Healing Discourse

ヒーリング随感 [第15回] 直指人心

◎以心伝心(いしんでんしん)、教外別伝(きょうげべつでん)、直指人心(じきしにんしん)、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)・・・禅のすべてが凝縮されているといわれる達磨の偈(げ:聖歌の詩句)だ。ヒーリング・アーツの世界とビリビリ共感する。

◎ヒーリング・アーツは、よりバランスの取れた統一状態が自ずから顕われ出るよう、身体の「心」を覚醒させていく。
 しばしば心と対立するものとして語られることが多い身体にも、実は独自の心がある。指先の心、腹の心、膝の心、すべて違う心だ。それを感覚と言い換えることはあながち誤りではないが、私たちが普段日々の生活の中で味わっているような感覚とは全然異質のものだ。

◎ワンフィンガー・ゼン。
 人差し指1本をそっと柔らかく差し伸ばし、その形を保ったままレット・オフ・・・・・。形なき大波がドーンと押し寄せ打ち寄せるかの如き内的感覚を、私は指をレット・オフした瞬間に感じ始める。それくらいハッキリした、ただし精妙な波紋が、指先から内的に起こる。
 ヒーリング・タッチ初心者でも、私と柔らかく触れ合っておけば、一指禅に伴い私の身体内部でどんなことが起こっているのか、一如となった心身の実感とはいかなるものなのか、その一端を体感的に味わうことができる。面白いことに、私の意識にどんなことが起こっているかも、垣間見ることができる。

◎たった指先1つと侮ることなかれ。確かに指先なんて大した力がありそうには到底見えない。しかし、今説明している部位は盲人にとっての目なのだ。そして、東洋医学では各指先からそれぞれ異なるエネルギー・ラインが発しているという。いわゆる経絡だ。
 経絡は、診断、治療のために使用される医療系の情報であると同時に、一般には知られざる兵法系のシステムとしての側面も併せ持つ。
 かつて身体の最も効率的な使用法を追求した日本の古流武術は、経絡の兵法的価値を最大限に認識し、活用した。

◎そういえば、私が師事した大東流合気柔術の岡本先生には次のようなエピソードがある。請われて習志野駐屯地の空挺隊(陸上自衛隊の精鋭)で指導を行なっていた時のこと、大東流には指1本で相手を投げるわざがあると耳にした大柄で屈強な隊員の1人が、「そんなことはあり得ない。信じられない」と言い出した。岡本先生は屈託なく自らの小指を差し出したが、件(くだん)の隊員がその指を掴み、思い切り逆にねじり上げた瞬間・・・、その様子を実際に観ていた目撃者によれば、「背丈くらいの高さまで舞い上がり、地響きを立てて背中から床に激突した」、のだそうだ。

◎指は全身とホログラフィックに対応し合っているから、指のたまふりは必ず全身に映し出され、全身のたまふりを活性化させる。

◎「爪は活気を与える利器」(肥田春充)。爪はたまふりのジェネレーターだ。爪のつけ根(爪根)に指の腹でそっとヒーリング・タッチし、爪の面に沿うようにして<凝集→レット・オフ>すれば、自らの存在感が一気に拡大する。広々とした戸外で行なうと、心も体も大空一杯・・・宇宙にまで拡がっていく開放感が味わえる。
 その拡大感をさらにレット・オフすると、今度は宇宙が自分に迫ってくる集約感覚を楽しめる。宇宙的な波紋に乗る超意識のサーフィン。

◎爪が灰色になったら・・・。この世界を去る時が近づきつつある験(しるし)だ。

◎洗面器かバケツに風呂より少し熱めの湯を入れ、そこに手を浸けながら一指禅を修するのも、特に冬場にはよい練修となる。

◎右指1本の先を、左指2本で柔らかく上下より(爪側と指腹側を)はさむ。そして、左指ではさんだ間(ま)を意識。
 まず、ラフな全体像をざっとつかむ。
 修法を執り行なう手順は、茶道や華道の作法、あるいは神聖な儀式の式次第に匹敵するものだ。厳格な、守らねばならない原理(ルール)がある。と同時に、いかなる作法・礼法をも超越した闊達さ、楽しさがある。
 さて、私が全体像と言った意味を理会されたろうか? 右指の上になった方は比較的意識しやすいが、下側はこれまでほとんど無意識・無感覚だったことが、こうして実際にその部分を感じようとしてみれば、すぐわかるだろう。
 やや強引に、そこに意識を押し込んでみる・・・と、地盤沈下みたいに、自分の中の何か、どこか上にあったものが「下」の方に落ちる。
 細かくやろうとしなくていい。最初から細密に感じようとすると、手だけに焦点が絞られてそれ以外の世界が意識野から締め出されやすくなる。全身丸ごとで行なうのだ。注意深さ、真剣さ、熱心さと共に、遊び心、無頓着、(結果に対する)無関心さをもって、常に全身丸ごとで感じる。
 少しずつ丁寧に、時に一方のみ、例えば右指の上側と触れ合っている左指とをこすり合わせ、その感覚をその場所そのもので感じる。次に同じようにして下側を感じ、さらに上下をクロスオーバーしていく。このようにすれば、徐々に、左指2本で挟んでいる「空間」を感じ始めるだろう。その空間は同時に、右指の空間でもある。
 その左指にはさまれた右指(=空間)をそっと差し伸ばす。力を入れて伸ばそうとするのではない。何かを指差す、ただそれだけだ。空間を「意図の波紋」が動く。
 そして、レット・オフ。

◎幼児があれこれ指差し始める時、世界との分離が開始され、やがて世界から「自己」が切り抜かれる。あなた/私、あれ/これ、こちら/あちら・・・・。指差しは、だから、私たちにとって最も根源的な分割の行為だ。
 その根本的な投影・分割の営みそのものを反転させる・・・・と、自分自身に一気に投げ返される感覚が起こってくる。外側の何かへと焦点(中心)が結ばれ、そこに注がれ出ていた注意が、自分自身の裡へと逆流してくる。静中求動を全空間的に心がけよ。
 外側を指差そうとする流れが正反転されれば、それは己(おのれ)の心へと一気に向かう。一指禅とは、自らの心をダイレクトに指差す術(わざ)だ。・・・直指人心(じきしにんしん)。

◎一指禅を少し錬ると、体表面に散在する波動センター(ツボ)に指でヒーリング・タッチし、各センターに秘められた能力・特性を引き出していけるようになる。東洋医学に伝承されてきたツボの効能や武術的行動点の意味などを、体感的に1つ1つ検証していくことも可能となる。

◎生命に調律を与えるもの、それが中心だ。様々な中心が、人体の表面に数多くちりばめられている。それらは、身体的聖地(エネルギー・センター)にほかならない。
 身体聖地1つ1つの意味・力・作用を学びつつ、順に巡り、至誠をもって礼を捧げ、ヒーリング・タッチで響き合い、彼方なる世界へと通じるゲートウェイを起動させて超越的生命力を招き、共に振るえる。これが身体における聖地巡礼だ。

<2009.02.25>