Healing Discourse

ヒーリング・アーティスト列伝 第1章 通身是手眼 〜井上仲子(筋骨矯正術)〜 第5回 猛き心

 仰臥した受け手の腹を軽くそっと押さえ、掌に伝わってくる圧力感の変化に注意を注ぐ・・・・・と、相手の横隔膜がどういう風に動いているか、触覚的にわかる。私は3Dで感じる。
 息がどこまで入ってくるか、浅いか深いか、腹腔内に満遍なく行き渡っているか、あるいはアンバランスになっているとしたら、どこで滞っているか、・・・そういう情報を腹から、手で、読み取ることができる。
 もちろん、ただ無意識的に何となく手を置いたのではダメだ。腹が動いている、その程度のことしかわからない。
 手を精巧な探査装置として機能させるためには、それなりの訓練が要る。段階的に、系統立てて、手の感覚と能力を目覚めさせていかねばならない。

 私たちが「人」として生きていく上で、最も頻繁に使われる部位が手だ。そして、手は全身と対応し合っている。あなた方が今読んでいる私の言葉も、手を通じて現われ来る。
 優れた術(わざ)の使い手を、「名手」とか「巧手」などと呼ぶが、手の最高能率を引き出すことは、あらゆる「道」の探究者にとって、最も興味あるテーマの1つに違いない。

 横隔膜は、肋骨下の際(きわ)と腰椎の間に張り渡されたドーム状の分厚い膜状組織だ。胸腔と腹腔を隔てている。
 これが上下することで腹式呼吸が起こる、と説明されることが多いようだが、誤解を招きやすい表現だと思う。
 呼吸に伴い、横隔膜は大きく形を変える。形の固定したものが、ピストンのように上下するわけではない。
 横隔膜は、肋骨と腰椎に付着している。ところが、横隔膜の動きがバランスを欠くと、胸郭や腰椎が不自然に歪み、その影響は全身の姿勢(骨格構造)へと直ちに及んで、体全体が歪むことになる。

 その逆もまた然りだ。つまり、体が歪むと必然的に横隔膜も歪み、歪んだ呼吸しかできなくなる。
 このように、横隔膜の歪みは全身骨格のアンバランスと密接に対応し合っている。そして横隔膜の不均衡は、前述のように腹にダイレクトに表われる。
 こうして、全身の歪みが腹に映し出される。井上仲子の術(わざ)も、呼吸を無視したものでは絶対になかったはずだ。
 
 横隔膜の動きがいびつだと、息を吸ったり吐いたりするたびに、みぞおちや背中が不自然にこわばり、凝滞感が生じる。息を大きく吸ったり吐いたりすることを10回も繰り返せば、誰にでも感じられるだろう。
 そうならずに、深く腹で呼吸することなど、果たしてできるものなのか・・・。そんな風にお疑いの方がいらっしゃるかもしれない。が、現実に可能だ。
 人体の構造に則りつつ腹式で息を吸う際には、横隔膜の外周にはまったくストレスがかからない。その「輪」をくぐり抜けるようにして、腹の中にスポッと息が満ちてくる。

 赤ん坊が、深い腹式呼吸を自然に行なっていることは、よく知られた事実だ。小さな子供の呼吸も深い。寝ている子供を観察すると、呼吸に伴い、腹が大きく膨らんだりへこんだりするのがよくわかる。
 大人の呼吸と、一体どこが、あるいは何が、違うのだろう? 

 簡単にいえば、赤ん坊の横隔膜運動が、中枢部である腱中心に基づいているのに対し、ほとんどの成人ではそれがズレている。つまり腱中心以外の場所が、横隔膜の中心として使われている。すると、深い呼吸ができなくなるだけでなく、呼吸に伴い横隔膜がひずむようになる。
 歪んだ息は、体を歪ませる。体が歪むと、心身が活発に流れなくなる。

 赤ん坊の横隔膜は、なぜ中心が取れているのか? 
 それは、赤ん坊にとって「(母乳を)呑む」ことと、「(息を)吸う」ことが同義だからだ。実際、赤ん坊は飲み(呑み)ながら、同時に息を吸うことができる。これは、大人にはちょっと真似できない芸当だ。
 腱中心には穴があって、そこを食道が通っている。ここに、「呑む」と「吸う」を統合し、息を腹式モードへと変換するための秘密がひそんでいる。

 いくつかのシンプルな方法により、誰もが幼少期に行なっていた本物の腹式呼吸を覚醒させることができる。
 これらのメソッドをしばらく熱心に実践すると、まるで空気を胃の中に呑み込んでいるのではないかと錯覚するくらい、息が腹の中にスムーズに入ってき始める。息をたくさん吸おうと力んだり、あるいは腹の中に収めようとしたりする「努力の感」は、まったくない。そもそも、そんな努力など一切不要なのだ。
 あまりにも自然に、楽に、息が腹の中にしみ込んでくる。これが真の腹式呼吸だ。
 日常生活の中で励行すれば、「元気」を感じる瞬間が日々増えていく。やる気が出てくる。疲れにくくなる。酸素供給量が増大するからだ。
 集中力も増す。気力も高まる。
 こうした効果は、腹式呼吸を正確に実践すれば、大抵数日〜1週間くらいで実感できるようになり始める。
 
「ハラ」については、書きたいことがいっぱいある。いずれも大切な要訣であり、心身活性化のポイントとなる秘鍵ばかりだ。
 しかし、それらについて詳しく記し始めるとキリがない。腹式呼吸誘発法を含め、発表は別の機会に譲ることとし、今は時空をジャンプして、井上仲子の元に戻ろう。

