Healing Discourse

ヒーリング随感2 第6回 Be Water

◎ヒーリング・アーツは基本以前の基本、と『奇跡の手』に以前書いた。いかなるものより、さらに低い、と。
 私は、老子の言う水のような「低さ」について語っている。水は最も低きに居[お]って、世界の原理となる。
 周知の通り、私たちの身体も70%が水だ。
「私たちの心もまた、その70%は水である」、と喝破したのは環境考古学者の安田喜憲氏だ。
 物凄い洞察力だと敬服する。水のような、滞らず自由な心を持った、人生の達人たちの1人でいらっしゃるのだろう。
 安田氏の多数の著作を、私は最近読み始めたばかりだが、いずれも非常に啓発的だ。注1)

◎私も、「水になる」ことを、人々に教えている。自らの裡にある「水」に気づくための方法を伝えつつある。注2)
 自由に、流れるように、循環的に生きる道。

◎<粒子感覚>を充分感じるためには、・・・・・・まず、水にならねばならない。
 水になるためには、例えば全身をよくシェイクする。振って振って振りまくる。まず手足から始め、次第次第に全身的に。
 少々疲れたくらいで臆さず、ひるまないこと。大丈夫だ。疲れるくらいやって初めて、頑固に居座り続けてきた凝りもほぐれ、体の水感覚が目覚めるのだ。
 タイマーを使って毎日15分、1週間続けたなら、あなたは「確かに水になってきた」と実感するだろう。
 3週間励行すれば、きっと人生が変わる。私自身、そうだった。今でも、毎日欠かさない。
 好きな音楽をかけながら練修するとよい。
 これをヒーリング・アーツでは「身振り」と称する。単行本でご紹介した「手ほどき」も、身振りの一法だ。
 身振りをやればやるほど、ヒーリング・アーツは熟達する。
 求めずとも、粒子感覚が自ずと備わるようになる。

◎私が「水になる」と言っているのは、そういうイメージを持てということではなく、自分の体が本当に水でできていることが、体の中身そのもので体感できる状態があるという意味だ。たぷたぷゆらゆら、思わず笑い出してしまうほど、水そのものとなる。その身体と他者が触れ合ってみれば、やはり「水」をリアルに感じる。
 考えてみれば、実際に7割が水でできている体を水と感じるのは当たり前のことなのだが、自分の基礎感覚が水(流体的)であると体で認識する体験は、多くの人にとって非常に新鮮(時に衝撃的)なものとなるようだ。
 ヒーリング・アーツを学ぶとは、こういう驚きの発見を、我が身体と他者の身体において繰り返していくことだ。

◎手ほどきでも身振りでも、「手の掌芯を振る」ことが大切だ。指先でなく、掌芯(掌中央の大きく浅く円いくぼみ)そのものを振る。簡単そうだが、非常にトリッキーで難しい。
 小さく、ゆっくり、柔らかく動きながら、検証していってほしい。
 大抵の人は、「手を振る」際、指先を振っている。いったん正しても、ちょっと動こうとするその瞬間、再び古巣の指先を無意識のうちに振り始めてしまう。
 本当に掌芯を振り続けたら、手のど真ん中でたぷたぷ水が波打ち、手根骨(手のつけ根付近にあるたくさんの細かい骨)が1個1個ユラユラ揺れるのが、ハッキリ感じられる。
 そうなるまで、しっかり練修・研鑽していただきたい。かしわ手を打つ際、指を反らせて掌芯のみを叩き合わせ、掌芯の粒子感覚だけを活性化させることは、準備練修として非常にお勧めできる。
 その、掌芯のみに生じた粒子感覚(しびれ)、それ自身を、振ればよいのだ。最初は、ふわりと揺らぐように、ユラユラと。それから、次第・次第に:速く・大きく。
 手を伸ばしてものを掴むのでも、掌芯を常に主体として行なう時には、通常とはまったく違う身体感覚が発生するものだ。
 普通に腕を振るのと、掌芯を振るのとでは、運動の半径が変わるだけでなく、運動の軌道もまるで違う。

◎先日、「たまふりとはオーガズムなり」と妻に教えたら、「ヒーリング・アーツで波動関数的に術[わざ]を使うという意味がこれまでずっとわからなかったけど、今ので初めて理会できた気がする」と大層喜ばれた。
 粒子的とは、言葉を換えれば波動的、という意味だ。まるで光みたいに、粒子と波とが、内的感覚においては矛盾せず両立する。
 
◎掌芯を中心として手を使うことは、手の構造上、最も自然なことのはずだが、私たちの手はその自然なことが不自然・奇妙と感じられる不自然状態に陥っている。
 例えば、普通の腕立て伏せを、掌芯でやってみる。
 掌芯を手の中心として使う腕立て伏せは、これまでとまったく違う全身運動へとバージョンアップ(変身)を遂げるはずだ。
 分かりにくい人は、指を持ち上げ掌芯のみで腕立て伏せしてみるといい。最初難しければ、膝をついても構わない。
 その掌芯同士を打ち合わせ、再び手ほどき、身振りを楽しむ。常に、小さく、ゆっくり、柔らかく始める。

◎このような、掌芯(たなごころ)に中心を置く手をもって、粒子感覚を全身に探求していく。

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 エクペダン修法(第3回でご紹介)を1週間ほど継続してみた、という報告がいくつか届いている。体重計を2つ買ってきて実験したとか、部屋を飛び出し屋外でやってみたなど、各自でいろいろ工夫して楽しんでいるようで、読んでいてこちらまで楽しくなってくる。
 ヒーリング体験/感覚に基づき記された言葉には、ヒーリング力が宿る。言うまでもなく私も、最大のヒーリング力を、文章の一言一言に込めつつ執筆している。言葉と舞いながら。

