Healing Discourse

ヒーリング・アーティスト列伝 第1章 通身是手眼 〜井上仲子(筋骨矯正術)〜 第6回 筋骨矯正術・体験談 前編

 上の写真は、仲子の元に寄せられた、元患者たちからの膨大な礼状だ。
 いかなる治療法、健康法を熱心に試しても向上しなかったQOL(生の質)が、筋骨矯正術によって劇的に高まった! 一度はあきらめかけた「生きることの歓び」を、仲子の助けで再び見出すことができた! ・・・そうした、歓喜のオーラの如きものが、写真全体に超微細粒子的に漲っている。姿勢を極(き)め、<観の目>で向かい合うと、古ぼけたモノクロ写真の裡に篭もる圧倒的な「力の感覚」に驚かされる。

 筋骨矯正術の具体的な施術法は、前(さき)にも述べた通り、詳しいことは現在のところ、あまりよくわかっていない。まことに惜しむべきことと思う。
 大阪毎日新聞掲載の記事『東洋のヲステヲパセ』(明治37年)によれば、「その法は、患者の腰部に自己の膝を当て、その両手を患者の胸部にし、脊梁骨の曲がった反対の側に幾回か仰向かせ、しかして後、熟練なる手術(てわざ)で腹部を按摩する」、とのことだ。
 さらに同紙は、次のように報告する。「そうしてその効験あるは、脊髄病、心臓病、胃病、腹膜炎、神経衰弱、その他諸病で、肺病(当時、不治の病と怖れられていた)の初期ならば十中七、八は全治さすという。また奇異ともいうべきは唖児を治し、躄(いざり)を治せしことで、世人が驚嘆すると、仲子の言うには『これ皆筋骨の紛錯麻痺より起こるので、これを矯正すれば治癒するのは当然、不思議でも何でもない』と」

 仲子は、筋骨矯正術を次のように説明している。
「この術は実地活人体について、背骨の曲直を始め、五体の均等、筋骨の異同、血液循環の様子を精細に検(あらた)め、その原動力たる下腹の力を計り、全部すべての加減を取る活手術であります」(明治35年春・口述)
 血色を観ることも、矯正術では重視されていたらしい。
 誰からも教わらず、本も読まず、まったくの独力でこうしたコンセプトと術(わざ)に到達した井上仲子という女性(ひと)は、真に傑出した聡明な人間だったに違いない。彼女は、患者たちの身体を生きた教科書としながら、ヒーリング(生命の教え)について学んでいったのだ。

 仲子没後に編まれた私家版の記念誌『井上仲子』(昭和6年刊)には、かつて彼女の治療を受け健康を取り戻した人々による体験談や感想文、感謝状などが、多数収録されている。
 その一部を以下に適宜引きつつ、そこから技術方面のみならず、仲子の信条や生き方、治療に対する根本姿勢などを、眼光紙背に徹する<観の目>で、読み取っていこう。

 治療は普通3期に分かれていて、病症の軽重によって長短はあるが、第1期は8〜9週(日曜以外は毎日通う)、第2期は5〜6週、第3期は2〜3週程度だった。それぞれの間に、約2ヶ月の間隔を置く。
 現在、一般に行なわれているいかなる治療法とも異なるシステムを、独自に採用していたことがわかる。腹の解剖学的状態を根底から変えるためには、それくらい時間をかけ、じっくり取り組む必要があったのだろう。
 治療を受ける人は、1週間ごとに海人草(かいにんそう:キマクリとも呼ばれ、普通虫下しとして使われる)を煎じて服用するよう指示された(1日2回、2日間使用)。これにどういう意味があるのかわからないが、海人草を入手したので、近いうちに自分で実験してみるつもりだ。

