1995年、1頭[ひとり]のイルカが利島周辺に棲みついた。
後にココと名づけられたそのイルカは、漁師たちとの交流を徐々に深めてゆき、やがて「利島心[しん]住民」として正式に認められた。
もちろん、そこに至るまでの道のりは決して平坦なものではなかった。「イルカなど殺してしまえ」と主張する者も最初の頃は少なくなかったという(実際、ココが生んだ子供は他島の漁師によって惨殺された)。
今回、利島でお世話になったドルフィン・スイム船のキャプテン(兼漁師)を始めとする心ある人々――おそらくはイルカによって選ばれた海のメッセンジャー――の真摯[しんし]で地道な活動が徐々に実を結び、今では、利島全体にイルカ保護、ドルフィン・スイム推進の気運がみなぎり始めているという。慶賀[けいが]すべき次第だ。
ココのように群れを離れて暮らすイルカをハーミット・ドルフィンと呼ぶそうだ。ハーミットとは隠者の意。
古代ギリシャのアリストテレスが記したイルカに乗る少年の話も、ハーミット・ドルフィンとの交流風景であるといわれている。
海に落ちた人を助けたイルカとか、近年ではカリブ海に浮かぶタークス&カイコス諸島のナショナル・トレジャー(国宝)となったJOJOなど、往々にしてハーミット・ドルフィンは人間と積極的に交流しようとする傾向があるようだ。
ココに続き、利島周辺に棲みつくイルカの数は徐々に増えてゆき、今では17頭が個体識別されている。最近、赤ちゃんイルカの姿も確認されたそうだ。
利島でのドルフィン・スイムを重ねるうち、私たちもそれぞれのイルカを少しずつ観[み]分けられるようになっていった。
子供を失った後、しばらく姿を消していたココも、2011年、12年ぶりに利島に戻ってきた。
今では、他のイルカたちのリーダー格であり、群れの先頭をさっそうと泳ぐ姿を何度か目撃した。
ハーミット・ドルフィンといっても、他のイルカを避けるとか、孤独を好むとか、どうもそういうことじゃないらしい。
それではスライドショーだ。
小笠原巡礼で使用したのと同じ水中カメラで撮ったとは思えない立体感。1頭1頭の微妙な表情も少しずつ写し撮れるようになっていった。
そして・・・時に、私のそばにやってきて、周囲をくるくる回るイルカも。
ドルフィン・スイムは実に奥が深い。