スライドショー1-4 <龍神(前編)> 撮影:高木美佳 2010.11.19

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ライナーノーツ

高木一行

龍神(前編) 撮影:高木美佳 2010.11.19

 龍、と古来より呼ばれてきた複合波紋体を、わが身の裡に祈り招く。そして、龍が慶雲(五色の瑞雲)をまといつつ舞うがごとき自発調律運動を表わしながら、フレキシブルな心身を練り・磨き・鍛える。龍神と交信・交流する神聖舞踏。
 それが龍爪掌[りゅうそうしょう]だ。

 龍爪掌を修すれば、体と心の中身が水のように流れ始める。闊達・自在な感覚が、生理的に感じられるようになる。
 まるで水のようだ、ではなく、本当に水そのものとなった感じがする。私の体のどことでもいいからあなたが触れ合う時、その場所から実際にリアルに伝わってくる特殊な体感について、私は語っている(注1)。
 そうした流体性に基づく身体感覚・運動を、私は流身と呼んでいる。流はまた龍でもある。

注1:「水なる体感」について詳しくは、『ヒーリング随感2』(第611回)参照。

 龍神を招き降ろし、心身修養の稽古をつけていただく。それが、ヒーリング・アーツ独自の修法、龍爪掌だ。
『奇跡の手 ヒーリング・タッチ』で公開した蓮華掌[れんげしょう]と同じく、ヒーリング・タッチを基本とし、それを珠持つ手へと応用する。
 球をヒーリング・タッチの原理に従ってホールドした、そのニュートラル状態より、掌の真ん中に凝集と拡散の作用を交互に起こしていく・・・・ことで、身体内に特殊な波紋集合体が多層・多元的に生じる。
 あたかも龍が悠然と大空を舞うかのように、あるいは深い水中を流れ泳ぐかのように、様々に自由に、いろんなSTM(注2)が湧き出てくる。

注2:STMとは自発調律運動(Spontaneous Tuning Movement)の略。詳しくは、『ヒーリング・アーツの世界』(第45回)参照。

 龍爪掌を毎日熱心に修していく・・・と、やがて、龍が体の中をぐるぐる巡ったり、あるいは自分が龍に変身したみたいに感じられる・・・体験が、頻発するようになる。
 かつて、龍爪掌を終えての瞑想中、突如として、龍が顔の皮を食い破って体の中から飛び出してくる体験を、私はしたことがある。もちろん、そんな風に感じたというだけのことだが、しかし、あまりにも生々しい感触ではあった。

 上記は、修養者が主観的に感じることであって、ナワーリング(変身)はあくまで個人内面で起こるものだ。
 それでは、龍爪掌を私が修する様を、ヒーリング・アーツ式写真術で帰神撮影するとどうなるのか? 
 それを実際に妻の美佳が試み、その結果得られた多数の作品の一部が、『龍神』(前・後)だ。
 撮影年月日は、『金秋』と『龍田姫』から4日後。

 ご覧になればおわかりの通り、「大変なもの」が、またしても写し撮られてしまった!
 まさに、龍神そのもの。
 水の様々な相をあらわすかのように、様々な龍の姿が、様々な形で、私の身体という立体キャンバスに、虚数的に描き込まれている。

 帰神撮影にあたり、私はいつも通り、まず姿勢を整え、合掌→かしわ手を打ってから、水晶球をヒーリング・タッチでホールドし、労宮(掌の中心)に潮が満ち引きするような虚実の呼吸的作用を通わせた。
 もちろん、観の目も忘れない。
 そして祈りの態勢に入る。
 すると、独特なSTMが自然に生じてくる。
 ただ、それを写しただけ・・・・。ただし、ヒーリング・アーツを使って超越的に。
 その結果、私たちが思いもかけなかったような世界が、リアルに映し出されてきた。

 事ここに至って、さしも呑気な私たちも、「これはただごとじゃないぞ」・・・と、自覚を深め、注意をもっと払うようになり始めた。 
 躍り上がって跳ね回りたいような高揚感、うれしさを感じつつも、より謙虚に・慎重になるよう、自らを、そしてお互いに、戒め、戒め合っている。今、現在も。

 ヒーリング・フォトグラフの新世界を、私たちは今、驚きの目を瞠[みは]りつつ、共に探求しつつある。
 あまりに深入りしすぎると、危険な霊的事態を招きかねない暗黒領域も、ヒーリング・フォトの裡には秘められていることを、私たちはつい最近発見したばかりだ。呪術的な性質を帯びた電気的火花が、そこでは激しく飛び交い、劇しく飛び散っている。それについては、後日改めて書くつもりだ。

 危険であると同時に、素晴らしく美しい神秘の世界。
 それはまさしく、魔術や神話の領域だ。
 面白い。

<2011.03.21 春分(龍、春分にして天に昇る)>