太靈道断食法講義録 第3回

第2章 場所の選択

 断食を行なう場所が適当でない時は、充分にその効果を収め難いことがあるので、この章においては節を追い、場所の選択について説明を進めたいと思う。場所そのよろしきを得る時は、期間において仮に短しといえども、長期断食に匹敵する効果をあぐることができるものである。

第1節 森林

 断食を行なう場所としては、第一に森林に指を屈するのである。森林において断食をなす時は、生命体に流衍(るえん)する靈子の発動が極めて顕著に行なわれることを認めることができる。単に我らが森林に足を踏み入れたのみであっても、その心身に及ぼす好影響が大であるのに加えて、その恵まれたる森林に入って断食を行なうに当たっては、実にその意義と価値との甚大なるを思うべきである。
 森林は敢えて必ずしも深きを要するわけではないが、少なくとも人家より遠ざかっておるべきことは必要な条件である。したがって、それが人里離れた場所であるならば、敢えてその森林の深浅は問題とするところではないのである。
 しかし、その森林にして付近に不潔の地域を擁しているとか、あるいはあまりに湿潤であるとかいう関係があるならば、それは好んで選ぶべき場所ではない。むしろ避けたほうがよろしいのである。
 付言として述べておきたいのは、さきに入山したる大鍬の修養場(恵那山中の行場)の地域についてである。そこには霧風の滝、または渓流等があって、一見湿潤であるかのように思わるるのであるが、事実そこは地域上、乾燥する場所である。本来としては他所より襲い来る湿気はその害極めて小なるものであって、土地そのものが湿潤を帯びているのを避くべきである。

第2節 海辺

 およそ人が海辺にある時は、すべてその精神状態が動揺しやすくなってくる。しかも、海辺は総じてその気温気流等が変化しやすい場所である。波の音を聞くほど近くにいるとしても、波の音が届かざるほどの距離にあったとしても、空気は常に波のために動揺しているのである。
 かくのごときは、単に生理上のみから見ても、適当な場所ということはできないのである。ことに心臓及び肺臓に疾患を有する人にとりてはもちろん、その他の疾病がある人にとりてもよろしくない。いうまでもなく、海辺には塩分が漂っているのであるが、この塩分がいずれの疾患に対してもよい影響を及ぼさないのである。
こ うした状態のもとにあるがゆえに、海辺において断食をなすのは不適当であるといわねばならぬ。もし海辺における断食を余儀なくする場合には、海辺の中でもなるべく高いところを選ぶ必要がある。高いところであれば、前述の弊害から比較的遠ざかって、断食を行なうのに適しているといえるのである。

第3節 都会

 都会における断食は、一般に不適当と見なければならない。常に周囲が騒がしく、落ち着きのないことが、その主なる原因である。
 ただし都会にあっても、比較的閑静でしかも乾燥した土地ならば、断食に適当であるといえる。
 さりながら概して言えば、都会の地は長期の断食には適していないのである。都会において長期の断食を決行しようとする者は、森林において難行苦行するのにも勝る困難に耐える覚悟を必要とするのである。

第4節 屋内

 屋内において断食を行なうに当たりては、決して家屋の広壮なるをも華美なるをも要しない。粗末なる屋舎にて結構である。
 もし、洋室等においてストーブのそばで行なうがごときことあれば、その害は決して少なくないのである。
 部屋はなるべく外気との流通をよくしなければならない。これは余談であるが、ある外国人が日本の住居を評して「日本人は世界を通じて不思議なる人種である。薄い障子一重で宇宙の寒さを防いでいる」と言ったことがある。
 宇宙の寒さという、大仰な言い表わし方が面白いと思う。この障子というのは、まことによくできているものである。外気との流通において、実に巧妙なる役目を果たしているものである。
 かくのごとく、屋内の断食においても外気が必要であるとはいえ、あまり家屋を解放し過ぎて、外気に曝されることもよろしくはない。また、あまりに堅牢な部屋も、心身に圧迫を感じるところから不適当である。