<報告1(抜粋。以下同様)>
 少しずつ片脚立ちの時間を延ばすようにしています。認知モードをシフトするまでは、体を強ばらせているように感じるのですが、シフトさせるとともに、世界が違うのではないかと感じさせるくらいにガラリと変わるのを感じます。認知モードのシフトを行なわずに、外見的なバランスをとる動作を行なっても、身体の統一感は感じにくいのですが、動きを委ねているときというのは、身体に統一感があらわれているように感じます。
 そうした状態で動いていても、ときに瞬間体を強ばらせてしまうときというのは、それと同時に目の周囲にも力みが入っているように感じており、目の周囲にも注意するように心がけています。
 終了後、舞ってみても身体の統一感がはっきりしているように感じます。<S.H 男性・大分県>

<報告2>
 2つの同じ体重計に両足をそれぞれ載せて体重を計ると、左右で3キロ以上の差がありました。その後エクペダン修法を行ない、再び左右の体重を計ってみると、見事に同じ体重になりました。
「調律」というのが主観的なものでなく、科学的な数値としてはっきり示され得ることがわかりました。

 翌朝、前日と同様に体重計での計測を行ないました。
 まず何もせずに体重計に載ると、左が24キロ、右が26キロで、2キロの差がありました。その後エクペダン修法(左右約40秒)を1回行ない、再度体重計に載ると、左右とも25キロとなっていました。

 そのさらに3日後、何の練修もせずに2つの体重計に載ったところ、右も左も25キロで差がありませんでした。連日エクペダン修法を続けていることで、普段から左右のバランスが取れるようになってきたのかもしれません。<M.T 女性・広島県>

<報告3>
 今日は、外でエクペダン修法を行ない、バランスの変化が日常的な身体運動にどのような影響を与えるのかを、確かめました。
 近所の公園に行き、エクペダン修法を挟みながら、石段を何度か上り下りしてみました。普通だと、回数を重ねるごとに疲れで脚が重くなってくるものですが、脚が軽く感じられ、軽々と上り下りすることができました。それに、普通はどこかに無理がいき、気持ち悪く感じられる部分や、固くなるところがあるものですが、少なくとも今のところは、体に違和感が生じていません。もう少しいろいろな場面で試しながら、探ってみたいと思います。<S.M 男性・宮崎県>

<報告4>
 片脚立ちにて行なっているとき、ときに普段にない動き、例えば飛び跳ねたり、クルクルと回転し始めたりという変化が起こるときは、上体が持ち上がりやすく旧来の身体の使い方をしてしまうため、注意するよう心がけています。
 今日は外が晴れていたので、公園の芝生の上で行なってみました。片脚立ちで行なっていると、外の景色が腰腹へ流れ込んでくるかのように感じられました。
 動きに委ねていると、一度倒れて起き上がろうとしても不思議なくらいすぐに倒れてしまい、起き上がろうとしても倒れることを何度も繰り返し、片脚立ちどころではありませんでした。倒れることも何らかの意味があるように感じました。
 その後、舞って確認していると、体がしなやかになっており、また体そのものも軽くなった感じがしました。<S.H. 男性・大分県>

<報告5>
 エクペダン修法を約1週間続けてみて感じたのは、左右の顔のアンバランス調整効果です。
 朝起きた時に鏡を見るとそれほど気にならないのですが、夕方頃になるといつも顔の左右のバランスが崩れて、右と左が違う顔になってしまうことがありました。ごく微妙な崩れで、たぶん自分以外の人は気づかない程度の違いなのですが、その「左右違う顔になる現象」が減ってきています。
 朝起きてから夕方までの間に色々な動作や姿勢を取るうちに、全身の左右のアンバランスが強調されていく結果、顔にそれが現われてしまうのではないかと思っています。思わぬヒーリング効果があることに驚き、修法の威力に感激しています。<M.T 女性・広島県>

<報告6>
 エクペダン修法を行なって、趣味のフルート演奏がどのように変わるかを試してみました。
 まずある音階を吹いてみて感覚を確かめ、エクペダン修法を行なって息を整えた後、同じ音階を吹いてみましたが、全く感覚が変わっていたことに驚きました。
 息の続く余裕が大きくなり、音色自体もとても伸びやかになって、たっぷりと吹けました。
 心身のバランスが改善されたことによって、それまでに比べ、より少ないエネルギーで効率よくフルートが吹けるようになり、息にも余裕ができたのではないかと感じました。
 このような変化は、普通は練修を日々重ねる中で、長い時間をかけて徐々に熟達してくるようなレベルアップだと思うのですが、たった1分ぐらいの修法実践によってそういう熟達が起こってしまうエクペダン修法は、本当に凄いとしか言えません。<N.S 女性・神奈川県>

<報告7>
 エクペダン修法を行ない、舞を行なっていると、行なうたびにこれまでの先入観がオフされてきて、楽で自然に動けるようになってきました。
 私はこれまで電車に乗る時は、なるべく座席には座らないで、揺れる車内で立ち方の研究をするようにしてきました。
 エクペダン修法を行なうようになってからは、電車の車内でも身体のバランスが取れてきて、揺れに対して楽に立っていられるようになってきているのを感じます。
 これまでは、身体に力を入れて耐えていただけであったのを理会しました。<H.M 男性・東京都>

<2010.05.14>

注1:安田喜憲氏の著作はたくさんあるが、ヒーリング・アーツ修養者にお勧めするのは、『大地母神の時代』『蛇と十字架』『一神教の闇』『森を守る文明・支配する文明』『龍の文明・太陽の文明』『稲作漁労文明』など。
注2:水の「体現」については、『ヒーリング随感』第5回も参照。