Introduction

世界への福音 高木一行

 私は、冤罪えんざい(無実の罪)で刑務所へ送られた。
 刑務所というのは、まさに異次元の世界だ。娑婆しゃばの常識は刑務所の非常識、刑務所の常識は娑婆の非常識。裏切りや密告、足の引っ張り合い、陰湿ないじめや暴力沙汰など日常茶飯事。そんな異界で、4年余の歳月を送り迎えした。
 2013年に不当逮捕されて以来、今日まで、不毛な裁判を含め、足掛け8年もの間、公私両面で著しく活動を妨げられたことになる。

 2年以上に渡った法廷闘争においては、明らかな無罪の証拠の数々が、癒着を隠そうともしない検察官・裁判官らによって平然と揉み消され、白昼堂々、ありもしない罪が、傍聴席を埋めた人々の目前で、でっち上げられていった。検察官は、私を裁く根拠となる法律の正当性(定められたルールに則って正しく制定・改正されたという証拠)すら、示すことができなかった。私の無実を証明できる証人を法廷へ呼ぶことも、許されなかった。そういう信じがたいデタラメが、我が国の法廷ではごく普通のこととして現在もまかり通っている。
 弁護士の一人は、裁判途中で卑劣にも敵前逃亡した。別の弁護士は、公判初日に大幅に遅刻して裁判長をひどくいらだたせた上、裁判書類すら準備してこなかった。他の弁護士は・・・いや、やめておこう。キリがない。
 我が国の司法は、一体どこまで腐っているのか? 国連で「日本の司法は中世なみ」と非難・揶揄やゆされるのも当然だ。

 こうした国家の無法に対し、「でっち上げだ」、「憲法が国民に保障する公平公正な裁判を求める」、などと抗議すればどうなるか?
 おかみに逆らう不届きな態度とみなされる。そして罰として、弁護士たちや法律家、社会学者、その他の良識ある大勢の人々が「あり得ない」、「聞いたことがない」と眉をひそめたような重い刑を言い渡された。
 ご存知だったろうか? 日本の刑事裁判の有罪率は99.9%(私の裁判当時)。ナチスドイツや旧ソ連の悪名高い暗黒裁判ですら及ばない。
 
 無実をあかししようとするあらゆる努力が水泡に帰し、有罪が確定した時、これは<天命>なのだと悟った。人為によっては絶対に変えるあたわざるもの・・・であるならば、従容しょうようとして(ゆったりと落ち着いている様)それを受けれ、刑務所行きを「修行」と位置づけ、楽しむ! そのように、認知を根本的に書き換えた。
 それに、私が生涯をかけ真剣に探求し、人々に説いてきたヒーリング・アーツは、刑務所でも実際に効くのか、という興味もあった。
 修業の機会、と述べたが、それは本当に稀な、金をいくら積んでも決して得られないものであることは間違いない。何度も刑務所へブチ込まれたことがあるガンジーいわく、「罪を犯して刑務所へ送られることはたやすい。しかし、無罪なのに刑務所へ入ることは難事である」、と。

 刑務所がこの世の地獄であるなら、その地獄を花園に変えてみせる。そのような意気込みをもって、意気揚々と刑務所へ乗り込んだ。
 後日、囚人同士の雑談を許されている昼食後のわずかな休憩時間中、ふとそれ(地獄の花園化)を口にしたことがあるのだが、物笑いの種にされるか、無視されるか、と思いきや意外にも、その場にいた全員が口をそろえ、強い調子で、「本当にその通りだ。確かに花園にしてますよ!」と同意してくれたことが、今も強く印象に残っている。

 刑務所というところは、不安や煩悶、苦悩、恐怖、退屈・・・などが渦巻く、文字通りの「苦海」だ。その真っ只中にて、苦を実際にほどくことなどできるのか? 
 途方もない問いかけと思える、一般的には。
 が、ヒーリング・アーツの根本原理であり奥義でもある「レット・オフ(内破法)」というわざを使えば、確かに、明快に、肉体・心理の両面で、即座に、苦から解き放たれることが可能なのだ。
 この事実を、自らの体験を通じ確証し得たことは、「刑務所修行」の大いなる成果の一つといえよう。刑務所生活中、様々な場面でレット・オフの偉功を実証するたびごとに(その数、真に無数)、これは天来の恩寵にほかならないと強く感じ、敬虔な感謝と祈りの気持ちが胸中より湧き溢れてくるのを押しとどめることができなかった。
 そうした体験を幾度も重ねるうち、自然に確信するようになった。
 今置かれているこの境遇はまさに天命であり、究極の奥義を極めるための修業にほかならないのだ、と。

