Healing Discourse

ヒーリング随感 [第9回] 罪悪感からの解放・フィードバック

 昨日公開した罪悪感のデリート法に関して、早速実践報告が届き始めた。以下に2件のフィードバック(抜粋)をご紹介する。いずれも、過去にヒーリング・アーツを直接指導したことがある人からの報告だ。

 <報告1>
 過去の失敗を思い起こしていくと、ああすればよかった、こうすれば・・・と様々な思考とともに、重苦しい罪悪感が湧き起こってきました。様々な状況を思い浮かべると、それぞれ苦しさに違いはありますが、呼吸を観察するといずれも息が止まりそうになり、思い詰めるほど、息苦しさが増していくことが共通していました。そして息が止まっていることを強調し、静中求動でレット・オフすると・・・スーッと身体内部の思いもよらないところに息が流れ込み、これまで感じたことのない新しい活力が湧いてくるのを感じました。それは単に呼吸が再開されたのではなく、呼吸に身体の新たな部位が参与して、呼吸の質そのものの次元が異なってしまうような感覚でした。
 まったく未知の呼吸の感覚を楽しんでいると、ふと、思い浮かべていた罪悪感が完全に消失していることに気づき、「アレッ!?」と不思議な感覚に驚きを覚えずにはいられませんでした。他の罪悪感の記憶を呼び起こし再び試みてみると、また同様に苦しさが消えてしまいます。罪悪感を消去するごとに、次第に心身が軽くなっていくのが実感されました。一呼吸の間に人生そのものが変容してしまうような感覚に突き動かされるように、何度も修法を実践しました。
 幾度か行なっていくと、突然、ある事実につきあたりました。今こうしている間も、常に罪悪感、硬直的義務感を再生産していることに気づいたのです。練修そのものを上手く実践できない(上手くしなければならない)という義務感、またそれに気づき囚われていることに対する罪悪感が、せっかく解放された心身を、かさぶたのように再び厚く重く覆っていこうとしています。自分がどのようなことを行なうにも、自分自身の意志だけではなく、硬直した義務感が入り交じった混乱状態で行動していることに心底愕然としてしまいました。しかしその瞬間にも、罪悪感をデリートしていくと、たちまち呼吸が楽になって、物事が前向きに捉えられるようになっていくことに、再び驚かされるのでした。
 何度も実践していくと、とても不思議な感覚に心身が包まれていきました。思考が滞らず、全身の流れがスムーズになるとともに、罪悪感を感じることが即、流れを滞らせることがありありと実感され、この流れのある状態が人間本来の自然な在り方であるということを強く感じました。呼吸が頭に通った時には、先生がおっしゃられていた「頭が一呼吸ごとに膨張進展と退縮凝集を繰り返す」というのが、ここまで大きな動きとして感じるものなのかと目を見張りました。
 ある程度修法の実践を行なったところで、ふと、別の動作に移る意図を持った時のことです。突如、全心身が澄み渡り、明瞭な意識状態が訪れました。その瞬間顕れたのは、自分自身の本当の意志とでもいうべきものでした。外側から付け加えたものではない、自分の中からの本当の動きが初めて起こった、という感じでした。ここまで深い感覚は一瞬でしたがとても自然で、子供の頃の自由で、何を行なっても楽しい感覚を取り戻したかのようでした。<R.S. 男性・神奈川県>

 <報告2>
 修法を実践し、罪悪感から開放されてみて初めて、罪悪感によってこんなにも自分自身を締め上げるようにして息苦しくさせていたのかと呆然としました。罪悪感というのは今まで生きてきた中で数えられないほど感じてきた感情で、何か失敗するごとに自分を責め、暗澹たる気持ちになり、酷いときには動くこともままならないこともありました。罪悪感を感じている時の状態を身体で再現してみると、本当に窒息してしまうのではないかと思うほど胸が詰まり、喉は苦しく、肩や顎にも驚くほど力が入っていました。
 ですが、修法の実践によって心身が開放されていくと、思わぬところに内側から息が通い始め、背中や肩、腰、お尻の方まで息が行き渡っていくのがありありと感じられ、「こんなところにまで息が通ってくるなんて」と驚きました。身体のあちこちでぎゅっと詰まっていたかたまりが柔らかに解体されて息が浸透していき、固体が気体になってしまったかのような軽やかさでした。そうすると身も心もどんどん軽くなっていき、底が抜けたような開放感に満たされ、行なえば行なうほど心身の柔軟さが取り戻されていくようで、型にはまらない自由な感覚が明るく開けてくるようにも感じていました。
 初めのうちは、ある一つの罪悪感から開放されたと思っても、また思い出そうとすればすぐ同じ罪悪感が蘇ってきていましたが、何度も何度も実践するうちに、過去と同じような重苦しい感覚にならなくなっていることに気付き、それは本当に「救われた」といえるほどの解放感で、多くの人にこのいやしの感覚を味わってもらいたいと願わずにはいられませんでした。
 罪悪感に限らず、頭で考えた義務感やためらいなども恐ろしいほどたくさん感じてきていて、これらにもこの修法を活かせることが素晴らしいです。何かをしなければならないと思い詰めたり、既成の価値観に囚われて思い切ったことができなかったりということが、改めて思い返してみると過去に数え切れないほどありました。この術を実践するとそのように自分自身を縛っていたものが溶けていき、呪縛が解かれたかのように感じることもありました。自らを縛っていたのは紛れもなく自分自身であり、精神的にも肉体的にも文字通りのことが起こっていました。
 時間をかけてこの修法を中心にヒーリング・アーツを実践していましたら、むしょうに動きたくなってとにかく自由に動いてみようと思い、身体が動くがままに任せていくと、そのうちに悲しみや怒り、やるせなさといった感情が迸るように顕れ出てくると同時に、床に思い切り両手を打ち付けたり、身体を叩いたりしながら様々に身体が動かされる中で、自然に声が出て口や舌が自動的に動き、力強く、止めどなく言葉にならない言葉(グロッソラリア)が出てきました。知らず知らずのうちに抑圧してきた感情がヒーリング・アーツの実践をきっかけに浮上してきたのだと思いました。
 そしてその感情は私の心身を揺り動かし、叫びとなり歌となり舞となっていて、歌や踊りの起源について考えさせられる出来事でした。何も知らない人が見たら発狂しているように思われそうな振る舞いだと思いましたが、自宅の一室で人目を気にせず周りに迷惑のかからない環境で、箍(たが)を外してみることが大変開放的で気持ちよく感じました。
 こんなに激しく暴れ回ったことは生まれて初めてで、このような行動を躊躇なく受け入れて表すことができたことも、「こんなことをしてはいけないのではないか」というためらいから自由になった証ともいえるのではないかと思いました。動きが収まるととてもすっきりとして、溌剌とした元気が漲っていました。<N.S. 女性・神奈川県>

<2009.02.19>