Healing Discourse

ヒーリング随感3 第10回 ティティムル

◎わが家から少し下ったところに父方の本家があり、私が高校生の頃まで、その周辺はうっそうとした深い木立に覆われていた。
 明治か大正頃のこと。その本家の裏手にあった小さな洞穴にキツネが棲んでいた。そして、ある日、その洞窟の奥からしきりに仔ギツネとおぼしき鳴き声が聴こえ始めたという。
 おおこれはめでたいと赤飯を炊き、その洞窟の入り口に供えておいたら(さすがわが祖先)、翌朝、玄関の前に真新しいキジの死骸が丁寧に置いてあったそうだ。
 
◎こういった自然界との不思議な交流譚[こうりゅうたん]は、つい最近まで、どこの田舎でもあれこれ語り伝えられていたのではなかろうか?
 私の身近な人々の中にも、父方の曽祖父が山中で異様なサイズの大蛇と遭遇したとか、祖母が戦時中キツネにばかされかけたとか、いろんな不思議・あやかしを体験した者たちがたくさんいる。

◎話は変わる。
「人は泳ぐ猿から進化した」という説がある。
 人の手に水かきがあることや、新生児が直ちに泳げる事実に鑑みても、大いにあり得る話と思う。
 北米先住民の口承中にも、大昔、人の祖先は海辺に長く留まることで体毛を失っていった、という話[ストーリー]があるそうだ。

◎バケツまたは大きめのたらいに水を張り、親指と人さし指の間の水かきを使ってぐるぐるかき回してみれば、ただ単に「手でかき回す」のとは、まったく違う感触に驚嘆するはずだ。体験者たちは、「大きなウナギみたいだった」とよく言う。
 ミクロネシアのポンペイ島では、かつてオオウナギの神が崇められていたそうだ。
 オオウナギの神・・・。極めて興味深い。
 私は、ヒーリング・ネットワークの万神殿に、地球上の各所から、忘れ去られた古代の神々を勧請(かんじょう:呼び招き、祝い鎮め、斎[いつき]祀[まつ]ること)しているところだ。
 一体何のために?
 ・・・惟神、かんながら。

◎各指の間の水かきの、指との境の部分を、表(甲)側と裏(掌)側それぞれより、丁寧(皮膚面に垂直:極めて重要!)に押さえ、はさみながらたどっていく。
 すると、水かきという立体的な空間は、表裏対称の形ではないことがわかる。
 指のつけ根を、手の表と裏から正確にはさめば(そのためには、それぞれの皮膚面から垂直に働きかける)、誰でも確認できる。
 そのようにして表と裏から正確に触れ合っていってこそ、水かきへのヒーリング・タッチがよく「効く」ようになる。あっとびっくりするくらい。
 繰り返し述べるが、ヒーリング・タッチはあくまでもツールだ。それを、どこに、どのようにして使うか、が問題なのだ。ヒーリング・タッチだけで満足して留まっていてはいけない。

◎熱鍼法も、非常に役立つ。
 水かきの空間を意識しながらそこへ熱鍼刺激していけば、その空間内で「波紋の沸騰」が起こるのが如実に感じられるだろう。常に皮膚面に直角にコテ先を「立てて」いくことがコツだ。
 そうすれば、「手」そのものが変わり始める。確かに自分の手ではあるのだが、まるで別人のそれと感じられるほど、異様なまでに、滑らかに・自然に動く。否、波打つようになる。
 ところで、私たちのこの水かきだが、指と区別して使われるべきものでは、本来なかろうか? 私たちは水かきも指も一緒くたにして、ただ単に「手」とか「掌」「指」「甲」などと呼んでいるわけだが。

◎熱鍼法に話を戻すが、これはとてもいいものだ。
 電子機器を使う意外性も面白い。まさに現代的なヒーリング法といえる。
 療術の絶対シロウトが、鍼灸の達人なみのヒーリング効果を、即日、あげられるようになってしまう。
「実に胡散臭[うさんくさ]い話」なんだが、本当なんだ。
 実際に学んだ人たちからも、非常に感謝されている。ほとんど毎日の愛用を何年も続けている人たちがたくさんいる。それだけ、簡便でよく効く、ということだ。
 私と妻も、かなり頻繁に、長期(実験期間を含めると10年以上)に渡り、熱鍼機を使ってきてみて、その優れた効果を自らの体験に基づき自信をもって語ることができるようになった。体調調整、身体調律、感覚(感性)の細分化、活力増進(神経に繊細な火が灯される)などの諸方面で、熱鍼法は「絶大」といってよい効能を発揮する。
 
◎熱鍼法は、先人の努力・精進の結晶だが、ヒーリング・ネットワークでは古書を通じてそれを独自に研究し、現代に甦らせることに成功した。
 これで楽になった人、救われた人は、私が直接知るだけでもたくさんいる。
 健康で元気が有り余っているような人が使えば、身体能力をより高度に調律し、非常に細やかな感性を養っていくことができる。

◎数年前、熱鍼法の研究がほぼ完成に近づいた頃、新情報が飛び込んできた。創始者・平田内蔵吉[ひらたくらきち]直系の弟子にあたる人々が今も少数ながら存在し、熱鍼法(心療法)を実際に行なっているらしい、というのだ。
 直ちにヒーリング・ネットワークの同志たちが各地に飛び、それらの人々を探し当て、その施術を実際に自ら受けてみた。
 これで確証が得られる。私はナイーブにも、そのように無邪気に期待し、報告を待った。

