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1. ディオニュソスの巫女1 9:43
2. ディオニュソスの巫女2 9:29
3. アポロンの巫女 8:45
4. 竜宮 12:09
5. ディオニュソスの巫女3 9:20
6. メドゥーサ 7:25
1〜6 作・編曲、演奏/高木美佳
ディジュリドゥー/高木一行
使用楽器/マリンバ、ヴィブラフォン、Yamaha TG500 他
ラベル・デザイン/佐々木亮
和琴のような音色でカデンツァ風に奏でられるオープニングで始まり、重めの4分の3拍子へと移行します。リズム、トーン、音色など、曲全体がすべてエロティックなフィーリングで満たされた、女性のセクシュアリティを祝い讚える音楽です。
ため息とも歌ともつかない、甘く官能的なヴォイス、それと絡み合うように配置されるベース音には、「ドリア旋法」を使っています。ドリア旋法とは教会旋法(グレゴリオ聖歌等で使われている音階)の1つで、もっとも重要な音階とされており、平安や静寂、厳粛、優雅さ、あるいは郷愁など、内省的で純粋な感覚を呼び起こさせる独特の響きを有しています。長調とも短調とも定まり切らない、浮遊するような不思議な調性感が特徴的です。
原始キリスト教徒も実践したというグロッソラリア(注1)による不思議な言葉に乗せて、歓びと希望、神々や女神への祈りを、たくさんの巫女たちが舞い踊りながら歌い交わしている・・・。そんな明るく天真爛漫な響きと、センシュアルなヴァイブレーションを併せ持つ音楽です。
第1主題部では、木魚に似たコケティッシュな音色で反復されるリズミックなモチーフが、まるで呪文のごとく曲全体を縁取りする中、E(ミ)、Fis(ファのシャープ)、Gis(ソのシャープ)、A(ラ)、H(シ)、Cis(ド#)D(レ)の音階で複数部のヴォイスが重なります。
第1主題部で使われている音階は教会旋法の1つ「ミクソリディア旋法」に当たります。喜悦や感動、躍動、開放、確信、充足など、肯定的なフィーリングをもたらしてくれるミクソリディア旋法の明朗活発なパワーが、曲全体にちりばめられています。
第2主題部(サビ部分)ではE-dur(ホ長調)のハーモニーが、一気に扉が開くように鳴り響き、エンディングは半音上のF-dur(ヘ長調)へと転調し、エクスタティックで甘美な祈りの境地へと昇りつめていきます。
注1)グロッソラリア(異言)
意識の特殊な変容に伴っておのずから発音・発声される、言葉以前のプレ言語を指します。
聖書のペンテコステ(聖霊降臨)にまつわるエピソードによると、「五旬祭(ペンテコステ)の日が来て、彼ら(使徒)が皆で集まって祈りを捧げていると、突然、天から激しい風が吹いてくる音が聞こえ、炎のような舌が現われ、分かれて、各々の上に留まった。すると、彼らは皆聖霊に満たされ、霊が言わせるままに、いろいろな国の言葉で話し始めた」とあります。
私はキリスト教徒ではなく、グロッソラリアという現象についても知らなかったのですが、1998年のある夏の日、数時間以上かけてお腹の皮膚・筋肉・内臓などを徹底的にやわらげ、ほぐし、こわばりを解放していくことを続けていくうちに、突然自分の口やのど、舌などが勝手に動き出し、不思議な言葉でしゃべったり、歌ったりし始めるという経験をしたのです。私は声楽の訓練を受けたこともありますが、「腹から声を出す(声が自然に出る)」感覚というものを実感したのは、この時が初めてです。
面白いのは、このようにしゃべったり歌ったりしているだけで、なぜか大変気持ちよく、意味のない言葉にも関わらず色々な感情が一緒に溢れこぼれるように出てくるということです。お腹やのどの中に詰まっていたものがどんどん洗い流されていくようで、全身が清々しくなっていき、音によって内側と外側から浄化されていく感覚が生理的に味わえるのです。
ヒーリング・サウンド※には、グロッソラリアを発動させるための修法も備わっています。いったんコツがつかめれば、意のままに内的エネルギーをグロッソラリアとして表現することができるようになります。ディオニュソスの巫女2や3を聴きながら、一緒にグロッソラリアを発声してみると、人それぞれ独自の発音、リズム、トーンが自然に現われ、その人自身のオリジナルないやしの歌となるのです。
