Healing Discourse

ヒーリング・リフレクション1 第一回 ヒーリング・セレブレーション

◎ヒーリング・ネットワーク1時代に執筆した『ヒーリング随感』シリーズを、今また新たに再開しようとするに先立ち、まずタイトルを少し換えて気分をリフレッシュさせようと思い、随感とか随想に相当する英語を検討してみた。いくつかの候補中より最終的に選んだ「リフレクション(Reflection)」は、反射、反響、鏡像、影、(事情・状況の)反映、投影、影響、熟考、沈思、内省、省察・・・などの意味を多層的に含んだ面白い言葉だ。アイディアとかしるし、兆候の意味もあるし、解剖学で膜組織を反転させることもリフレクションと言うそうだ。

 ブログ風の要素を取り入れたり、いろいろ実験的な試みを織り交ぜたりしながら、龍宮の道を歩み、世界とリフレクションし合いながら生きるというのは一体どんな感じなのか、その一端なりとも読者の皆さんに超時空的にリアルタイムでお伝えし、日々の生活の糧としてのヒーリング作用を「おすそ分け」できれば幸甚だ。
 
◎一年のうちでも特別なエネルギーが地球に集中する春分に合わせ、新松戸(千葉県)と名古屋にて、ヒーリング・ネットワーク再生を祝うヒーリング・セレブレーションを執り行なってきた(今後、広島でも開催予定)。
 最初、各地域在住の友人のみを招いてささやかに、と思っていたが、「希望があれば、部外者の参加も受け容れればいいじゃないか、めでたいことなんだし」、という話にいつの間にか友人らの間でなり、急きょウェブサイト上でセレブレーション開催を告知した。それが開催の1週間前。(対外活動を)一体まじめにやる気があるのか、となじられても致し方ない、とんでもないのんびりさ加減である。
 まさに、大海へ投じたボトルメール。そのようなものを、限られた時間内に誰かが見つけ、セレブレーション参加を申し込んでくるなどとは、実のところ誰も思ってなかった。
 ところが、インターネットの海に流した超越的招待状をどうやってか自力で見つけ、しっかりセレブレーションに参加した人たちが実際にいた。これは、凄いことだと私は思う。

 今回、龍宮道を初めて本格的に一般公開したのだが、初体験の参加者たちも学びの流れの中に積極的に溶け込んでゆき、波となって他者と響き合う歓び、楽しさを全心身で満喫したようだ。

ヒーリング・セレブレーション風景

新松戸でのヒーリング・セレブレーション風景。
撮影:佐々木亮

 透明な作用が身体内で波打つ、と私はヒーリング・ネットワーク2になってからずっと、自らの心身の実感を表現してきている。ヒーリング・ネットワーク1時代に私のわざを幾度も体験し、その時点で充分「透明で、波打っている」と驚嘆していた友人たちをして、「これほど凄くなっているとは!」と瞠目どうもくせしむる、それほどまでに現在いまの私のわざは、透明に、自由に、波打つようになっている。
 セレブレーション参加者の一人は、次のように述べた。

「一言でいえば圧倒的な透明感、ということになるのではないか、と感じています。
 以前の波は直進しながらも、上下左右の波があったと言いますか、波がわずかに揺れている感じがあった、という記憶があります。しかしながら、先日のヒーリング・セレブレーションでは全くそれがなく、純粋な縦波(進行方向と同じ方向へ起こる波)だけといった感覚でした。透明な波がサッと通り抜ける感じであり、初めて受けるとおそらく何が何だかわからないうちに倒れている、ということになるのではないでしょうか。
 同時に以前よりも深く届き、効いているように感じます。
 確かに相当な修行の成果だと思います。
 波紋で動く割合が高まるほど、動く際の軽さが増し、柔らかいバネが身体内で効くようになり、同時に意識の明晰さが増していくのはとても楽しいです。」

 これは、セレブレーション参加者が再び超時空的に集って語り合うための場として用意したBBSへの投稿の1つだが、ヒーリング・セレブレーションの模様を伝える生の証言や感想を、以下にいくつか抜粋してご紹介しよう。

「知識や想像ではない生々しい流れ、流体そのものを体験しました。
 高木先生と直接手を合わせた状態からのレット・オフは、流れという言葉を超えた流れそのものを体感したと思います。
 変な表現ですが、波紋によってからだがゆるむ瞬間は、童心に帰って父親に遊んでもらった感覚がよみがえり、とても楽しい体験でした。」

「今回のヒーリング・セレブレーションで、先生のご指導を受けるのは何年ぶりになるでしょうか、以前にもまして体に響いたという感じです。
 以前も、技をかけられて崩されたり転がされたり飛ばされたりしましたが、今回は内面から揺さぶられたというのが実感です。
 御多分に漏れず、私も日常生活のストレスで内面が凝り固まっていましたが、それが揉みほぐされているような心地でした。
 内面から揺さぶられているところに、先生のご指導で息が深く出入りするようになったのですから、自然と活力が沸き上がりました。
 今までは、すぐに呼吸が荒くなったものですが、今回は何時間でも続けられそうな感じでした。
 翌日、山の中の茶畑での仕事が格段に楽に感じられました。呼吸が深くなりました。食事もおいしく感じられました。
 これなら、毎日の生活が楽しくなりそうです。」

