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 この日の帰神フォトは、あまりない。
 巡礼の内面性を深めるため、終日、部屋に閉じこもり、龍宮道三昧ざんまいで過ごすこととしたからだ。
 それによって、旅がさらに豊かになる。内面と外面の両方がバランスよく満たされて初めて、その旅はヒーリング・トラベル(巡礼)となるのだ。

 巡礼わずか4日目にして、私のわざの「波紋度」が飛躍的なバージョンアップを遂げていたから、同行者たちの驚きようといったらなかった。
 巡礼の流れとピタリ、チューニングが合ってくると、旅の経験が即、血肉と化し始めるのがありありと実感できるものだ。龍宮道のわざの中に、思いがけない形で、様々な体験が織り込まれてゆく様は、我がことながら神秘的というほかない。
 日常生活の中での、普段通りの稽古によっては決して得られない、まったく新しい質の熟達。「それ」を求め、昔日の武術家や宗教家などは、各地の聖地を経巡へめぐりつつ修業したのだろう。

 ところで、すでにお気づきのことと思うが、現在の西表島巡礼の旅と、過去の西表島の記憶を巡る心の旅、その二つの旅を交錯させつつトラベローグを綴っている。

 夕刻、「呼びかけ」の如きフィーリングに突き動かされ、同行者たちを伴い、宿泊している集落から車で15分ほどの月が浜へ出かけた。

月が浜へと通じる道。

 三日月型に優美に広がる月が浜(トドゥマリ浜)は、神がつどいトドマリ遊ばれる聖地として、古来より人々が敬い、様々な儀礼や祭礼などが執り行なわれてきた場所だ。柔らかな弧を描き、はるかへ伸びる白砂しらすなの浜の美しさは、そこが聖なる地であることを、人に自ずから感ぜしめた。
 が、往時のおもかげはもはや、ない。
 神が通われなくなって随分久しいのだろう、藻くずや落ち葉、ゴミなどがいっぱい打ち上げられ、暮色にどす黒く染まる無残な荒廃ぶりには言葉を失った(下写真。クリックすると拡大)。
 住民の猛反対を押し切って強引にこの地に大型リゾートホテルが建てられて以来、浜の様子が急変したという。ここにしかいなかった(人の爪くらいの)トドゥマリハマグリが大量死し、ウミガメも産卵に来なくなった。

 裸足で渚へと歩みを進め、うやうやしく合掌し、心をしずめて、足下を洗う波のリズムを満身で感じ取ってゆく。
 そして、裡なる原初の波紋に導かれるように、自ずから湧き起こってくる舞を舞いながら、ニライカナイ(海の彼方の楽土)の神々を波招きに招き、地球調和の祈りを捧げていった。

 するうち、・・・・波打ち際のあたりが強烈にアピールしてき始めた。何か途方もなく面白いことが、そのあたりで起こっている。
 こういう時は、「撮りなさい」と、差し招かれているのだ。油断なく準備してきたカメラに、4K画質で動画記録する機能があったことを思い出し、例によってぶっつけ本番で試してみた。

 この日、動画による帰神撮影に、初めて手応えを感じた!
 私の初の帰神ムービーは、以下の2作。
 暗い場所で、そして観の目で、観照することを、強くお勧めする。その方が断然面白く、楽しめるし、瞑想・ヒーリング効果も抜群だ。

 干潮のピークを大分過ぎて、これからどんどん大潮の波が浜辺へと押し寄せ始める時刻。
 満ちる波、寄せる波。
 渚ははじめ、夕陽を映して金色こんじきに輝き、やがて日が沈むと、青白い銀色へと変わった。
 かつて、神々はニライカナイから波に乗って、人々の元へと打ち寄せたのだ。
 祈りを込めれば、生命いのちの力が、波に宿る。
 その波に乗って、地球調和の祈りが・・・、あなたの元へ届きますように。 

『金の浜』 帰神撮影:高木一行

4K画質 01分42秒

『銀の浜』 帰神撮影:高木一行

4K画質 03分15秒

<2021.07.22>