Healing Sound

ヒーリング・エッセイ 第6回 ヒーリング体験記(後編)

 夫から学んださまざまなヒーリング・メソッドを実践するうちに、さらなる変化が起こってきました。
 私は大学で、音楽学部打楽器科に所属していました。打楽器とは太鼓やマリンバ(木琴類)をはじめとする、「打つ」ことで音の出る楽器の総称です。
 当時私は自分の音楽(打楽器)演奏に限界を感じていました。練修しても、なぜか思うような演奏ができず、日々悶々としていました。演奏していても、楽しさより苦しさを感じてしまうことが多かったのです。上手くなろうとしてもがけばもがくほど、目指す演奏から遠く離れていくようで、どうしようもない焦燥感にかられていました。
 男性に比べてパワーが足りないといわれがちな女性の打楽器奏者の中でも、私はとくに自分の音に力強さが足りないと感じていました。それに、実力のある先生や先輩などと比べて、私の演奏は音の質も悪く、表現力も圧倒的に不足していました。
 ところが夫の元で学びはじめてしばらくたつと、なぜか私の音楽演奏の質が変わりはじめました。強健術や武術の修練などの複合効果によるものと思いますが、演奏の時に不足していたパワーが自然に現われてくるようになったのです。いつのまにか筋力もついてきて、他の女性には持てない重い楽器を持てるようにもなりました。以前は何時間もかけてやっと弾けたような曲が、短時間で弾けるようになったことは、私にとって特に大きな変化のひとつでした。
 これらはヒーリング・アーツによって心身が変容した結果であって、音楽演奏のためだけの練修がいかに無駄が多いものだったか思い知らされました。心身の統合がなされず、病気がちな状態では、何をやってもろくな結果にはなりません。やみくもな練修のせいで右手がひどい腱鞘炎になり、さまざまな治療も効果がありませんでしたが、ヒーリング・アーツのおかげで今ではすっかり完治しています。
「すべての動作が道理にかなっていれば、おのずと演奏にも効果があり、痛めた身体も自然に治ってくる」と夫からいわれた通りになったのです。こうなってくると、もう面白くて楽しくて仕方がありません。ヒーリング・アーツは私にとって生きる糧となり、人生の喜びとなっていきました。
 こうしてヒーリングの道を歩んでいるうちに、なぜか音楽への執着やこだわりがなくなり、商業音楽の世界にたずさわりつづけたいという気持ちがなくなってしまいました。音楽家を目指していた私にとって、音楽と自分とを切り離して考えることなどありえなかったのですが、以前の状態で音楽活動を続けたとしても、決していい演奏はできなかったし、葛藤に苦しみつづけるだけだったでしょう。

 ヒーリング・アーツ入門から約4年の歳月が流れました。夫が指導する講習会に毎回欠かさず出席するようになり、沖縄の西表島(いりおもてじま)やモルディヴで行なわれた合宿などにも参加して、夢中でヒーリング・アーツの世界を探求していた私に、さらなる飛躍のチャンスが巡ってきました。
 私を含む数名の希望者を対象として行なわれることになった個人セッションは、心身の変容過程を一気に凝縮・加速する操作を身体に加え、数ヶ月~数年分にも匹敵する学びを短時間で集中的に体験しようとする実験的かつ野心的な試みでした。心身の平衡関係を一時的に大きく変化させるため、一定期間の断食など事前の準備を入念に整えていきました。