音に対する感性を開いていくと、同じ「あ」という言葉の中にも、口の開け方、舌の位置、声の大きさ、音程、音質だけをとってみても、無限ともいえるヴァリエーションがあることがわかってきます。日常生活全般において会話をしたり、独りごとを言う時ですら、ある固定された発音の仕方が定着し、元来は活用されるべき発声時の身体運用法がかなり制限されていることにも気づきます。その制限が取り払われた時には、想像を絶する解放感とともに、自らの声がいやしの音、ヒーリング・ヴォイスとなって、全身に心地よく、時に強烈なパワーをもって響き渡るのです。
※ヒーリング・サウンド:ここでは音楽のジャンルを指すのではなく、音楽という形式をとったヒーリング・アーツを指す。→参考ページ『Healing Discourse たまふり 第6回』
トルコ・ディディムのアポロン神殿全景
かつて女神文明が栄えた小アジア(現在のトルコ)への巡礼の旅に出かけた際、日本からトルコへと向かう飛行機の中で、突然この曲のイントロ部分が「聴こえて」きました。「聴こえる」というのは、外側で鳴っている音を聞くというよりは、自分の内側で響いている音を感じるという方が正しいかもしれません。
リズムや和声(和音の組み合わせ)、メロディーやテンポ、音色の種類など、いろいろな要素が一度にわかるという感覚は、摩訶不思議としかいいようがないものです。しかも音楽はある時間をかけて流れるものであるにもかかわらず、数小節分の全体の構成などが一瞬のうちにわかることもあり、自分の頭で考えて曲を作るのとはまったく異なる、時間を超越した神秘的な体験です。
トルコのディディムにあるアポロン神殿を訪れてみると、そこは聖地独特のヴァイブレーションに満たされており、飛行機の中で聴こえた音楽がアポロン神に仕えたピュティアと呼ばれる巫女たちに関係した曲であることが、直感的に感じられました。
B-dur(変ロ長調)、4分の4拍子、16ビート。第1主題部では「E♭maj7, D7 ,Gm7,E♭maj7, F , B♭」(譜例1)の和音の反復、電子ピアノの音でオブリガート(助奏:メロディーと協奏する声部)風のモチーフ(譜例2)が繰り返されます。複数部のコーラスが、それぞれ独特の音程とリズムでリピートし、折り重なり、一種のミニマル・ミュージック(パターン化されたわずかな要素の音型を反復させる音楽)のように、反復による陶酔感が不思議な心地よさを醸し出します。
譜例1の1小節目はB-dur(変ロ長調)の平行調(同じ調号を持つ長調と短調)であるg-moll(ト短調)で終止しており、次の小節ではB-durに戻っています。短い小節の中で短調と長調が交互に繰り返されると、相反する感覚——明と暗、光と闇、聖と俗、喜びと悲しみなど——が渾然一体となって、ニ元対立を超えた新しい境地へと飛翔するかのごとき解放感が、音によってもたらされるのを体感できます。この和音進行の反復はエンディングでも繰り返されます。
譜例1
譜例2
沖縄最高の聖地とされる久高島への巡礼を契機として顕(あら)われた曲です。沖縄や奄美大島周辺には、浦島太郎伝説に出てくる竜宮城を彷彿とさせるような、美しい海中風景が広がっています。青く透き通った海水、柔らかくきめ細やかな波のリズム、時に激しい潮流、珊瑚が吐き出す無数の泡、その中を自由に泳ぎ回る色とりどりのたくさんの魚たち。そこは光と影が妖しく乱舞し、力強く、ダイナミックに繰り広げられる生命の営みの大舞台です。
ベースにディジュリドゥー(注2)のD(レ)音がほとんどタイムレスで鳴り続ける中、マラカス(注3)、レインスティック(注4)、三線(注5)などの生楽器が重なり、ヴォイスやシンセサイザーの音と混ざり合って、独特のハーモニーが現出します。制約のない自由な表現でディジュリドゥーが低音を支える中、マラカスやヴォイスが厳格なリズムを刻むことによって、渾沌から秩序が生まれ、やがてそれらが渾然一体となって海の波のごとく聴く人の心身を祓い清め、洗い流します。
注2)ディジュリドゥー