 刑務所内で、神経反転のわざ(レット・オフ)を常に心がけていたことが、思いもよらぬ(好あるいは悪)影響を環境にまで及ぼし始めたものか、私がやってきた当初、厳格で融通が一切効かず、規則一点張りで、職員との必要最低限以外の会話などもってのほか、・・・という、まあ刑務所というのはそういう場所なんだろうと誰もが納得するような堅苦しいところだったものが・・・・まもなく、緩みに緩んでだらだらに堕落しきり、ちょっとやそっとのことでは文句など言われないし、少しぐらいの暴走も見て見ぬ振り、ついには最も静粛が要求される刑務作業の真っ最中に、監督役の職員やら、(普通では目を合わせることすら許されない)幹部職員までが、私の元へ来て雑談を始める、という奇観を呈するに至った。
 それらの人々がズラリ居並んで見送る中、私は出所したのだが、監獄体験がある人に後日そのことを話したら、「(職員たちに見送られるなど)あり得ないことだ」と驚いていた。出所を出迎えてくれた妻が、職員の一人が私に向かって、「どうもありがとう。みんながいろいろ世話になって・・・」と声をかけるのを聴いたと面白がっていたが、確かに普通はこちらが相手に言うべきセリフだ(呵々大笑)。

 私が収監されていた山口刑務所は、職業訓練施設という側面もあって、全国の刑務所から選考試験を経た優秀かつ模範的な囚人が集められていた。私も様々な職業訓練を通じ、北海道から九州、沖縄まで、いろんなところから護送されてきた囚人たちと知り合い、各地の刑務所事情にも相当詳しくなったが、他施設から来た人たちが一様に驚き、口にしていたのは、「このフレンドリーさは、とても刑務所とは思えない」、「こんなのに慣れてしまったら、職業訓練が終わって自分の施設に戻った時が怖い」・・・と。

 山口刑務所というところが、最初からそんな風だったわけでは、もちろん、ない。レット・オフ作用を私が発し続けたから、刑務所まで勝手にオフになっちゃった・・・などと主張するつもりも、毛頭、ない。
 ただ、私が出る直前、人員が大幅に一新され、規則が新たに作り直され、再び前のような、規則・規則・規則・・・で雁字搦がんじがらめに固めた堅苦しい状態に逆戻りしたことは事実だ。今も残っている囚人仲間たちは、随分と窮屈な思いを耐え忍んでいることだろう。

 不自由で窮屈で単調で退屈極まりない、無味乾燥、モノクローム、美のかけらすらない、そのように意図的に作り出された狭苦しい、えた匂いの充満する不潔な空間に長期間、閉じ込められ、非人道的な扱いを受ける。そのこと自体が変わるわけでは、当然、ない。変わらない、変えられない、ということが、刑務所の絶望だ。
 が、それを楽しむことであれば、大丈夫、できる。
 いくらでも余りあるほどにある、「苦」という素材を、神経的に反転させることを通じて。
 これは、外側の世界をどうにかしようとする「意図」をネガフィルムのように反転させ、自分自身の内面に向かって作用させるわざだ。それを私たちはレット・オフ(内破法)と呼んでいる。
 神経的、と述べたが、レット・オフは単なる観念論や思い込み、信念、信仰の類いと違って、人体の神経系を実際に操作する心身相関的技術だ。

 レット・オフの副産物として、外側の世界が何らかの形で「変わる」ものなのか、それは知らない。
 ただ、収監されている間、刑務所という閉鎖的空間であったことも関係あるのだろうが、劇的といっていいほど、周りにいる人々が、刑務所職員を含め、私のレット・オフに呼応するかのように、変わってゆくのを、何度も何度も目撃した。
 こちらから直接、何らかの働きかけをしたわけではない。そもそも、心身修養とか健康法とか武術とか、そういった諸々のことがらについて、自分から誰かに語り始めたということが、一度もない。にもかかわらず、行く先々で、新しく知り合った人々から、健康問題を相談されたり呼吸法とか瞑想とか武術とか、私が関心を寄せることがらについて尋ねられたのは、今思い起こしても不思議としか言いようがない。
 そして、尋ねられれば、相手がわかり、納得できるよう、言葉を尽くし、(看守の目を盗んで)実技も交えて説明する。・・と、皆、目を輝かせて聴き入り、教わりたがる。職業訓練等で作業工場や居室を10回以上もあちこち点々としたが、どこへ行っても先生とか師匠などと呼ばれていた(呵々大笑)。
 