 <エピソード:1>
 実業家の川喜田久太夫は、仲子の上京を助け、東京での活動を四半世紀に渡って熱心に支援し続けた人物だ。
 川喜田は最初、神経衰弱で毎日午後になると頭が割れるように痛むため、新聞記事で仲子のことを知り、あちこち探し歩いた末、ようやくその門を叩いたという。この頃仲子は、京都郊外のさびれた寺に住みながら、患者たちの治療にあたっていた。
 患者が立て込んでいるから、1人仕上げるのを待てと言われるのを無理に頼み込み、川喜田はその日から仲子の元に毎日通うことになった。宿所から片道1里半(6キロ)の道のりだが、車その他の乗り物は一切いけないと言われたので、重い気分を重い足で運びつつ、休診日の日曜以外は雨の日も風の日も、倦まず弛まず10週間ほど通い詰めたそうだ。
 当時の患者たちは、医師に見離された重患者か、清水の滝に打たれてもダメと見切りをつけた難症者ばかりだった。その様子を、川喜田は次のように語っている。
「大仰に形容すると化け物屋敷同然で、何しろ舞台は牛の糞の転がった埃臭い伏見街道を前にした貧弱な古寺、登場人物は六十格好の切髪のおばあさん。
 幕があくと、玄関に置かれた虫食いの古い八角の大火鉢を取り囲んで、患者衆が7、8人。どす黒い、そして針金のような体。お互いに病気のことばかり語り合って、毎日毎日、同じようなことを繰り返してる。
 襖越しに、例の『お次さん——』の声がかかると、ヒョックラヒョックラ、片足をひきずって出かける。ズリズリ、いざり出す。半身不随でヒョロヒョロと観海流(古流泳法)の平泳ぎのような手つきで歩いていく。
 そこへ、付添におんぶしてもらって登場したのを見ると、顔は青ざめ、目は吊り上がり、髪は伸び放題で、手足は青竹を2つに割ったようで、血の気はまるっきりない。玄関へ下ろされると、筋が締まり切っているためか、ビクビクブルブルと震える。
 神経衰弱の私は、逃げ出そうかと思ったくらいでした」

 それでも1週間もすると、他の患者たちにも親しみが湧き、自分自身も気分が良くなってきた。治療が進んでいる人たちのヒーリング体験談を聞き、信頼感や安心感も一層増していく。
 そして10週目に、「一たては、マアこれでよろしい」と仲子から言われた時には、神経衰弱ばかりでなく、宿痾(しゅくあ:厄介な慢性病)の胃拡張も、蓄膿症も、神経痛も、いつの間にかスッカリ治ってしまっていた。
 かつて片時も離さなかったアスピリンも不要、着物のたもとが重くなるほどたくさん使った鼻紙も不用、少し飲むとむかついた酒がいくら飲んでもいい具合に回って障らなくなる。寝つきの悪かったのが、床に入るとたちまち眠ってしまう、といった具合に著しい変化を起こしたそうだ。

 が、ここまでに至る治癒プロセスは、決して平坦なものではなかった。川喜田は述懐する。
「最初刀自が言われたように、この治療は大黒柱の寝起こしですから、真っ直ぐに立ち直ると同時に、長年歪んでいた襖の建て付けがガタついてくるように、かつてかかった病気が一通り頭を出して、ハテナと思わせる時が幾度もあります。
 しかし、不思議にこれは半日1日、あるいは1、2時間で治っていく。そして私の経験では、5週目くらいに樽の底を抜いたように、ドッと腹を通す。もちろん1週間目ごとに海人草を飲みはするが、この時の通じ方は、並大抵でない快い通じ方がする」

 治療中に起こる一種の反転現象を、筋骨矯正術では「変動」と呼んでいた。その時期・内容は、人によってそれぞれ異なっており(変動が現われないこともある)、ある女性は次のような症状を体験したという。
「ちょうど3期の半ば頃のことでした。かつて伺っていた変動がまいりまして、1週間ほど39度ばかりの熱が出たり、お腹一面に亀が水面に甲を浮かべたようにコリが現われたり、激しい苦痛が襲ってきたりいたしまして、苦しんだことがございました。しかし、前々から承っておりますことなので、少しの不安もなく、安心してその苦痛に耐え、ついにこの変動の時期を通過いたしまして、一層楽な状態に入ることができました」(秋山サヨ)
 