「鎖骨を要として胸郭をほぐし緩めていく方法では、確かな変化がありました。先生が鎖骨や背中に触れてくださると、背骨と肩甲骨の間辺りの奥のほうがクニャクニャし、さらにそれが胸郭全体に広がっていく感じがはっきり自覚されたのです。日頃肩や胸のこわばりを感じていますが、こんなにも柔らかく、それこそ波のように動くものなのかと驚きました。
 腸骨上端部と恥骨が同じ高さにあるとの仮想から覚めたときの脚の状態も、今まで感じたことのないものです。触れていただいた右脚全体が蛇のようにしなやかで、かつ力強いエネルギーが抜け通っているようで、両脚ともこのようになれば、ふだんの自分ではとてもできない動きが可能になるとワクワクしました。
 ナジオン(鼻根点)のレット・オフによる恐怖心の消失も、小手先のテクニックではない、全身心的な変容をもたらす深い術理であることを体感できましたし、ほかにも武術的なことや肥田式強健術についてなど盛り沢山の内容で、記憶が薄れるまえに何度も思い返し実践せねばなりません。
 ほんの一端のそのまた一端にすぎないにせよ、先生が導いてくださることで得られた『理会』を自分自身で再現できるように努めて参りたいです。」

「まず先生にわざをかけていただいて気づいたのは、タッチ面から感じる先生の掌やお身体の柔らかさ、優しさの感覚でした。投げ飛ばされるような豪快な術の際でも、私の既成概念とは大きく異なる、柔らかくリラックスした感覚に満ちていて、とてもそこからあの人間離れした緩急自在、剛柔自在の術が現われてくるとは思えない感覚でした。
 ですが、以前からとても不思議に思っていたのですが、複数の受け手に対して次々と武術的な術をかけていかれながら、決して誰も怪我をすることもなく、むしろ歓喜に満ちて元気が溢れてくる龍宮道(ヒーリング・アーツ)の術は、この柔らかく繊細な触れ合いがあればこそではないかと思われてきました。
 術を受ける際、観の目を意識しておりますと、先生のお手を離れた後も、共鳴した波紋の余韻を長く味わえることがわかってきました。今までは自分ですぐにあれこれ考えたり、体を固めたりして波紋を十分に味わうことができていなかったと気づきました。
 そんな時に先生より、ナジオンを上下均等に開きながら術を受けるようご指導いただきました。ゆっくりと投げ技を受けながら床に倒れていく際にも意識していると恐怖感や焦りがなく、時間が引き延ばされたような感覚と共に、柔らかく受け身を取ることができました。
 流心(瞑想)においてもナジオンを開き続け、無意識に閉じてしまったことに気づいたらレット・オフして開くことを意識すると、心身の流れが滞らないことが理会されてきました。
 先生のご境地は留まるところを知らずご深化、ご発展されているように感じられます。受け手の柔らぎぶり、波打ちぶりが目の前でどんどんと凄くなってゆくのが、動画を撮影しているとよくわかりました。」

「先生からいやされるたび内的に爆発が起こっており、いやしのエネルギーが溢れ出た状態になっていきました。」

「高木先生より様々な術(わざ)を伝授していただくことにより、胸の内側が意識化され、胸がすく感覚が現れると同時に心が明るくなっていきました。」

「先生からの直接伝授は、本当に有り難く、かけがえのないものでした。胸を波打たせるマナを徹底的に行なっていただけたため、固かった胸郭も相当緩みました。
 腰がかなり固まって縮んでいたこともよく分かり、久しぶりに腰が伸びて、こんな感じになったのは何年ぶりだろうかと感慨深い気持ちにもなりました。
 かなり激しい動きが多かったのにも関わらず、誰一人として息が上がる事もなく学びが進んでいったのは、本当に奇跡的で、また普通ならば何時間も練修していれば、当然疲れてくるはずなのに、誰もが疲れることなく、逆にどんどん元気になっていくというのは、普通ではあり得ない、他に類をみないものであると感動いたしました。」

「気がついたらあっという間の6時間でした。身体が水のようになるとはどういうことなのか、その入口を垣間見ることができた大変有意義な時間であったと思います。どうもありがとうございました。
 特に印象に残っているのは、高木先生が私の背中をチョチョッと触れた(?)だけで、姿勢が別人のように整ってしまったことです。姿勢の悪さはこれまでの生活習慣から来ているもので、短期間に矯正できるようなものではないと思っていましたが、何の努力感もなく一瞬で、というのは驚き以外の何物でもありませんでした。正に呪術的、と思った次第です。」

「本当にどこまでも透き通っていて、爽やかでした!
 わざを受けた瞬間、無重力空間に放り出されたかのようで考えることができなくなり、以前にも増して抵抗のしようがありませんでした。
 非常に幽かなところから生起する細やかな波で全てが統御されているように感じられました。」

 ・・・いずれも過分なお褒めの言葉、と思わないでもないのだが、しかし、ここに書かれていることはどれも皆、その通りの事実なんだから仕方ない。
 誇張も脚色もなし。おもねりもへつらいもない。
 書いている人たちの中には、古くからの友人もいるし、セレブレーション前には一度もお会いしたことがない人たちもいる。

 今回、初の試みとして、名古屋でのヒーリング・セレブレーションの模様を、最初から数時間分、参加者のスマホで録画してみた。画面が傾いていたり、撮影者がハアハア呼吸を乱していたり、本来であればとても公開できるようなクオリティではないのだが、龍宮道の最新バージョンが撮影された貴重な記録であり、後日、一部を本編中にてご紹介しようと思っている。

撮影:高木一行(クリックすると拡大)

<2021.03.30 雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)>