Healing Discourse

ヒーリング随感 [第4回] 地球神道

◎しばしば不思議に思う。
 一体どこから、いかにして、誰(または何)によって、・・・そして何(誰)のために、これら諸々の修法は顕(あら)われ来るのか、と。 
 現時点でハッキリしているのは、すべての修法が何らかの形で<丹田錬成の法>と関わりを持つということだ。煉丹法とは、生命エネルギーの球状結晶を、身体内部に力学的緊張として結ぶ術(わざ)だ。肥田式強健術創始者・肥田春充が唱えた正中心は、古今東西にあまたある煉丹術のうち、最も高度かつ科学的な最新バージョンの1つといえる。

◎私は今、球状緊張としての霊珠を腹中に結び、無念無想の境地を拓くことが比較的楽にできるようになっている。「比較的」とは、何週間もかけ荒行を積んだ末に突発的にその一端が拓けていた修養初期の頃と比べて、という意味だ。先人たちが到達した境地に比べればまだまだ未熟であり、今後さらなる成長発展の余地が無限にあることを自覚している。
 ある意味でそれは素晴らしいことだ。今後も、どんどん向上進歩していける可能性が残されているということだから。

◎体内宝珠を、無限小球体積としての1点にまで絞り込み焦点化すると、レーザービームのような鋭く強烈な緊張が発生し、下腹内側→脚裏→踵と瞬時に走り抜ける。肥田春充はこれを「中心力」と呼んだ。
 この力はどこにも滞らない。強大なエネルギーが働くのに、抵抗感がまったく感じられない。全地球を踏んづけ、地球丸ごとと響き合い、足裏から地球を通して無限宇宙を大喝一声する。そんな感覚が生理的に感じられる。
 中心力が仙骨神経叢より脊椎神経を通じて脳に作用する時、思考は一瞬にして機械的に止まる。これは神経的に実際に感じられる現象だ。
 無思考とはいかなる状態か、実際に味わったら驚くだろう。思考を無理矢理止めようと抑えつける堅苦しさとはまったく違う。何も映っていない鏡、否、無限の真空を映し出す鏡と、我が心身が化すのだ。何も考えられない。全宇宙が玲瓏な結晶と化したようにピタリと停止する。時間も停止・・・というより時間そのものが存在しなくなる。

◎そして、究極の緊張の裡より自ずから「ホドケ」が生じる時、自分を含めた世界のすべてが超微細粒子へと還元される。万物万象の裡からにじみ出てきた生命力の光輝が、それ自身の意思を反映して楽しげに笑いさざめき、踊っているかのようだ。宇宙の生命力と我が生命とが響き合う。世界が輝いているのか、自分自身が輝いているのか、もはや区別はつけ難い。

◎我が身が即ちホトケ(ほどけ)なり。限りない慈悲の感覚に、この境地は満たされている。それは愛という原素材で成り立つ世界だ。この愛は、一般的に私たちが知るような愛と違って、「熱く」ない。

◎身体の物理的中心点(重心)と精神の中心とを合致させ、それを引力を介して地球の中心と響き合わせる。この時、上述の如き特殊な意識変容状態が、神経学的・生理学的に惹起される。五感のすべてが驚くべき質的変容を遂げ、宇宙の絶美が直覚的に体感されるようになる。山川草木悉皆成仏、どんな見すぼらしいものも燦然と輝き、当所が即ち蓮華国(ロータス・パラダイス)となる。

◎これこそ、伝説の聖都・シャンバラの秘密ではなかったろうか? シャンバラは地球内部の空洞や人里離れた異境にあるのではなく、「今」、「ここ」に直ちに現存する。各自における身体の中心と精神の中心が交わる1点に伏在する。どこにでもありながら、同時に人々の目から秘め隠されている。それを開く鍵は、私たち1人1人の腹中に埋蔵されているのだ。

◎中心力発動によって絶対的な白紙の心となった次の瞬間、レット・オフの波に乗り、突如としてヒーリング・アーツの新しい修法が身体に直接ダウンロードされてくる。
 シャンバラの叡知か、心身の働きが最高レベルに高進した自然的結果か、偶発的インスピレーションか、明察(インサイト)か・・・・。私にはわからない。

◎ヒーリング・アーツの修法がいずこからともなく示現するといっても、神とか宇宙人などが送信してくるようなものではない。・・・おそらく。
 修法の顕現は、身体感覚に則した経験であり、と同時に時間空間を超えた巨大な意志の如きものをハッキリ感じる。そして、単なるメッセージ(言葉)でなく、実用的・実利的な結果をもたらす情報として機能するよう、ヒーリング・アーツはできている。
 1つ1つの修法は、ある種の公式とか処方箋のような構造を有していて、その実践を通じて心身の新しい能力が開かれると共に、心身相照の理(ことわり)に関する深い理会が自ずから湧き起こるようになっている。私が言う修法(しゅうほう)とは、儀礼であり、式次第であり、実践プロトコル(手順)だ。身体に秘められている生命的叡知を、<式(修法)>によって開き放つ。陰陽道(おんみょうどう)には「式を打つ」という言葉があるが、何か相通じるものを感じる。
 昨日の私がいかに努力してもわからず、逆立ちしてもできなかったことが、今日の私にはすんなり可能となっている。その今日の私もみすぼらしく観えるような境地が、明日になれば期せずして拓けているのだろう。過去十数年間、ずっとそうやって成長躍進を続けてきた。その勢いは、増しこそすれ衰えそうな気配は一向にない。
 意気軒高としている。天を衝(つ)き地を踏み抜かんばかりだ。

◎ヒーリング・アーツとは・・・・、
 祈りだ。
 瞑想だ。
 自己鍛練だ。
 互いに助け合い、切磋琢磨し合うことだ。
 祭だ。
 休息だ。
 学びだ。
 教えだ。
 芸術だ。
 そしてヒーリング・ネットワークとは、地球神道だ。
 神道には教祖も教典も教義もない。だから、宗教の定義に神道は当てはまらない。私たち日本人にとって神道とは、生(生きるということ)の質そのものにほかならない。
 万物にカミの息吹を感じ、畏れ敬い、親しみ、共に楽しんできた日本人特有の感性が、地球規模で発揚される時・・・・あらゆる文化伝統を包含し祝福する、全地球的な新しい生き方・価値観が、私たち自身の裡より新たに芽吹き始める。それが地球神道と私が呼ぶものだ。
 ただ部分を集めて貼り合わせ、地球的パッチワークを作ろうというんじゃない。全部をごちゃまぜにして均一化しようとするのでもない。
 宇宙空間に浮かぶ地球丸ごとを、御神体として祀るのだ。
 地球大社の氏子(コスモポリタン)たちは、1人1人が地球そのものと響き合い、地球によっていやされ、地球をいやしていく。そして、地球のケアテイカー(管理人)としての人類の役割を自覚し、地球とのヒーリング共生を模索していく。
 これが地球神道だ。

<2009.02.11>