◎その結果は、・・・・・ああッ、どうしたッ!?
 皆、体が異常に重くなった(施術者によれば好転反応とのこと)。とてもだるくなった。翌朝起きるのが非常につらくなった。
 聴けば、熱鍼機も、施術法も、我々のそれとは随分違っていたという。
 丸い鈍器のような「改良型」機器で、体中あちこちトントンポンポン、大きな音が出るほど「叩かれた」そうだ。
 ある者は、片方の前腕に施術を受けただけで、体内のエネルギールートがどうにかなってしまったものか、直後より皮膚に発疹が出始め、それが全身に広がって痒みで熟睡できないほどになった。この症状があまりに長引いたため、海でシュノーケリングすることを勧めたら、劇的に改善され、その後完治した。

◎誤解していただきたくないのは、私は先輩諸氏を批判しようとしているわけでは、決してないということだ。
 とりわけ、友人たちがヒーリング・ネットワークの代表として伺った際、どなたも(いずれもプロの療術家)非常に親切に長時間対応してくださったといい、批判めいた不遜な言辞を弄するわけには一層いかぬ、という気持ちになる。
 が、・・・・・・申し訳ない。
 明らかに間違っていて先師の意思に背[そむ]くような場合、それを正すことこそ、故人の御霊[みたま]に対する最高の敬意の払い方であり、最上の供養となると私は信ずるものである。

◎最初小さく尖っていた熱鍼機(初期モデルの実物が私の手元にある)のコテ先が、なぜ、いつ、誰によって、太く大きく鈍いものへと変えられたのか?
 平田内蔵吉自身がそうした、と「継承者」たちは口を揃えて言う。
 それで、患者の体をぽんぽん適当に、強く叩いていた、と。
 自分たちは、それとまったく同じことをしているのだ、と。
 そんな風に本当に見えたのだとしたら、その人たちの目は相当な節穴といえる。
 そういうやり方では、内蔵吉が特に強調して図解まで残した2大要訣——「皮膚に直角に(コテ先を)当てる」と「コテ先が皮膚に食い込まぬように(皮膚が大きく凹まないように)」——に、明らかに背くことになってしまう。
 この観点から、「鈍器で適当にあちこちポンポン」をゆっくり行なって検証すれば、とんでもない角度で・とんでもない食い込み方をしていることがハッキリわかるだろう。
 これは、実際にその同じ器具をヒーリング・ネットワークで購入し、自ら何度も実験して確かめたことだ。
 ゆっくり、柔らかくやってみれば、誰でもわかる。

◎太くて鈍くて重いのは、ダメだ。絶対に。
 刺さらない程度に尖っていて、軽やかに皮膚に乗せられるようなものでなければならない。
 太重いのを熱くして体にたたき込むと、一種の気持ちよさも確かに感じはするのだが、まもなく妙な重苦しさが新たに生じ始めたことに気づくだろう。
 すると、「もっとしてほしく」なる。下手なあんまや指圧をされた時と同じだ。

◎それに対し、内蔵吉のオリジナルな教えに基づき、小さく鋭く柔らかく、リズミカルに、流れるように、身体のフォルム(形)に沿って熱鍼刺激を与えていったならば如何[いかん]?
 体のどこでもいい。
 10〜20センチを数列で充分だ。
 たったそれだけでも、大抵の人がかなりの「効果」を、即、実感する。
 そこだけ伝説の羽衣[はごろも]をまとったかのごとき、繊細さ、軽やかさ、滑らかさが生じる。
「これほど(効く)とは!」という感嘆の言葉が初体験者の口から漏れるのを、私たちはこれまで幾度耳にしてきたことだろう。

◎太重いので勢い良くポンポンか、尖[とが]った軽いのでふんわりそっと・滑らかに流れるように、か。
 なに、実に簡単なことだ。あなた自身が、ご自分の背中の左側と右側に、2つのやり方でそれぞれ施術を受けてみればいい。すると、よほど心身が硬直している人でもないかぎり、あまりにも明らかに、ハッキリと、両者の違いがわかる。
 天国と地獄。あるいは羽衣と富士壺[フジツボ]。・・・・申し訳ない、が、事実だ。

◎話はさらに唐突に変わる(随感とは元来そういうものであろう)。
 第3回でご紹介したパラオのティティムルだが、同時に蒔[ま]いた他の3つの種もその後すべて発芽し、いずれも順調に成育中だ。現地で観たティティムルは、かなり大きな太い木に育っていた。
 熱帯の炎天下の車中に数時間放置されてなお、平然と太い大きな芽を吹き出してくる野太い生命力にも驚かされるが、数週間後、それぞれの苗のすぐそばから第2の芽が伸び始め、それだけでもびっくりなのに、さらに第3の芽を吹いたものまである(種は1つのポットに1つ)。

クリックすると拡大

 こういうことは柑橘系の植物では珍しくないらしいが、我々絶対シロウトにとっては物凄く珍しくて、たまらなく面白い。
 最初に発芽した苗がかなり育ってきたので、葉っぱを1枚(舞)そっと丁寧に摘み取り、妻と半分ずつ試食してみた。
 すると、たちどころに、パラオ叙情ともいうべきフィーリングでハートが満たされた! 足取りがふんわり軽くなった感じがして、心がうきうき浮き立つ。
 妻と共に、ティティムルやパラオを礼賛することしばし。これはスープだけでなく、サラダでもいけそうだ。
 ティティムルの葉には独特の酸味がある。熱帯アジアのハーブのように強烈に個性を主張するものではなく、もっと地味で、雑草みたいな味もするんだが、しかし何か人を病みつきにさせるような不思議な魅力がある。これと似たものを、私は他に知らない。
 わが家では、一室を熱帯植物栽培場へと改造し、ティティムルを盛大に育ててみることにした。
 そんなことをしてどうする、どうなる、と、不粋な問いを投げかけめさるな。
 惟神の道だ。かんながら。
 神を流れながら。

<2011.10.14 菊花開(きくのはなひらく)>