 ヒーリング・アーツと龍宮道との関係について、まだこの<道>に不慣れな方々のため、簡潔にご説明しておく。
 ヒーリング・アーツの武術的な応用として龍宮拳(ヒーリング・マーシャルアーツ)が体系的に自顕じけんし始めたプロセスは、ヒーリング・ネットワーク1(2007~2013)で詳しくご報告した。
 その龍宮拳がみるみる成長してゆき、裁判中も、刑務所の中でも、そして現在ももちろん、さらなる深化/進化を続けていって、今や武術という狭い枠組みを越え、「人間存在の本質の探求」と「地球調和」を2大テーマとする一つの<道>が、自ずから形をなしつつある。それが龍宮道だ。
 ヒーリング・アーツも龍宮道も、<ヒーリング・ネットワーク>という一つの同じヴィジョンを共有する。
 ヒーリング・アーツが根で、龍宮道は花、または果実だ。
 具体的なわざの変化としては、ヒーリング・ネットワーク1時代の後期よりももっと透明に、さらに滑らかに、複雑至妙に、「波打つ」ように、なってきている。自分自身の身体も、精神も、それから他者との武術的触れ合いにおいても、以前とは比較にならぬほどの、「水」を感じる。透明さを感じる。

 あらゆるストレス、あらゆる煩悩ぼんのうを、生理的実感を伴いつつ、粒子状に解体して解き放ち、精妙なエクスタシーへと錬金術的に変容させる。そんな夢みたいな方法が現実にある。
 それがレット・オフだ。
「苦」を「楽」に変換できる。
 苦を取り除くとか忘れるということではなく、苦の感覚そのものに直接神経的に働きかけ、神経情報を苦から楽へと書き換えるのだ。同じやり方で、欲望もほどくことができる。煩悩万般に効くことを、刑務所修業で徹底的に確かめてきた。

 これは、全世界の人々の元へと届けるべき、福音ふくいん(喜ばしい知らせ)だ。
 人類は今、自らの欲望を適度にほどくすべを切実に欲しているのではあるまいか? 欲望の集団暴走が、地球環境の変動をこれ以上加速すれば、人類文明そのものの存続さえ危ぶまれるほどの危機的状況が、間もなく到来するだろう。その日は遠くなさそうだ、このまま突っ走り続けるのであれば。

 そうした地球規模の危機の時代ときにあたり、私自身はこれから一体何をしようというのか? どのように生きれば、人間としての誇りや生き甲斐を、最高に燃え上がらせることができるのか?
 無心(帰神状態)にて、以下にオートマティック・ライティングでつづってみる。
 ・・・・・・・・・・・
 生命に奉仕する。
 水のように自在に、流れ・波打つ身体と心。その歓びを、人々に伝える。
 風や海、様々な生き物たちと共感し、心を通わせられる人々を増やす。
 人類が欲望から自らを解放する手助けをする。
 それがいかに無益に思えたとしても、おのれの信ずるところに従って行動する。
 アール・ド・ヴィーブル(生活の芸術化・美化)を、人々と共に楽しむ。
 逍遥遊しょうようゆう。心のおもむくまま流れるように、自由自在に生きる。

 ・・・私は自己犠牲とか新しい規範などについて語っているのではない。
 個人の内面で、自然に、楽に、楽しく、自律的に、静かに、・・・執着を終わらせる道。
 そして終わりには、新しい始まりがある。

ヒーリング・ネットワーク2創建の日に(2021.02.22)。 

 付記
 裁判や刑務所収監中、様々な形で応援・激励・支援してくださったお一人お一人に対し、改めて深甚なる感謝の気持ちを表明させていただきます。
 皆さんの祈りが常に共にあったればこそ、過酷な刑務所修業も無事完遂することができました。常に私を信じ、支え続けていただいたことは、いくら感謝してもしきれません。
 受けたご恩は、残りの人生すべてをかけ、人類へ返してゆきます。
 地球調和の祈りと共に。

高木一行(たかきかずゆき)

1960年、広島に生まれる。東京大学中退。
様々な瞑想法、健康法、能力開発法、武術等について、40年以上に渡り深く研鑽を積み、かつては雑誌への寄稿、単行本の出版、不特定多数の人々を対象としたセミナー等を通じての啓蒙活動に従事。その後世間との接触を断ち、心身錬磨の修業を深める過程で、ヒーリング・ネットワークという根源的ヴィジョンを得る。
新たなヴィジョンの元、いやしのアート(わざ)を分かち合う活動を2007年より開始。2013年、無実の罪により不当に逮捕され、懲役4年半の有罪判決を受けたが、刑務所生活をも修業の一環として活用し、2020年に出所。2021年、ヒーリング・ネットワークの活動を再開、現在に至る。広島県在住。