オーストラリア先住民アボリジナルが神聖な儀式のために1000年以上前から使用してきた、人類最古の管楽器といわれています。基本はただ1つの音であるにもかかわらず、途切れることのない循環呼吸奏法や、唇や舌、頬の内側の筋肉の微妙な使い方、息の量、循環の速度などを変えることによって、驚くほど多彩な音色が奏でられます。大自然の息吹ともいえるような深い低音と、細やかでメロディアスな倍音とが織物のように複雑に組み合わさり、原初の野性的なヴァイブレーションが紡ぎ出される、シンプルでありながらとても奥深い楽器です。
注3)マラカス
打楽器の中でもポピュラーなもので、楕円形の中空の珠の中に、小石や種等を入れ、柄を持って振ることによって音を出す楽器です。もともとヤシ科のマラカの実から造られていました。ここで使用されているのは、ペルーアマゾンのマラカスです。
注4)レインスティック
アフリカから中南米まで広く伝わっている乾燥させたサボテンから造られる楽器で、動かすと雨や波のような音がします。もともとは雨ごいの儀式に使用されていました。
注5)三線
沖縄や奄美で広く普及している弦楽器で、胴に蛇の皮を張ってあり、3本の弦を撥(バチ)や指の爪を使って弾くことで音を出します。
「ディオニュソスの巫女」by Kazuyuki Takaki
ギリシア神話によれば、葡萄酒と陶酔の神ディオニュソス(ローマ神話ではバッカス)の信女(巫女)たちは、神との霊的交合によるエクスタシーの中で踊り狂って我を忘れ、秘密の儀式を覗き見た者を引き裂いて八つ裂きにしてしまったといいます。
3曲のディオニュソスの巫女シリーズのヴォイスを録音した時には、まったくの白紙状態からすべてアドリブ(即興)で、声と言葉が迸り出るままに歌ったのですが、原初の儀式におけるチャント(祈りの歌)も、このように口や舌、のどから自然に出てくる声が少しずつ定型の歌となっていったのではないかと感じます。
第1主題部はエオリア旋法(教会旋法の1つで、短調の原形とされる)によるh-moll(ロ短調)で、第2主題部は平行調のD-dur(ニ長調)へと転調します。
エオリア旋法は、比較的なじみ深い旋律の1つで、郷愁、美しさを伴う悲しみ、叙情的感覚を呼び起こす響きが、日本人好みといわれています。聴いたことがないのに懐かしい、不思議な温もりに満ちたメロディーと、激しく交錯するグロッソラリアによるヴォイス、マリンバ(注6)やトルコの打楽器タラブッカのリズミックな絡み合いが、渾沌と調和を融合させています。
注6)マリンバ
木琴を大きくしたような形状の、ピアノと同様の配列をした木製(鍵盤の下にある共鳴パイプは金属)の鍵盤打楽器です。マレットという撥(バチ)で叩いて演奏します。
ギリシア神話では蛇の髪を持ち、その目を見ると石になるという恐ろしい怪物として描かれているメドゥーサですが、元来は広く小アジアの人々に慕われ、敬われていた大地母神でした。現在でもトルコを旅すると、いたるところで女神崇拝時代の美しく荘厳なメドゥーサ像を目にすることができます。
蛇は大地に一番近い存在で、私たち人間が忘れて久しい大自然とのつながりを想起させてくれる不思議な生き物です。女性一人一人の内に眠る、燃え立つような生命力を象徴する豊饒の女神メドゥーサに、この曲は捧げられています。
半音進行のメロディー、エンディングでの半音ずつ上がる転調の繰り返しなど、この曲は「半音(注7)」という要素が特徴となっています。現在多くのジャンルの音楽で使われる「12平均律(1オクターブを12の均等な周波数で分割した音律)」では、半音が一番小さな音程の単位で、それらが上行あるいは下行する様子は、極小の単位で移動する滑らかな蛇の動きが、音において表現されているとも言えます。そういう曲にしようと意図して創ったわけではありませんが、完成してみたらクロマティック(半音)が多用される構造になっていたことに気づきました。
また、半音ずつ下降していくメロディーラインに付随する和声は、曲のエンディングまではあくまでも短調の暗く内に秘めたようなハーモニーですが、最後には同じメロディーで明るく伸び伸びとした長調へと転調します。あたかも、長らく封印・抑圧されてきた女性原理の解放を、この転調が象徴しているかのようです。
注7)半音
全音の半分の音程差を持つ音程です。例えば、C(ド)とD(レ)の関係は全音で、C(ド)と Des(レのフラット)は半音の関係となります。1オクターブには12個の半音が含まれます。