 川喜田によれば、「私が過去25年間に目の当たりにした、この治療法で効果のあった病名は、脊髄病、胃病、胃拡張、神経痛、呼吸器病、ルイレキ、ソコヒ、婦人病等で、脊髄病の如きは面白いくらい効果があるのを目撃しました。ただ、いかなる関係か、脱腸だけは治らないと、よく老刀自が話されました」、とのことだ。 
 川喜田はまた、次のようにも述べている。
「この治療のために、精神的に受けた効果は、実に大したものでした。第一、下腹に力が満ちるから、何をしても心丈夫にやれます。そして、この治療の一大眼目であるマッスグということが各方面に働くから、その効果は到底筆紙のつくすところではありません」

 <エピソード:2>
 小川三郎(後に陸軍大佐)は、筋骨矯正術により戦傷の後遺症から回復したが、その次女がある時ジフテリアにかかり、病後の衰弱が甚だしいところにルイレキ(首のリンパ節が腫れ上がる病気)を発症した。
 種々の治療も効果なく、医師は手術の必要を説くに至った。しかし、なにぶん女の子のことなので、できることなら切りたくないと考え、仲子に治療を依頼したのである。
 当時、腫れ物は子供の拳大となり、今にも破裂しそうになっていた。が、仲子の治療を受けると、日に日に縮小していき、3週間後にはまったく消滅してしまったという。

 小川は、その他にも自らが目撃したいくつかの治療例について書き記している。
「ある陸軍大佐は、脳が悪いとて治療を受けておりましたが、氏は非常に大きな頭の持ち主で、当時京都の大商店にも氏の頭に適合する帽子がないというて、不釣り合いに小さく見えるかんかん帽を頭に乗せ、少しの風にも心配しつつ手で押さえて歩いておりました。しかるに、治療を受けて1週間もたつと、その帽子がちょうど良くなり、2週間後にはかえって大き過ぎるようになりました」
「またある人は、5、6歳くらいの男の子を連れてきましたが、この子も脳膜炎とかで、頭が非常に膨大していました。この子の治療の際、先生は、『これは、まず頭を縮めて元の形に直すことが肝心じゃ。最初はまず右の方を縮める』と言われまして、例の通り治療に着手されますと、1週間後には果たして右の方が縮小して、頭は左の方へ歪みました。
 2週間後には、その言葉の通りになりまして、左右平均に締まった良い格好の頭になりました。これらの治療も、皆腹を揉み、背を引くのみで、特別の施術はなかったように見受けました」
「またある人は、全身不随で十年も寝ていた人を担架で連れ込んで来ましたが、これも5、6週の後には、欄干(らんかん)を頼りに歩行ができるようになりました。
 その他、虚弱な人が壮健となり、肥満した人の肉が締まり、リュウマチの人が全治したような例は、たくさん拝見しました」

 <エピソード:3>
 鈴木喜三郎(前内務大臣、1867〜1940)が仲子の治療を受けたのは、地方裁判所々長の時代だが、「治療はまことに気持ちよく、その効果もまたすこぶる顕著なもので、私の健康はそれ以来、非常に良くなった」とのことだ。それ以来、鈴木は筋骨矯正術の霊妙さを讚え、知人たちにも紹介するようになった。以下のような、奇跡的ともいえる治癒例も目撃している。

「1度、こういう著しいことがあった。それは年の頃32、3歳の男で、弟と姉に連れられて仲子女史のところへ訪ねてこられた。話によれば、大学病院の内科でも外科でも原因不明で、死を宣告された人だそうである。
 頭は大きな冬瓜のようで、叩けばポコポコと気味の悪い音がするのである。口は少しもきけず、一見して低能者のようである。私もその頭を触ってみたが、まったく化け物のようでゾッとした。女史は、姉弟の熱心な願いに動かされ、それでは治療いたしましょうと承諾されて、毎日治療を続けられた」
 鈴木が数ヶ月後に再訪した時、仲子は、「鈴木さん、先日の人はこうなられました」と言って、1人の男を指した。見れば例の冬瓜の男で、それが見違えるようになっている。
「これには私もまったく驚いた。治療でこれが治るだろうかとひそかに思っていたのであるが、ほとんど別人のようになっていたので、つくづくこの治療の普通でないことを感じたのであった」
「いかなる病にも、薬を塗るでもなければ、海人草のほかに何の服薬もなく、ただ筋を整え、骨を矯(ただ)すことによって、これだけの偉功を奏することは、まことに不思議、まことに神秘というほかはない」

<2009.09.23 秋分>