Healing Discourse

レインボーズ・エンド パラオ巡礼:2011 第6回 虹のかけ橋

 パラオ巡礼中、タクシーに乗るたびごとに、「これはニッポン橋という名前(島と島を結ぶ大きな橋の真ん中に、日の丸の石碑があった)」「この道路は日本の援助でできたもの」「この建物は日本製。築68年」「これは前大統領、クニオ・ナカムラの屋敷。ナカムラさんのお父さんは、日本人で三重県出身」・・・などなど、ドライバーたちがあれこれ聴かせてくれた。ぜんぶ日本語で、だ。
 日本語教育を受けた古い世代の人たちは日本語が話せる、とのことだったが、この国を訪れる日本人観光客の数が近年とみに増加したため、老若男女を問わず、多くの人がかなり流暢に日本語を使いこなす。私たちは、パラオ滞在中、ほとんど日本語で用が足りてしまった。
 限られた特殊な観光地を除き、よその国で日本語が通じるなんて、そんな国が一体ほかにどこにあるだろう? そういう国を、私は大切にしたい。

 パラオは親日的な国である、とよくいわれるが、実際に訪れてみて、むべなるかなと思った。
 かつて委任統治時代、島民に対して日本人が人道的に振る舞ったから、との説もある。
 が、中島敦の「南洋もの」を読んでみれば、当時の日本人一般が、パラオ人をどのように考え、いかに接していたか、よくわかる。
 容姿・知能共に劣り、何を考えているのかわからない、ちょっと薄気味悪いようなところがある劣等人種。
 そんな風に自らをみなされ、ずかずか土足で外国人に踏み込んでこられて不快に思わない者がどこにいよう?
 パラオの人たちだって、怒り、憤ったに違いない。

 パラオ巡礼の最終日、コロールの国立博物館を訪れた。
 展示物のほとんどない、パネル主体の内容。博物館の建物の半分は、かつての日本の南洋庁だそうだ。
 ざっと観ての帰り際、階段の壁に掲げられたパネルの1つが、異様な吸引力で私を捕らえた。ちらっと観た瞬間、ぐいっと惹きつけられて、それ以上一歩も進めなくなった。
 あるパラオ人による戦争体験。曰[いわ]く、
「ある日、日本兵に村人全員が呼び出され、皆が殴られた。日本人の悪口を誰かが言ったのではないかと思ったが、そうではなかった。ある人は、ひどく殴られて片耳が聴こえなくなった。
 あれは一体何だったのか、いまだに、わからない。
 この話は、黙っておこうと思っていたのだが、後世のため証言することにした、云々」
 私は、猛烈に恥ずかしくなった。

 あちらにとって私たちは、同様に「わけのわからぬ連中」であったわけだ。
 片や米食文化、もう一方はタロイモ食文化。それら相異なる文化が、パラオの地で激突した。
 多くの葛藤があったに違いない。
 いつの時代でも、どこの国でも、親切な人もいれば意地の悪い人間もいる。美談もあれば、醜聞もある。

 そうした諸々の過去の出来事について、パラオの人たちは、すでに水に流し去って、きれいさっぱりとしてしまっている。
 今回の巡礼中、様々な人々と接し、時に際どい質問を投げかけたりもしてみたが、最終的にそのように確信した。
 忘れたわけじゃない。ちゃんと覚えてはいる。が、もはやそれに拘泥してないのだ。
 そのことを、パラオ人とのタッチ(握手など)を通じ、体感的にも確認した。口先でいくらきれいごとを並べ立てても、触覚は絶対に欺けない。

 さすが、禊[みそぎ]の海に囲まれて暮らす人々だ。
 パラオの人たちは、私たちを本当の意味で「ゆるして」くださっている。
 そして、新鮮な気持ちでパラオ:ジャパン・フレンドシップを築き上げていきましょう、と鷹揚[おうよう]に手を差し伸べてくださっている。
 野性的な生命力に溢れた、素晴らしい人々。

 妻と私は、パラオの熱帯美を讃えるため、本作『レインボーズ・エンド』を創作した。
 パラオ巡礼の旅を通じ結縁されし諸々の神明[マナ]に対し、うやうやしくこのヒーリング・アーツ作品を捧ぐるものである。

 それでは、帰神フォト・スライドショーの豪華5本立てだ。
 まずは、海の中だけに留まらない、パラオの別の側面[かお]をご紹介する。
 パラオの木たちは、とにかく盛大に育っている! 天と地の間を結びつつ、やたらと元気旺盛な、ただし繊細な、ヴァイブレーションをあたり一帯に放っている。
 ロックアイランドの島々を覆う木々から、日が傾き始める頃、オオコウモリが次々飛び立つ。