第5節 屋外

 屋外において断食を行なうのは、雨天ならざる昼間に限る。これは、外気に触れ過ぎるのではないかと懸念されるかもしれないが、事実はそうではない。
 屋内にあっては外気の侵入を不快に感じることがあっても、屋外にある時にはそれほどでもない。また、屋内にあっては外気の侵入によって害を受けることがあるが、屋外にある時にはそれが極めて少ないのである。
 しかもこの屋外断食は、昼間のある時間に限られるものであるから、なおさらもってほとんど無害なものである。

第6節 船舶・車両

 一般に船舶・車両は、断食の場所としては適当ではない。その理由は、乗り物の動揺が心身の安定を破り、大なる妨害をなすがためである。
 話がそれるが、船や車に乗る時に、眩暈を催し、不快を感じる人が往々ある。それらの人が乗り物にとき、断食していれば、その憂いが少ないものである。断食して落ち着いていれば、酔うものではない。
 もし、船車中において修養的に断食を行なわんと欲する人あれば、その船車の中において最も閑静なる室を選ぶ必要がある。人々が喧騒していて酒・煙草等の香が漂うがごとき所は、努めて避けるようにしなければならない。ことにその人が酒・煙草の愛好者であったとすれば、その方に精神を奪われがちになって、断食の真味を味わうことができなくなる。

第3章 断食の準備
第1節 精神上の準備

 単に1日か2日間くらいの断食に対しては、その準備としてことさらに注意することもないように思われるが、一応はこれに関する知識を得ておくのも、断食法をしてより完全ならしむる上に必要な事柄である。
 最初に述べる必要のあるのは、精神上の準備である。断食を実行せんとするに当たりて、何か苦心焦慮していることがある時は、最も不適当である。
 されば、断食はしたいし心配事はある、というような場合には、まずその心配事の方から先に解決をつけてしまうか、あるいはその心配事をまったく念頭から放擲してしまうか、そのいずれか一つの道をとらねばならぬ。
 この方法によらずして、精神上の打撃をそのままにして断食をなす時は、ついに両方とも完全に行なわれないことになる。すなわち、心配事は依然として残され、断食はこれがために順調に行なわれない結果になるのである。
 断食時にはなるべく、というよりは、むしろ絶対に、心を用いないことにしなければならぬ。ある事柄につき、甲乙二途に迷いつつあるがごとき場合に、その解決を得んとして断食を行なっても、断食の効果がその精神力のために妨げられて、「餓腸奇策を出す」というわけにはいかないのである。
 断食時における精神状態は、最も冷静沈着なるを要する。もし、断食中にあって精神を労するがごとき不時の事件が起こったとしても、決して激昂することなく、冷静な状態を保たなければならないのである。

第2節 肉体上の準備

 断食の当日、食物を摂らないことは、もちろん当然のことであるが、また入浴するということも避けなければならぬ。入浴といえば、水浴と温浴があるが、いずれにしてもよろしくない。断食をなすことによって、身体には著しい変化が起こりつつあるのであるが、この変化を来たしつつある身体に対して、水浴または温浴を施すとなると、その上さらに不時の変調を惹起する可能性があるから、断食中においては特に忌避すべきものである。
 断食中においてことに必要なことは、腹力の充実を図ることである。もし、この腹力の充実を図ることを怠ったとすれば、断食によって当然もたらすべき効果を見ないで終わることがある。すなわち、断食と腹力の充実とは、密着不離の関係になっている。
 次に、飲酒と断食との関係について述べよう。断食中に飲酒するということは、異常に胃腸を刺激して、悪い結果を招来することは、言わずとも明らかなことであるが、断食前の飲酒においてもまた害がある。
 飲酒した場合は、まず普通食を摂り、それより少なくとも24時間を経過する必要がある。要するに、飲酒してから断食に入るということは、禁絶しなければならぬことである。
 煙草は普通時においても、脳を刺激して弊害の多いものであるが、断食によって一種の変調を来たしつつある際には、喫煙するということはもちろん禁絶しなければならぬことである。
 薬剤を用いて断食に入る用意をしたり、断食中において服薬したりすることも、禁止すべき事柄である。
 次に被服のことであるが、一般に洋服よりも和服をもって可とするのであるが、洋服は身体に窮屈な感じを与え、また疲労させることもあって、結果においてよろしくない。洋服によって受ける窮屈な感じは、いたって些細なことのようであるが、断食遂行上の妨げとなることが少ないとはいえない。
 ことに長期の断食を行なう場合には、ぜひとも和服を着る必要がある。そして断食中は、平常よりも寒さを感じるものであるから、普段よりもやや厚い服が必要である。
 しかしこれは、断食に慣れない間のことであって、慣れてくるにしたがって、被服の厚薄と多少とは、さして問題とするに及ばなくなってくるのである。

