Healing Discourse

たまふり [第2回] 以身伝身

 ヒーリング・タッチの伝授は「手合わせ」から始まる。文字通り、お互いの手と手を合わせることだ。

 まず、あなたの掌(てのひら)と私の掌をそっと柔らかく、間にはさんだ紙を抜き差しできる程度に触れ合わせる。手そのものも力ませず、柔らかにしておく。
 そこから私が自分の手に何らかの作用を起こす。・・・例えば手をちょっと凝集させてみよう。ここで凝集というのは、私の手の内側——いわゆる「手の内」——に向かって、体表面から内部へと軟らかく吸い込まれるような流動が生じ、内の密度が高まる集約状態のことだ。手の内部で意識が焦点を結び、手の存在感そのものが突如としてありありと感じられるようになる。そして、この「存在感の増大」は直ちに全身へと波及していく。・・・ここまでが凝集のフェーズ(位相)だ。

 すると、まるで鏡に映るように、あなたの手の中にも私が感じているのと同質の感覚が、多かれ少なかれ起こってくる。あなたは何もしていない。私が凝集したということすら知らなくていい。映ってくる凝集の多寡は、あなたの心身のオープンさ(開かれ具合)による。
 あなたがもし、手をギュッと硬くするような「凝滞」を、誤って「凝集」と思い込んでいるなら、自分の手の内が今目の前で凝集しているにも関わらず、あなたはそれに気づかないかもしれない。しかし病的に心身が凝り固まって極度に閉ざされでもしていないかぎり、何か——内面的な質——が切り変わったことに気づかないではいられないだろう。

 次に私が拡散のフェーズへと移る。
 柔らかな、しかし明快な波紋がふわーっと体の中から湧き上がってきたと思った瞬間、あなたは自分の体が自らの意志とは無関係にゆっくり動き出したことに気づくはずだ。まるで細かな粒子に分解されて空気中に溶け込んでいくかのような解放感と気持ちよさ——。多くの人が思わず歓びと驚きの声を漏らす。 

 こんな風に、自らの身体内に起こした波紋を、触れ合っている相手と共振させるためには、凝集が来たのとまったく同じ道を通って引き返す方法を知らなければならない。この手法を使えば、凝集によって生じた反発力を引き出し、その波に乗って、相手の「中に入る」ことが可能となるのだ。同時に、相手もこちらの中に透明な流れとして入り込んでくる。
 流れと書いたが、正確には波動だ。川の「流れ」と海の「波」は違う。前者は水そのものが動いていくが、後者では水の位置はあまり動かず、エネルギーが移動する。

 2人が響き合い、溶け合って、新たなる波紋が生み出される。「あなた」と「私」という区分は、もはやつけがたい。2人は1つだ。この時、精妙に振動する超微細粒子に満たされている感覚を、あなたも如実に感じていることだろう。実際には、「あなたが」感じているのではなく、あなたは「それ」そのものとなっている。
 拡散の際に、自分で拡げようとしたり、来た道をちょっとでも外れたりすると、たちどころに拡散の作用は鈍く、重く、不充分になってしまう。正しい拡散を起こすためには、「する」ことと「(するのを)やめること」について理解しなければならない。そのための具体的方法は、次回以降詳しく説明していく。

 慣れれば皮膚、筋肉、腱、骨など、自分が好きな部位で自在に凝集・拡散の作用を引き起こすことができる。皮膚や筋肉、腱、骨の弾力性(締まりと緩みの間で起こる波紋)はそれぞれ独自のヴァイブレーションを有しており、私は身体内でそれらの違いを生理的に、はっきり感じることができる。そしてこちらの方がより重要な意味を持っているのだが、私が感じるのと同じ質を帯びた作用が、触れ合っている相手の身体にも「映る」のだ。以心伝心ならぬ、以身伝身だ。

 あなた方が今読んでいるこの文章を書き記しつつ、私は妻と手を合わせることを何度も繰り返し、それによって生起するヒーリングの実感をできるだけ正確に表現することに意を注ぎながら、キーボード上に指を走らせている。私の言葉は単なる机上の空論や、頭の中でこしらえた観念論、または古い過去の記憶ではない。今この瞬間の、鮮烈なる生の実感から、これらの言葉は泉のように湧きあふれてくる。

 さて、豊穰なる響き合いによって魂まで一新された後、両者は再び2つの個として別れる。私たちは、触れ合う前と同じ人間では、もはやない。
 途方もなくさわやかだ。胸を中心として全身がスースーする。胸のど真ん中に大きな風穴が開いたみたいだ。この状態では、何かを気に病むとかクヨクヨ思い悩むとか、誰かを憎むとか、そういうことは仮にやろうと思ってもとうてい実行不可能だ。いや、しようという気持ちすらそもそも起こらない。思い煩いの小さなかけらさえ存在し得ないほどに、天地四方どこまでもスカッと広がる広々とした心だ。嬉しい。楽しい。ありがたい・・・。壮快・・・どころじゃない。凄快であり絶快だ。

 こういうヒーリング状態を私たちの祖先は、「あか(明)き、なほ(直)き、きよ(清)き心」と呼び、人が生きていく上において最も大切な要素として尊んだ。そして、自分の心や体が曇り、生の流れが停滞していると感じた時は、いつでも<たまふり>を行なった。
 タマフリは一般的に魂振りと表記されるようだが、これまで述べてきた超微細粒子的感覚こそが、タマの実体にほかならないと私は感じている。生命の本質の秘密を求め、かつて90日間の連続断食を敢行した末に私が到達した結論が、それだ。

 私が人々と触れ合う時は、いつでも<たまふり>が起こる。
 今は凝集によって生じる反発力を応用して粒子の振るえをエナジャイズ(活性化)させる原理を説明しているが、<たまふり>には実に様々な方法がある。ヒーリング・アーツとは、現代社会に生きる私たちのための新しい<たまふり>の法であり、正しく学んで正しく練修すれば誰でも修得できる。独りでも楽しめるし、友人、恋人、家族との間で<いやし>の共振を起こし、ヒーリングのネットワークを拡げていくこともできる。

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 以上、初級者の平均的なヒーリング・タッチ体験について書いてみた。言うまでもなく感じ方は人によって違うし、同じ人間でも時と場合によって異なるものだ。練修を重ねていくにしたがい、ヒーリング共振を妨げる心身の慢性的硬直が徐々にほどけていき、さらに広く、深く、精確に感じられるようになっていく。「すごい、すごい」と大騒ぎしていた初心者が、数年以上の修練により相当な感性を磨き開いた後、改めて私とじっくり触れ合い、「これほどまでに凄い術(わざ)とは思わなかった」と感嘆する。そんなシーンは私にとって日常茶飯事だ。

 こうした特殊な内的感覚や意識状態を、文面のみから正確に再現できた人は、相当な心身錬磨の修養を長期間に渡って倦まず弛まず積んでこられた方だろう。そういう人たちは、こんなところで時間を浪費したりせず、どんどん先へ進んで行かれればよろしい。
 今はまだヒーリングの何たるかを充分に理会・体現できないが、私の言葉の中に途方もなく大切な何かを感じる人、そして私が唱えるヒーリングを是非自らの心身をもって味わってみたいと思う人・・・。あなた方のために私は、ヒーリング・アーツの道を示そう。

 次回は、凝集・拡散の作用を利用して身体内の粒子感覚を覚醒させ、活性化させていく方法を伝授する。

<2007.04.05 清明>