 続いて、幕間劇を一幕。
 前回のスライドショー11の作品10で、何だか妙竹林なものが海面に浮かんでいるなと気づかれた方は、観の目が大分開かれてきている。
 あれは、台湾のツーリストたちだ。
 台湾人たちは、数人〜十数人くらいのグループ単位で行動し、ロックアイランド中、どこへ行っても必ずといっていいほどみかけた。そして、帰神フォトなど何のその、どぼんざぼんと飛び込んできて、そこのけそこのけ台湾様が通る式の大騒ぎ。その後、リーダー(ガイド)の合図に従い規律良く乗船、賑々[にぎにぎ]と次のポイントへ移動していく。
 この人たちは、シュノーケル中であってさえ、わいわいきゃあきゃあ、あたり中に響き渡る大きな声で実によくしゃべり続ける。私の観察によれば、静かな台湾人はお食事中の台湾人のみだ。
 聴くところでは、パラオを訪れるツーリストの中で、「一番うるさいのが台湾人、一番おとなしいのが日本人」・・・だそうな。
 あるいは、よその国でこうも聴いた。「台湾人は注文をうるさくつけるがチップをよくはずむ。日本人は何も文句をいわない代わりチップもなし」と。
 2つを足して2で割ると、お互いちょうど良い加減になるのかもしれない。
 
 とにかく、活きのいい連中だ。
 私たちが帰神撮影しているど真ん中で、傍若無人に泳ぎ回る台湾人どもを、この際だからと帰神撮影してやった。

 笑いには、背骨をほどく効能がある。
 それに、この人たちが脚腰から起こす活力波紋、結構凄いではないか。ちゃっかり、いただいてしまおう。観の目で。 

 パラオにも、マングローヴ林がある。マングローヴとは、海と川の境の汽水域に生える植物の総称だ。稚魚たちの揺らんの場であり、また雨水をろ過するフィルターとして機能するなど、生態系における非常に重要な役割を担っている。
 そしてパラオのマングローヴ地帯には、ワニが棲んでいる。冗談じゃなく。
 ワニが尾や口吻から起こす波紋は、もの凄い凶猛な質——太古の殺意とでもいうべきもの——を帯びていた。

 日本の鎮護・加護を神明に祈り、パラオ最大・ガラスマオの滝で滝行してきた。
 足元がすべりやすい上、ものすごい勢いで水が落下してくるから注意が必要だが(他の観光客が私の真似をして滝行を試みるも、いずれも数秒ともたず)、常にしゃんと気を張っていれば大丈夫だ。
 私は、一度に数分ずつ、3度連続して楽しんだ。
 ちなみに、滝に打たれている最中は、ずっと目を開けている。熟達者は、真上を向き水を受けるという。
 滝行は、肩の余計な力みを腰腹の間に抜き落とすのにも、非常にいい。
 最初のうち、強く激しく絶え間なく、水に打たれる驚きに身がすくみそうになるかもしれないが、平然として身を立てておれば、ある瞬間から、スッと心をいわゆる丹田に潜めるコツがわかってくる。そうなれば、打たれている部分から意識を遠ざけ、腰と腹で水勢を受けることができるようになる。
 そうなると楽しい。
 終えた後は、ものすごくスッキリする。
 行場へと至る道筋の光景なども含め、パラオの滝行をとくとご堪能あれ。

 妻は、さらに自らのカメラを滝の裏側にまで果敢に持ち込み帰神撮影。
 写真の通り(Click to Enlarge)。

 もちろん、暴勇的にではなく、あらかじめきちんと特別な防水対策をとった上で、だ。
 滝を遠間からみるあたりですら、すでにもうもうたる瀑気であたりはむせかえらんばかりだ。カメラのレンズがたちまち水滴だらけになる。
 その滝の裏側から観た非日常世界は、「ヒーリング・フォトグラフ」のギャラリーにて、妻が近日中に公開予定とのこと。私はすでに観たが、あの滝に打たれていた時の感覚を、ものすごくリアルに思い起こした。まるで、今まさに滝行しているみたいに。

 それでは、最後[フィナーレ]を飾る作品をご紹介する。妻の美佳が献花の祈りを込め、本稿に添えて神明へ捧げるものだ。
 パラオ巡礼を記念して、このスライドショーのために創作したヒーリング楽曲とクロスオーバーしてお届けする超ゴージャス版だ!
 楽曲の要素の1つとして使われている波の音は、リゾートホテルそばのビーチで夜間や早朝など、人の声が静まった頃合いに、妻が帰神録音したもの。

<レインボーズ・エンド 終  2011.08.17 寒蝉鳴>

※今回のパラオ巡礼中、ツトム・エメシオールさん(生粋のパラオ人)と、その奥様キョウコさん(生粋の日本人)に大変お世話になった。ここに特に記して、深甚なる感謝の意を表わしたい。

※2011年度 海の巡礼シリーズ:関連リンク
◎Healing Photograph Gallery1『エルニド巡礼記 @フィリピン』/『パラオ巡礼:2011』/『ボルネオ巡礼:2011
◎Healing Photograph Article『エルニド巡礼記・余話
◎ヒーリング・ディスコース『レインボーズ・エンド パラオ巡礼:2011』/『ヒーリング随感3』第3回第6回第8回/『ヒーリング随感4』第21回
◎ヒーリング・ダイアリー『ヒーリング・ダイアリー4