第3節 長期断食の準備

 断食の期間を分けて、便宜上長期と短期との2つにする。そして断食を3週間以上継続する場合には、これを長期断食といい、1週間より2週間くらいまでの断食は、いまだもって長期断食とは称しがたいのである。だから、ここに長期断食の準備として説明しようとするのは、3週間以上継続する長期断食に対する準備のことである。
 その長期断食について、食物のことより説明するが、まず第1日目より完全に断食するのは当を得た方法とはいえない。
 それではいかなる方法に従うべきかというに、食物の順減法によるのを最も可とするである。この順減法を完全に行なうためには、30日を要する。しかしこれは、最も完全に、最も理想的に行なう場合のことであるから、場合によっては30日間に行なうべき過程を15日間くらいに短縮しても差し支えはない。そして、その実行中に甚だしく空腹を感じる時には、適当に食物を摂る必要がある。
 この順減法とはいかなる形式のものであるかというと、普段1日に摂る食物の量を、日を追ってわずかずつ減じていくのである。すなわち、「1日1箸減」ということにすれば、誰にでも行なえるわけである。
 普段4杯の飯を摂る人とすれば、1週間後には2杯に減じ、10日目には1杯となし、2週間目にはほとんど断食となる、というようにする。これは、些かの危険をも伴うことなく長期断食に入る、唯一の方法である。
 この順減法によって断食を行なうとともに、1日3回ずつ深息法を励行することが必要である。さらに深息法より一歩進んで、気食法を行なうべきである。
 これは胃及び腸に息(吸息)を送るようにすることである。この方法は、努めてそういうように行なわないでも、食物の順減法を実行していて、空腹を感じるに至れば、自ずから気食の状態になるものである。
 食物即ち固形物を摂取すれば、それが胃腸に入ることは誰でも知っている現象である。しかるに断食の際には、胃腸の方に固形物が行かないために、胃腸は気体をも要求することになるのである。
 この現象と方法とは、単にこれを説明するのみにては、容易に理解しがたいものであるが、長期の断食を行なった人は、誰もがこうした経験を有するのである。
 最初から気食すなわち吸気を完全に胃腸に送るということはすこぶる難事ではあるが、完全な方法によって長期の断食を行ないつつある間に、自然に気食に習熟してきて、さしたる衰弱も疲労をも感じないようになるのである。
 食物の種類についての注意としては、断食を行なおうとする1ヶ月前からは厳正な菜食主義をとるべきである。その時の飯は、白米よりも玄米の方がよろしい。飯にしても粥にしても差し支えはないのであるが、副食物はなるべく少なくしたほうがよい。また調味料としては、砂糖のごとき甘味のもの、あるいは辛いものを用いることは、厳に避けるべきである。
 また沐浴は、食物の順減にしたがって、温浴より水浴に移り行かねばならぬ。
 それから何でもないことのようであるが、髭を剃ることは止めなければならない。これは精力との関係があって、断食中における禁止事項の一つと心得ておく必要がある。