前回ご紹介した帰神スライドショー1を一見して、これが「サンゴがあまりない」場所なのか、と、まず驚かれたことと思う。
 ウミヘビがさっそく出迎えてくれて、滑らかになまめかしく波動しながら私の周りを楽しげに泳ぎ回った。エラブウミヘビ、だろう。昔、燻製になって高級食材として那覇の公設市場周辺などで売られていたが、今回の旅ではあちこち探したのだが1度も見かけなかった。材料のウミヘビが乱獲により激減しているそうだ。

 ところでシュノーケリング中、初心者は得てして真下の海底ばかり集中的に見ながらまっすぐ泳いでゆく傾向がある。すぐそばに、何か面白いもの、珍しい生き物などがいても、気づくことなくすれ違ったりして、まことに惜しい限りだ。
 まずは、真下に向けていた視線をゆっくり起こしてゆき、視界を大きく拡げるといい。海底だけでなく、海面も、それから海底と海面の間の(水で満たされている)空間にも、注意を向ける。そして、遠く・近く、左や右に、・・・と流れるように観察しながら、ゆったりあたりを泳ぎ回るのだ。
 そんな風にしていれば、例えば、海底でカイメンや海藻をついばむウミガメのシルエットを遠くから発見し、余裕を持ってそっと静かに近づいてゆく、といったことも自然にできるようになる。さもないと、いきなり目の前に大きなカメが出現し、慌てて手足をじたばたさせて大暴れしてしまい、驚いたカメが一目散に逃げ去る、といった残念な事態ともなりかねない。実際、私が今述べたそのままのことをやらかす礼儀知らずのシュノーケラーたちを、今回の旅で何人も目撃した。

 ウミガメに近づくことに成功しても、自分の影で驚かせ、警戒させることがある。逃げられてしまうかもしれない。そうならないよう、(影ができる方向にも気をつけて)細心の注意を払いつつ、遠間からそっと潜って海底を這うようにゆっくりアプローチしていったり、息継ぎのため浮上してくるのを海面に浮かんで瞑想的にリラックスしながら待ち受けたり、いろんな態勢で帰神撮影した。このウミガメは、巡礼紀行シリーズ『ケラマ・グレイス』で頻繁に登場したアオウミガメとは違う種類で、タイマイという。以前は、ベッコウ細工の材料として甲羅が人間につけ狙われていた。

左がアオウミガメ(慶良間諸島・阿嘉島にて)で、右がタイマイ(各写真をクリックすると拡大)。

 次に案内されたのは、4年前の地球規模の白化現象で、サンゴがいったん全滅したがまた復活してきた、というポイントだ。まずは、スライドショー を。

帰神スライドショー2 『プラチナのきらめき』

通常画質版 :
 
  
高画質版 :
 

 これがつい最近死滅したサンゴ礁・・・? 4年ものと言われれば確かになるほどそうかもしれないと納得する小ぶりのサイズではある、が、このテーブルサンゴたちの見渡す限りの群生の、いかにも元気がありそうで、勢いの盛んそうな様子は・・どうだ!? 

 海面に浮かんで亜熱帯の晩夏の日差しを満身で感じつつ、全身の力を抜き、生暖かく濃密な海水の抱擁にすべてを委ね切った。
 力を抜くことを、シュノーケリング・セットを装着して水に浮かびながら修練すると楽しい。
 次のような話を、以前聴いたことがある。入水自殺を図ったのに生き残るケースがあるが、そういう人は本当に死のうと決意していたので期せずして力が抜け、浮かんでしまった。逆に死んでしまう人は、命が惜しくなって暴れるため力が入り沈んでしまうのだ、と。
 実際に試してみると、確かに力が入ると身体は沈み、力を抜くと浮くのである。腕とか腿などのパーツで実験すればすぐわかる。そうやって力の抜き方を覚えると、陸上でも日常生活の中でかなり役に立つから、機会があったら是非試してみるといい。

 肩やその周辺の力が本当に抜ければ、胸や背中とはこんな風に自由自在に「波打つ」ものなのか、と驚くに違いない。肋骨のところもぐにゃぐにゃ溶けたみたいに柔らかく、波に揺さぶられて自由自在に波打つ。海に浮かびリラックスしながら波に揺られて、胸がそんな風に波打たない人は、自分の体を(硬い柔らかいは別にして)「固体」と、無意識のうちに思い込んでいるのだろう。私が唱道する龍宮道では、人の身体も精神も、実は「液体(水)」なのであり、心身を液体として感じ・意識し、実用的に使う道がある、と教える。
 固体から液体への認知転換は、生における計り知れないほどの<自由さ>の感覚をもたらす。途方もない開放感の透徹、湧き上がる健康感の歓喜。