 そのセッションでの体験は、強烈で神秘的なものでした。
 身体と精神が粉々の粒子に分解され、それが宇宙の果てまで拡がっていく圧倒的な瞑想感覚を、私はこの時初めて味わいました。それは「イメージ」や「そんな感じがした」というような曖昧なものではなく、言葉どおりのはっきりした生理的実感でした。
 やがて宇宙大にまで拡大した私の意識は、「神」的な絶対者の巨大な力に溶けていき、私という「個」の意識はどんどん消滅していきました。「私(自我)」が失われつつあるにもかかわらず、歓喜と甘美な意識はとどまることなく高まっていきました。「神」に全存在を委ね、帰一することが、こんなにも喜ばしいことだったなどとは、想像すらしていませんでした。一体私の身に何が起こっているのか、それを理性的に判断できる状態ではありませんでした。
 私を取り巻く空間はまさに宇宙の海であり、振動の波が脈々と息づいていました。その中で漂う私は宇宙と完全に一体でした。眼を閉じていても、エネルギーの流れや振動、波や渦が観えるようでした。そして光の糸がさまざまな形の波をつくり、私の意識をさらなるエクスタシーの高みへと引き上げました。振動の音はとても高く、超音波のようでした。意識の高まり・深まりが臨界点を越えると、あまりの幸福感に耐えきれずに涙がとめどなくあふれてきました。そしてそれさえも越えると私の思考は完全に止まってしまい、言葉も失ってしまいました。先人たちが「瞑想」と呼んできた境地です。
 言葉のない世界・・・。生まれたばかりの赤ん坊のように、すべてが初めて観るもので、新鮮で歓びに満ちていました。まわりにあったランプやクッションといった無機物でさえも生きていて、私に語りかけてくるようでした。そのような瞑想的意識状態の中で私は踊り、遊びました。踊りは私の意志とは関係なく、身体の奥底から湧き出てきました。身体が勝手に動いてさまざまな姿勢、姿態をとり、その状態で全身に細かい振るえが内側から起こるという不思議なものでした。いわゆる「何かをする」という感覚はまったくありません。まるで誰か、あるいは何かに動かされているかのようでした。ヒーリング・アーツにおいて自発調律運動(STM)と呼ばれている特殊な運動形態です。
 自分が何のために生まれてきたのか、これからどのように生きていかなければならないのか、それまでの私にはまったく想像もつかないようなことが、口をついて出てきました。それは自分で言ったのか、それとも誰かに教えてもらったのかわかりません。しかし自分というよりも、何か別の存在に教えられているような感じがしました。発声という形で現われた自発調律運動だったのでしょう。
 その中で、「独りで行かなくてはならない」という裡なる声が出てきたことが、とても印象的でした。それまでの私はいつも人に頼り、甘えがちで、何をするにも誰かと一緒でなければ安心できませんでした。そういう子供っぽい甘えを断ち切り、独り立ちすることが、人が真に成長していくためには必要であるという強烈な示唆が、裡なる声によって示されたのだと思います。それまでも、夫からそのことを度々指摘されることがありましたが、自分ではあまり深く考えていなかったのかもしれません。
 この時動きとなって現われたのは、とくに下半身の振るえでした。動かそうなどとはまったく意図していないのに、身体の内から突き動かされて、いわゆる筋力を使わずに全身に響いてくる微細な振るえが起こるのです。こんな細かい振動を起こすのは、自分でやろうと思ってもできるものではありません。仮にやってみても、すぐに疲れてつづけられなくなります。しかし、その動きと振動は止まらず、しかも何時間もつづいているのにまったく疲労しないどころか、体も心もどんどん気持ちよくなっていくのです。その時の私にとって必要ないやしのムーヴメントがあらゆる形で現われ出ていたのでしょう。それはまさに「ヒーリング」の体験そのものでした。
 数時間にもおよぶ超絶ダンスの後、徐々に振動が静まっていき、通常の心身の状態へと戻っていきました。それまで自分に起こったことを振り返りながら、静かに内面を見つめ、そのまま横になりました。お昼過ぎからセッションを開始し、気づいた時には夜になっていましたが、朝までまったく眠れず、自分に起こった奇跡的な出来事について思いを馳せていました。
 それから1週間もすると、大量の宿便が出ました。身体の中に溜まっていた毒素が一気に排泄されたのでしょう。また、無意識の構造に変化が起こりはじめたらしく、以前は練修してもなかなか体験できなかったルシッド・ドリーム(夢の中にいることを自覚している明晰夢)を観ることができました。かしわ手を打って祈りを捧げるだけで、まるで超越的なるものから授けられるかのごとく、意味と体系を備えた一連のスピリチュアル・ムーヴメントが現われるようにもなりました。
 このように、ヒーリング・セッションによる身体や意識の変容は凄まじく、私の内面的変化は著しく加速していきました。さらに深くヒーリングの道を究めたいという欲求が抑え切れないほど高まり、自然にすべての興味がいやしの道へと収束していきました。ヒーリングが、私の人生の中核として結晶化しはじめたのです。

<2008.07.20>