Healing Discourse

対話篇1 第九回 最終話

編集:高木一行

【高木】

 観の目の一法として、まず写真の4つの角を意識し、それらの角から対角線の交点(写真の中心)へと、注意を移動させることで凝集感覚を生み出してゆく。
 それをレット・オフすれば観の目になるが、注意を4つに分け、同時・均等・相照的に操作することは、当然ながら初心者がいきなり行なうことはできない。

 今、四角(写真の枠組)の左上から順にA、B、C、Dと仮に名付け、それらの中心をOとする。

 前述したように、初心者は4つの角とその中心をいきなり取り扱うことは難しいので、まずは2点から始めればいい。それだけでも、写真の観え方がハッキリ変わり始める。
 
 具体的には、軽く視野を開いておいて、「目を動かすことなく」、Aに注意を集める。そこから線をたどってBへと注意を移す。この際も、眼球を決して動かさない。
 AとBの間を瞬間的にジャンプせず、AB間にいくつかの等分点を想定し、それらへ左から順に注意を移してゆく。そういう風にすると、注意を移すことによって流れ(方向性)が生じることがわかるだろう。熟練に従い、もっと細やかに、粒子的に移動してゆく。・・・つまり、非常に小さな粒子の連続体であるかのように、AB間の線を認知し、扱うようにする。
 目を決して動かさないようにしていても、AB間で注意を行ったり来たりさせていると、それにつれ目玉そのものがゆらゆら揺れるのが感じられるだろう。
 ゆらゆらとか、波打つとか、私が言っているのは決して詩的表現ではない。私が述べた通りのやり方をすれば、AB間が本当に波打ち始める。

 視線の動きが滑らかになったら、今度は注意を2つに別ける練修に入る。この時も、目を決して動かさないことに留意だ。全体を収めている視野の中で、ただ注意だけを動かしてゆく。注意に伴い、視点が動く(目が動く)ことのないように。
 ABの中点をEとし、AからEへ、BからEへ、と注意を動かし(基本の応用)、さらにはA→EとB→Eを同時に、タイミングを合わせつつ注意してゆくのだ。そして真っ正面から同じ勢いでぶつけ合わせる。ただし、どこにも力は入れない。
 これは核爆発の基本原理にほかならないが、それによって意識が引き込まれるように自分自身の内面(裡)に入り、意識状態それ自体がぱっと変わる。今まで二次元にいたものが、いきなり三次元に移ったような感じ、とでも言おうか。
 上記は2点間から中心を顕わす方法だが、逆に中点EよりAへ、そしてBへ、さらに両者を統合、というやり方もできる。
 また、E→Aを反転させてA→Eを産み、同様にして反転発生させたB→Eとぶつけあわせる、など、応用展開の可能性はまさに無限だ。

 とりあえずここまでを、あれこれ応用しながらいろいろ試してみるといい。
 1つの辺(ABなど)で行なうと、写真のそのあたりだけが立体的に観えるようになり始め、観の目で立体的に観えるとは、実際にはどういう状態なのかが体感的にわかってくるだろう。
 上と下でそれぞれ練修し、さらにそれらを統合すると、上下が結ばれ左右の「面」が顕われる。これまで線という一次元で意識を操作していたものが、二次元になるのだ。しかもその二次元の面が、やはり波打っているのがわかると思う。

 観の目とは、このように、意識の次元で波紋を起こし・操るわざなのだが、上下を結んで左右に変化する意識のマトリクス(基盤)を産み出し、左右を統合して上下に開閉するマトリクスを生じさせ、さらにそれらを融合させてしまったなら・・・・・一体どんなすごいことになるのやら・・・。
 楽しみになってきただろう? 
 が、焦っていきなり最終地点に飛びつこうとしてはいけない。

 この、四隅と中心を使う観法のマナは、諸君らがこれまで何年もかけて修し、錬磨してきたものだ。
 それにより、君たちの観の目は相当深まっている。
 それは素晴らしい達成だが、まだまだその先がある。眩暈めまいがしそうなほどの高み、あるいは深奥、が待ち受けている。

【東前】

 観の目の修法を、数日をかけて執り行なってみました。
 最初AからBに注意を移す際、眼球が無意識に一緒に動いてしまうので、ゆっくりと行なっていきました。眼球を動かさないようにしても、注意が動きにくい箇所や飛びがちになるところがあり、そういったところもゆっくり繋げるようにしていくと、段々とスムーズになっていきました。
 眼球を動かさないことがある程度できるようになると、注意の移動に伴い自分の内面、特に最初は頭の中で、流れが起こってくるような感覚を覚えました。帰神フォトで執り行なってみて何度か往復していると、どんどんと立体感が増してきて、平面であったものが突然奥行きをもって観えてくるのがわかりました。行なう程に、眼に映じてくる情報量が増えて、微妙な陰影や色合いにも気づくようになりました。

