならない。
 人間はただに健康な肉体を有するゆえのみをもって、その尊さを誇ることはできないのである。さらに精神的に、靈的に健康でなくてはならない。肉体のみの健康を欲求するとせば、敢えて断食によらなくともよいのである。肉体のみの健康は、断食以外の方法によりても増進せしむる方法もあり、道もあるのである。全的健康、それは肉体、精神及び靈の3者を合一したる健康を欲求すればこそ、断食の必要があるのである。
 要するに、断食の歴史を通観すれば、その発達の跡は学理的に組織せられていないとしても、朧気ながら絶対との融合を希求するの意味を含まれていることは、どうしても否めない事実である。けだしそれは、人間の本然性の発露たるにほかならないのである。