西表島巡礼より帰還して約2ヶ月。今度は沖縄の阿嘉島(慶良間諸島)へ行ってきた。
最初、休暇のつもりだったのだが、結果的には巡礼&修業三昧の日々を過ごしてしまい、一人旅の旅愁を味わう暇すらなかった。が、それもまた楽しきかな、だ。
今回のトラベローグでは、写真とスライドショーをメインに据えながら、スライドショーから任意にピックアップしたフォトへのコメントという形で、龍宮の物語を心のおもむくまま自由自在に、物語ってゆこうと思う。
毎朝、鳥の声で目覚め、海で終日修業し、夕陽を観ながら瞑想し、夜は満天の星々を仰ぎながら遠く宇宙の彼方にまで意識を拡げていった。
これはパパイヤ。黄色く熟して柔らかくなると、食べ頃となる。未熟な青パパイヤも、沖縄ではチャンプルーなどいろんな料理で野菜として活用されている。ちなみに、チャンプルーというのは沖縄言葉で「ごちゃ混ぜ」を意味するが、まったく同じ意味・同じ発音の言葉がインドネシア語とマレー語にある(campur)。
宿泊した宿の向かいのお宅の庭で、果実をたわわに実らせるこの見事なパパイヤの木を毎日飽きることなく帰神撮影していたのだが、よほど物欲しそうに見えたのか、その家のご主人が熟した実を宿に届けてくださった。
海流やその他諸々の条件に恵まれているのだろう、那覇市街地から高速艇で50分程度の至近距離にあるとは信じがたいほど、慶良間諸島では豊かなサンゴ礁が今も健全に保たれていた。2016年に世界規模で起きたサンゴの白化現象も、ここ慶良間ではあまり影響がなかったそうだ。
健やかなサンゴ礁にしか棲まないテングカワハギとも出会った! 体長数センチ〜10センチ程度の小さなカワハギ類だ。
古い知り合いの元気な姿を観るとホッとする。おしゃれな模様と色にも注目。
『ケラマ・グレイス』に登場したウミガメたちが、「また来たのかい」とばかりに鷹揚に迎えてくれた。
野生のウミガメと海中で(ごく短時間)出合うことはそれほど難しくないが、5分でも10分でもずっと一緒に泳げる(ウミガメがつきあってくれる)ような、原初の楽園の如き場所となると、全地球レベルで探しても極めて少ないだろう。私自身は、阿嘉島(それもある特定の場所)しか知らない。
こちらはウニの仲間のナガウニ。
普段、このサンゴの穴の中で暮らしていて、食事の際は外出するのだろうか。
あるいは、たまたまここにいただけなのか。
まさかずっと中に入ったままということはないと思うが、それにしてもこの穴は自然のものか、それとも誰かが開けたのか。まさか、このウニが・・?
ウニが穴を出入りするとしたら、どんな風にやるのか・・・。
海は果てしなく好奇心を刺激し、龍宮の物語が紡がれてゆく。
慶良間の海には、シャコガイがいっぱいいた。みかけるたびに帰神撮影しまくったので、今作のほとんどの帰神スライドショーにシャコガイが登場することになりそうだが、あらかじめご了承(あるいはご期待)いただきたい。
ちなみに、シャコガイのあのいろんな模様や色は、共生する褐虫藻によって描き出される。そしてシャコガイには、あのびらびらしたところ(外套膜)に小さな「目」がいくつもついていて、近寄ろうとするとサッと外套膜を引っ込め貝殻を閉じてしまう。つまり、シャコガイも油断なくこちらを「観て」いる。今後シャコガイが登場するたび、そのことを意識してみてほしい。お互いにみつめあえば、シャコガイから「観られる」時のある種淫靡な感覚を、あなたも感じられるかもしれない。
誰かが戯れにデザインしたとしか思えないような、このモンガラカワハギの奇抜な模様や色使いを観よ。
そして、尻尾やその他のヒレの動きにも要注目だ。「それ以上、近寄るな!」とでもいわんばかりの意思を込めた、まるで追い払おうとしているような波紋が感じられないだろうか? それが、「魚の心」だ。
魚の周りの空間は、水が満ちていて波の媒体となる。そのことを思い起こしながら写真と向き合えば、魚から発せられる波紋に込められたメッセージ(魚の心)が、やがて「観える」(あるいは感じられる)ようになってくる。
観るための、最も簡便な練修方法は、写真の四隅を全部均等に同時に意識する。その状態をずっと続ける。その間、まばたきを一切しない。あれこれ考えることも抛擲する(全部投げ出して忘れてしまう)。
これを観の目という。観の目は、宮本武蔵が『五輪書』で言及している重要な目の使い方だ。私は、観の目にてあらゆる写真、動画を撮っている。
この基本練修ですら、一度に4つのコーナーすべてを同時に、均等に、バランスよく、意識することはなかなか難しい。初心者はまず2つから始めるといい。
2つ意識するだけでも、観え方がぐっと違ってきて、その意識したところが特に立体的に、リアルに生々しく、まるで命が通っているみたいに、感じられてくる。そういう視覚の変性状態を「観る」と、私の文章では表記している。
自分が普段暮らしている何でもないような景色が、観の目にすると突然、活き活きとしてクリアーで、立体的で、超精細な世界と化す。これは、熱心に練修すれば誰でも出来るようになることだ。
自分の住む環境を面白みのない凡庸なものと「見る」か、美と驚異に満ちた生命あふれる世界と「観る」か、それによって日々の暮らしを生きること、そのものの質が、天と地ほども変わってくるのは当然だろう。
観の目が人生をより豊かなものとする、と私が力説する所以だ。
毎日の終わりは、大体こんな感じ。波がざわめき立っていたり、優しく穏やかだったりと、夕暮れの海の表情は、その時々の天候によって様々にうつろう。
壮大な夕陽ショーに引き続き、夜の浜辺の神秘とか、満天を覆う星々とか、いろんなイベントと南島では出会うことができるのだが、今回は夜間撮影や星空撮影にまでは手が回らなかった。
さて、日が沈んでからが、龍宮道修行者にとってはむしろ本番だ。
誰もいない夜の浜辺や蛍飛ぶ山中のヘリポートなどで、一般には公開してない龍宮道の秘伝行法を修する楽しさ。
昼間の海での修業が、直ちに成果となり、新しいわざとして錬成されゆく不可思議さ。
天地自然の様々なスピリットの力が、呼吸に乗って期せずして注ぎ込まれ、満身を螺旋状に巡る。そして、天空をよぎるティンガーラ(天の川)のもと千変万化の神楽舞として顕われる。その舞は武へと直通し、武はさらに昇華されて巫(呪術)ともなり、かくて地球調和の祈りが超越的に奉納される。
これぞ、龍宮巡礼なり。
帰神スライドショー
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<2021.10.16>