 続いて中点のEにおいて注意をぶつけ合わせることを執り行なってみました。前段階で注意の移動がスムーズになってきていたので、取り組みやすくはなっていましたが、これも最初はゆっくりと、かつ注意の移動も大まかな範囲から行なっていくと、徐々に上達できることがわかりました。
 何度か行なって、真ん中で注意をぶつけることができた時は、観ている自分の意識が、最初眼球の表面あたりにあったのが、どんどんそこから遠ざかっていくような感覚が起こり、これが「裡に入る」とヒーリング・アーツで表現されている状態の一瞥であろうかと思いました。
 いくつかの方法で行なってみましたが、うまく注意がぶつかると同じ状態を再現することができました。また同時に下腹部の内側あたりに圧力が高まるような感覚が起こってくることも確認できました。こういった状態への移行が、眼球を動かしたり力を入れると、阻害されることも体感できました。

 最初はやや難しく感じますが、根気よく執り行なえば、とてもシステマティックに観の目を理会していける、素晴らしい修法になっていると感じました。ご教示くださり、誠にありがとうございます。

【佐々木】

 観の目の修法を執り行ないました。
 AからBへ・・・と注意を移す練修を行なっている時、最初は意識できるポイントが飛んでしまったりガタガタしていたのですが、次第に視界(眼球、網膜)そのものに波が起こることが身体的感覚で感じられてくると、注意の移動が滑らかになってきました。
 線が粒子状に解けて振動する感覚もあり、目でみるということ(視覚)をこれまで粒子的に感じてなかったことに気づかされました。
 また、中心のEで左右からの波を合わせるようにすると、瞬時に意識の在り方が変わるのが実感されます。
 観の目の修法が、単なるものの見方だけでなく、人生に新たな質をもたらす奥深さを持っていることを、改めて感じました。
 修法を応用して、『隻手の音声』を観照させていただいたのですが、各辺を意識していくと、突如手形が立体的となって生々しく迫ってきました。
 さらに、異なる方向性をクロスオーバーすると、強烈な波紋が裡へと浸透してくるのに圧倒されてしまいました!

【河守】

 観の目の状態のまま、ABの中点のEに対して意識を動かし、ぶつけていくと・・・、私の場合は、意識が引き込まれることもそうなのですが、眼球までも引力が生じているが如く、身体内に引き込まれる実感がありました。
 私は、観の目によって凝集→レットオフをすると、色や明暗も反転する現象に陥ることがあるのですが、それよりもさらに濃い意識の変化でした。

【道上】

 観の目についての修法を執り行なわせていただきました。
 AB間の直線に意識を沿わせてゆっくり注意を移動させていくと、最初は飛び飛びになっていたりつっかえたりしていたものが通じていくうちに、画像全体が波打つように揺らめいてくるのが感じられてきました。
 ある程度慣れてきた状態で、ABの中点Eに向かって両側から注意をぶつけ合わせてみると、左右横方向の直線であるABに対して縦(垂直)方向のような、自分と図の前後方向のような、ぶつけられた中心からABとは違う方向に意識が開かれる感覚が生じるのが感じられるようになりました。
 線で描かれる図の間にある白い空白の部分が、粒子の集合体として感じられるようになり、自分と観ている対象の双方がリンクするように振動してくる感覚があります。

 途中で注意の移動の際に意識の抜けや緩みがないか確認するため、目をぱっと見開いた状態で図のAに実際に自分の指を置き、ゆっくりBに向かって移動させてみました。
 このAからBに向かって直線上を移動する指先に、自分の注意の移動を合わせてみると、磁力が発生しているかのように意識の密度が急激に高まることに驚くと同時に、そこで目が実際に動いてしまうと魔法が解けるようにその濃密な感覚が消えてしまうのが実感できました。

【高木】

 さて、対話篇第1弾の幕を、このあたりで引くとしようか。
 改めて振り返ると、初心者には少し難しすぎる内容となってしまったが、ヒーリング・アーツ、龍宮道では基本が確かに奥義に通じているのだということが伝われば、それで充分だろう。
 初めての企画だったわけだが、なかなか面白かったよ。

【全員】

 ありがとうございました。

隻手の音声#2 憤怒炎

隻手せきしゅ音声おんじょう#2 憤怒炎

<『対話篇1』 完>

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