Healing Discourse

ドルフィン・スイムD 利島巡礼:2013 第5部 ダンシング・ウィズ・サン

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 私たちが水中で1台のカメラを交代で使うのは、1人1台だとつい帰神撮影ばかりに夢中となってしまい、全身で「感じる」ことがおろそかとなりがちだからだ。

 今回の利島巡礼は、イルカだけに焦点を絞り、カメラは水中用の1台のみを持ち込んだ。
 オリンパスOM-D E-M1(レンズはM.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 Ⅱ)。
 水中用ハウジングから取り出せば、陸上でももちろん使える。

 ドルフィン・スイムの合間に、カメラを手に妻と共に宿周辺を散策していたら、民家の畑でヒマワリの花が、太陽の光の中で、生命のダンスを踊っているのが目に留まった。

 

付記:
 本日、完全断食しながらの留置生活15日目。納得のいかない容疑で逮捕され、ここにぶち込まれて以来、連日厳しい取り調べを受けているが、大切な友人たちに万が一にも累が及ぶことを慮[おもんぱか]り黙秘するや、(何の関わりもない)妻を引っぱるぞとか、(さらに関わりがない)実家の両親宅をガサ入れ(家宅捜索のことをこう呼ぶのだそうだ)するぞ、など、あれこれひどい脅迫を受け続けている。「(話さなければ)猫を殺すぞ」とも言われた。まあ、冗談のつもりだろうが、言っていい冗談と悪い冗談がある。
 いかに脅されようが、自らの信念を曲げるつもりは、まったくない。家族同様の友人たちを売り渡すような真似など、断じてせぬ。
 私は片耳がまったく聴こえないのだが、わんわんあれこれ大声で怒鳴られて、もう一方の耳もよく聴こえなくなった。そんなこともあろうかとあらかじめ用意した補聴器を、これまで1度も使うことを許されてない。
 相手は予断に基づき、自分の得たい答えを私から引き出すことにしか関心がないようだ。私が相手の意に添わず、従わないとみるや、たちまち態度を荒げ、大声で怒鳴りつける。私が一言も発さないのに、数ページの取り調べ調書ができ上がる、なんてこともあった。
 ダラダラ汗が流れてくるような蒸し暑い、狭い部屋に長時間閉じ込められ、2人の担当官が入れ替わり立ち替わり、違う質問をぶつけてくる。
 なるほど、こんな「責め苦」を普通の人が受け続ければ、ついには心が折れくじけ、心にもないことを語ってしまうのも当然だ。警察の行き過ぎた捜査、取り調べが最近しばしば問題視されるようになったが、自分自身が実際に体験してみて、「なるほど、これはいかんな」と心底実感した。
 最初、職業を問われ、「芸術家」と答えたのだが、「芸術活動によって収入を得ていないので芸術家とは認められぬ。無職なり」と裁判所で断定された。生前1枚も絵が売れなかったゴッホは、それでは芸術家ではないのか?  奄美大島に渡って染色のアルバイトをしながら求道的創作活動に没頭した異色の日本画家・田中一村はその時期、 自らの作品をほとんど売ってないが、彼もまた芸術家とは呼べないのか?  「売り絵は描かない」と頑なに絵を売ることを拒み続けた岡本太郎も、芸術家では、ない・・・???
 芸術家などという高尚な人種には属さぬ無職の卑しい人間が、仲間を集めてカルト教団をでっち上げ、何か妖しげなことをやっている。このままでは危険な勢力へと成長し、社会不安の元となり兼ねないから、今のうちに一網打尽にして捕らえ、個別に拉致監禁して洗脳し、危険を未然に防ぐべし。そんな馬鹿げたことを、「あの人たち」はどうも真剣に信じ込み、大真面目に実行しようとしているらしい。
 黙秘は「権利」というが、実際に黙秘してみれば、まるで罰を与えるかのように、妻との面会も一切許されず、留置所内で妻に書き続けているラブレター(現時点で便箋3冊を埋め尽くし、ボールペン3〜4本を使い切った)を彼女の元に届けることさえできない。保釈も100%なしとのこと。保釈されるつもりなどサラサラないが。
 こうした状況下にあって、<生命[いのち]の対等>という、(私にとっての)究極のヴィジョンが、常に私に力を与え続けている。非人道的な扱いも断食しながら平然と耐え、<樂 (たのし)!!!>と(静かに)叫ぶ時間が日々増えつつある。
 決して、無感覚、無感動になっているわけじゃない。その逆だ。檻の中で1冊の辞書も、1片の資料もなしに書き綴った、私のもろもろの言葉を一読すれば、直ちにわかることだ。