 * * * * * * *

 明治41年、仲子は大隈重信(侯爵、元総理大臣)と面会している。
「わしのところには種々雑多な療法を言うてくるが、お前さんの話はこれまでにない平凡な話である。平凡なだけ真理があり面白い」「マッスグでなけりゃいけないことは古来神儒仏の書物にも出ているが、これを手に取って行なう人に出会ったのは初めてだ」・・・そんな風に大隈は評し、東京に出て活動することを仲子に勧めた。
 その言葉に励まされて上京したのは明治42年で、仲子61歳の春だった。
 普通であればもう楽隠居を始めてもいい年齢だが、仲子は意気盛んで、大きな理想を抱いて上京したのだった。
 この時、彼女は次の一句を詠んでいる。

 六十路すき(ぎ) なほ撓(たゆ)まずにすゝみきし 猛き心は知る人そ(ぞ)知る

 当時の仲子の心境が、よく表われている。

 東上後の10年は治療に没頭し、大いにその力を発揮。実に多方面の人々が、仲子の元に集まった。
 仲子は小柄な老婦人だったが、凛然侵し難いところがあって、接する人は自ずから畏敬の念を禁じ得なかったという。
 毎日、夜の11時、12時頃まで治療に従事するにも関わらず、朝は4時に起きて仏前で読経、続いて5時には治療に着手する。
 日曜日も平日と変わらず、溢れる熱誠をもって治療を行なった。日曜を休むようになったのは、孫が学校へ行き始めてからのことであったという。

 仲子の姪にあたる足立とめは、次のように語っている。「私は30年の間、おばあ様に仕えて一緒に暮しましたが、そのうち、ついの一度もお治療に倦(う)んだの厭(あ)きたのというご様子や態度を拝見したこともなければ、またお言葉を聞いたこともございませんでした。ご病気の時でも、お治療となると気分が良くなり、お元気が出るというような次第で、ずいぶん側から見てご無理なことがありましたが、それでも押し通しておしまいになったことがたくさんにございます。おばあ様は文字通り、お治療に懸命だったのです」

 ある陸軍青年士官(後に大佐)は、井上家に逗留して家庭内の実況をつぶさに観察し、その内容が禅僧以上の質朴な信仰生活であることに驚いたという。
「私が東京で初めて刀自の家に宿泊治療を願いました時、私のために食物を外より取り寄せると申されますから、私はこれを謝絶して、刀自と同じものをご馳走ありたき旨、お願いいたしました。すると刀自はお笑いになりまして、『それならあげるが、よう食いなさるか』と言うて出されたのが、1週間分炊き置きのパラパラ飯と煮豆でありました。私も軍人として粗食には馴れておりますから、こんなことくらいでは驚きませんが、先生方がこれで満足しておられるのかと思うと、何とも言うに言われぬ感激を覚えました」

 治療を受ける人は1日30人を下らなかった。その中には大金持ちもいる、華族もいる、政府高官もいる。けれども取り扱いは一切平等で、特に便宜を図ったり丁寧に扱ったりするようなことは断じてしない。治療は、常に先着順だった。
 治療を受けたいが、貧困の故をもってできない人々のため、無料で施術する日も設けられていたそうだ。貧困者を以下の3グループに分け、それぞれ人数が定められていた。
 第1は、治療は無料、他に電車賃や食費をも給与する者。
 第2は、治療は無料、他に電車賃を給与する者。
 第3は、治療のみ無料の者。

 鈴木喜三郎(前内務大臣)は、仲子について以下のように書き記している。
「仲子女史のごときは、富を作り名を成さんと思えば、その機会は幾度もあったし、また方法もあったに違いない。しかし女史は決してかかることを望まれたことはなかった。されば富豪権門に対して少しも媚びるところなく、万人平等、常に正々堂々とした態度で進まれた」
「女史は、正義と愛のためにはすべてを投げ捨てるも辞さない方であったが、また金力や権力の前にも微動だもしない、実に稀なる高潔の女性であった」
 富豪某氏は、矯正術の霊妙な力を聞いて、毎日仲子を自宅に招き治療を受けたいと考え、行き帰りは自動車をもってし、お礼には数百万金を呈せんとて、再三使者をもって出張治療を申し出た。
 が、仲子はこれを謝絶し、自分の主義を曲げなかった。すなわち、「自分は1人のために多くの時間を割き、家に治療にみえる熱心な人々に迷惑をかけることはできない。ことに金をもってその補いをしようとの考えには賛成できない。もし希望されるなれば、皆と同じく、来て治療を受けるがよろしい」、というのである。

 仲子の一人息子・健一は、「母の生涯は徹底そのものでした」と述懐している。
 善と信じ、義と考えた時には、利害得失を考慮しないのはもちろん、世の毀誉褒貶をも顧みず突進した。自分の主義に対しては実に忠実であり、また勇敢だった。
 しかし、このために生涯を通していかに多く誤解され、欠乏と困難とに悩まされたかしれない。
 また、患者多数のため過労に陥り、何度か大病に倒れたこともある。そのため、患者を制限することについて各方面から忠告があったが、仲子は常に、「それかというて、この患者さんを捨てて置かれますかえ」と言って、容易に聞き入れようとしなかったという。

<2009.09.01 天地始粛(てんちはじめてさむし)>