 首の力を抜くのも気持ちいい。悩んだり、恨んだり、怒ったり、おびえたり、悲しんだり・・・することが、とても難しくなる。
 頭だってできる。あれこれ考えることを全部海の中に溶かし込んでしまうのだ。頭の力が抜けて軽くなると、意識が自動的に瞑想状態へシフトする。
 そうやって、時にあちこち揺さぶったり・振るわせたりしながら、全身各所の力を抜いてゆき、頭を空っぽにして、内臓まで緩め、海にすべてを委せ、海と一体となり、海を感じてゆく。手足はだらんと垂れ、水に浮かぶ水死体のようになって、ゆらゆら揺られ、目的もなく漂う。やがては、「自分」と「海」との区別すらつけがたくなる。
 シュノーケリングにはこのような受動的な楽しみ方もある。能動・受動の両面をバランスよく徹底的に、トータルに味わいきってこその、<龍宮巡礼>だ。

 8年前にオニヒトデの食害でサンゴが全滅したが、その後よみがえった(よそからサンゴの卵が流れ着き、ここに活着して成長した)という場所でもシュノーケリングした。テーブルサンゴはゆっくり育つが、細長く幾つも枝分かれしながらごちゃっと密集している枝サンゴは成長が早くて、台風などで大規模に崩れても、あるいは人に踏み潰されても、翌年には元どおり繁っているのだそうだ。浅瀬では、むしろ人が踏んで溝を作っておいた方が、潮通しおどおりがよくなって一層繁茂する、と言う島在住者もいた。島びとにとっては雑草みたいな感覚なのかもしれない。

 これからお目にかける帰神スライドショー3では、まず「8年もの」のテーブルサンゴたちとご対面いただきたい。
 よく観察すると、個々のテーブルサンゴが大きな岩山のようなものの表面から生え出て、全体を覆っていることがお分かりだろう。その基盤の岩山のすべてがサンゴの骨格だ。サンゴ礁とは、死んで蘇ることを繰り返しつつ成長する生き物なのかもしれない。
 共生する褐虫藻が光合成によりエネルギーを生み出すため、サンゴは太陽の光が来る方(上)を向いて育つ。また、光があまり届かない深みにサンゴ礁はない。
 帰神スライドショー3の前半途中で、エメラルド色の海面が登場するのは、いったんボートに上がり、シュノーケリング・ポイントを移ったことを示す。
 その後も、何度かポイントを変えながら、鳩間島周辺のあちこちを巡礼して回った。

「息を呑む」という言葉があるが、帰神スライドショーを観照中、時折息を呑んでしばらく止めると面白い。観え方が一気にクリアーになる。
 目を柔らかく観開いて、まばたきしないことが重要だ。視点を画面中央に仮に定め、いったんそれを注視しながら、その注視するということにおける各自の身体内感覚(凝集、求心、輻輳ふくそう、など)に注意を向ける。すると、その内的感覚が強まる。すなわち、注意が感覚を強調する。注意したりやめたり、を繰り返せば、内的感覚と注意との緊密な連繋を確認できるだろう。
 この原理を使い、「見つめる(集中する)」という行為そのものを強調し、「見つめる」ことはそのままで、強調すること(そこに注意を注ぐこと)だけをそっと手放してしまう(やめる、スイッチを切るみたいにオフにする)のである。最初に定めた視点は終始変えない。つまり、目を動かさない。まばたきもしない。少しでも目を動かすと、すべて台無しになる。
 このようにすると、集中の正反対極の位相をもつ反転波が神経的に発生し、それは「見つめる」ことにまで波及していって、「部分に注目しない、画面全体が全体としてただあるがままに目に映っている」境地が自然に現出する。能動的に「見つめる」ことが正反転した状態だ。
 これを「観の目」といい、私が文中で「見る」ではなく「観る」とわざわざ表記しているのは、観の目で観たことについて語っているからだ。

 あなたも観の目を使って帰神スライドショーに向き合えば、やがて・・・脈動しながらプラチナ色に輝く光のエッセンスのごとき質感が・・・・、海の中で閃き・踊っているのを、目にし始めるだろう。
 生命いのちが満ちている。生命いのちが踊っている。

帰神スライドショー3 『巡礼行』

通常画質版 :
 
  
高画質版 :
 

<2020.12.02>