Healing Sound

ヒーリング・エッセイ 第7回 ヒーリング・セレブレーション・リポート(前編)

 9月14日(中秋の名月)、私の新しいアルバム『アルテミス』リリースを記念するヒーリング・セレブレーションが、天行院(プライベート道場)で執り行なわれました。
「音を聴く」、あるいは「音(声)を発する」ことは、私たちが普段何気なく行なっているごく当たり前の行為です。そこにヒーリング・アーツを応用すると、奥深いいやしの世界が音を通じて開かれるのが実感できるようになります。それが「ヒーリング・サウンド」の道です。参加者の皆さんから寄せられた感想を織り交ぜながら、セレブレーションの模様を以下にご紹介していきたいと思います。

「音楽を聴く」という状況を思い浮かべた時、私たちがもっとも慣れ親しんでいるのは、CDプレーヤーなどの電子機器で音を再生する形態でしょう。よりよい音を求めて高価な音響機材にこだわる人もいます。確かに、同じCDを再生するのでも質の良いアンプやスピーカーがあれば、音質はかなり向上します。
 しかし、聴く側の感性を向上させるという、もうひとつの方向性に気づく人は少ないようです。聴覚には驚くべき能力が秘められています。それを開いていけば、高価な機材を揃える以上に、よりよい音をより深く楽しめるようになるのです。もちろんこれは、電子機器を通して再生する音だけでなく、生楽器を聴く時にもあてはまります。

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<感想1(抜粋、以下同)>
 9月14日は「アルテミス」ニューリリースの祝祭にふさわしい、正に音楽とヒーリング・アーツが融合したものに満たされたセレブレーションでした。「喜びのたまふり(注:5部構成の音楽からなるヒーリング・ネットワーク独自の瞑想法)」から始まり随所に音楽に合わせてヒーリング・タッチの基本的な教えを受けて、固まっていた身体は大変いやされ、ほぐされました。参加前に初期の「アルテミス」を聴いて臨んだのですが、リニューアル版は美佳先生の作曲構成と各パーツ毎の曲の実聴説明で、素人でも曲の上下の広がりや奥行きをはっきりと感じ取る事ができ驚きました。ソプラノ、メゾソプラノ、アルトの各音が同時に聴き分けられたのです。この同時に聴き分けることは、ヒーリング・バランスの同時、同量に意識する事に繋がるのではないかと思っています。終了後、いやされた身体で参加者の方にヒーリング・タッチを行なったところ非常に効いて今回のセレブレーションの効果を即実感致しました。[神奈川県、T.F]

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 ヒーリング・サウンドの入門メソッドとして、熱鍼法によって耳そのものの感覚・意識を活性化していくことや、「音楽を分解して聴く」という修法を扱いました。これはヒーリング・ディスコースの「グノーティ・セアウトン第7回・音のたまふり」や「ヒーリング・エッセイ第3回・熱鍼法(後編)」でもご紹介した基礎修法です。今回、ニューリリースとなったCD『アルテミス』の中から、1曲目の「アンコール・ワット」、7曲目の「太霊道神教春季祭儀奉讃歌(たいれいどうしんきょうしゅんきさいぎほうさんか)」を選び、その一部を分解して聴いていただきました。
 大抵の楽曲は、メロディー、和音、ベース音、リズムセクション(ドラムなどの打楽器群)など、いくつかの要素が重なりあってひとつの音楽を形成しています。それらの各パートをひとつずつ、あるいは数群に分けて聴きながら比較していくことで、音楽の「要素」を細かく聴き分けながら同時に統合するという、新しい能力が養われるのです。

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<感想2>
 熱鍼法を耳へ施術すると、熱の刺激の波紋が非常に繊細に立体的な拡がりをもって身体の裡に浸透してくるのが感じられ、刺激を行なう耳の場所によって、音の聴こえ方が全然違いました。開かれた耳がこれほどハッキリした空気感や立体感を感じることができる器官であることに驚きを覚えました。[神奈川県、Y.S]

<感想3>
 美佳先生の音楽を細分化して聴いてみる時間がありました。最初はリアレンジ前のもの、次にリアレンジ、リマスタリングしたものをそのまま聴かせて頂きました。音に重厚感があって、いい音楽だなあと聴いていましたが、曲の各パートごとに聴き分けてから、改めて一体となったものを聴き直すと、曲の隅々まで聴こえてくるようで、しかもより共鳴して音全体が体に響いてくるような感じがしました。ヒーリング・アーツの原理は「細分化して、再構築する」というお話がありましたが、聴き方を変えるだけでこんなにも変わることにとても驚きました。[大阪府、Y.W]

<感想4>
 同時に鳴っているメロディーのいくつかをパートごとに分けてあらかじめ聴いておき、次に全てのメロディーを同時に、別個に、均等に聴くことにより、音のクロスオーバーが起こり、聴いている音楽をより多層的、立体的に聴き分けることができるようになりました。聴き分けるといっても耳だけでなく全身が音に対する感覚器になったかのように感じられるほど音に対して敏感に、音に対する情報が爆発的に増えました。このことにより今までは1つ1つの音を聴き分けることができておらず同時に鳴っている様々な音を1つの音の塊として聴いていた、平面的なものだったと気づかされました。 [愛知県、M.S]

<感想5>
 約100トラックの多重録音という「太霊道神教春季祭儀奉讃歌」は圧巻で、歌声の波が重なり合って大波となり、コーラスの出だしの部分を聴いただけで自分の体の輪郭を浸透して全身のあらゆる部分が大きくゆったりとしたうねりに飲み込まれるような強烈な響きがありました。[山口県、K.M]

<感想6>
 新「アルテミス」は、単にアレンジが変わったというよりも、生命を吹き込まれて新たな楽曲が生み出された、という方がふさわしいように感じました。楽曲の中のそれぞれのパートを別個に聴かせていただいた後に、全体を聴くと、より多層的な、奥行きのあるうねりを感じました。単に、あるパートとパートを重ね合わせた(+)というよりも、掛け合わせてクロスオーバーされた(×)としか言いようがない程、深みと奥行きを増していく様に、音楽の妙味を感じました。
 そのようにして、音楽を隅々まで味わわせていただくうちに、ふと、プロのミュージシャンと、我々一般の人間とでは、同じように聴いているはずの楽曲も、全く違う聞こえ方をしているのではないか、という疑問が起こりました。そう思うと、このような体験を積ませていただき、幾分かでも音への感性を開いていくことは、自分が無意識に設定している限界を超えたことであり、人生そのものの豊かさと彩りがもたらされることと同じではないか、と思いました。これは、音の感覚だけに限ったことではありませんが、やはり心身の感覚を十全に開き、日々の生活をよく味わいながら生きる方が、どれほど人生を豊かにできることでしょうか。音楽家など、特殊な技能を必要とされる人々だけでなく、全ての人々が、感性を大事にする生き方に目を向けていくべきではないかと感じます。[宮崎県、S.M]

<2008.09.24>

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