2013.10.12(断食 DAY19)
<朝>
愛する美佳、
今朝起床して少し経った頃より、異様に「寒さ」を感じ始めた。
それまで半袖Tシャツで過ごしていたが、長袖に換え、靴下をはいても、まだ寒い。
風邪でも引いたかと思い、毛布にくるまって寝転がっていたら、身体内が非常に細やかに振るえていることに気づいた。
寒さでブルブル震えるのとは、細やかさがまったく違う。これまで体験したことがない状態だ。
面白くなってきて、掌のあちこちに指先でヒーリング・タッチして「手の中心」を確認したり、以前から疑問に思っていた龍宮道の「密珠[みつじゅ]」(全身各所に伏在する、身体運動の要[かなめ]となる動的支点)の働きを検証したり、あれこれ楽しくやっているうちに、寒けはいつの間にか収まっていた。
腕の中も極めて細やかに、軽やかに、微振動している。
これは腱とか筋肉、骨などが震えているというよりも、細胞1つ1つから振動が発せられている感じだ。
面白い。
絶食19日目にして、ようやく断食行の醍醐味[だいごみ]が現われ始めたようだ。
新たな振動感覚は、今はやや沈静化しているが、盛んに発動していた30分間ほどの間にも、いろんな発見があったよ。
例えば膝下外側の密珠は、ただそこを支点として膝を曲げ伸ばしするような単純なものじゃなかった。ヒーリング・タッチで、その場所そのものの意識を覚醒させると、まさに珠[たま]のように、そこがコロコロ転がる感覚と共に、脚、膝の実に多様な形、動きが導き出されてゆくではないか。
密珠とはうまい呼び方をしたものだと、我ながら感心した次第だ。
まあ、私が考えたというよりも、術[わざ]が閃[ひらめ]いた際、一緒に名称がついてきたのだが。
これは、まだまだ「やめられん」ね。
と同時に、龍の台[うてな](編注:土踏まずから全身のバランス配分を調律する空飛ぶ円盤型の木製の台)や熱鍼器(ねっしんき:熱感と痛覚を介して皮膚から内臓をチューニングする電子装置)などの補助用具、装置が使えないことが、ややもどかしい。
美佳、楽しき愛を、君へ。
一行
2013.10.12(断食 DAY19)
<午後>
愛する美佳、
膝密珠が、すごい。
今し方わかったのは、この密珠の真の「向き」だ。
これまで私は、膝密珠が真横を向いていると思い込んでいた(直立時)。
四角四面でものごとを縦―横の系列で整理したがる、世間一般にありがちな仮想(誤認知)に、私もとらわれていた。
老子いわく、「曲[きょく]なれば全[まった]し」と。
タッチ感覚を元に、丁寧に膝密珠を感じてゆくと・・・ふくらはぎのふくらんだ部分から、膝密珠(腓骨[ひこつ]上部のふくらみ)のあたりにかけては細くなっているのだから、密珠は・・・真横ではなく、斜め上向き(直立時)に・・・なっている・・・???!!!
これが身体でわかった瞬間、ギュルギュルっと「縦に」渦巻くような力が脚の内面を動き、貫き、下腹丹田に集約された!!
突き術[わざ]、蹴り術[わざ]、いろんな方面へと応用できそうだ。
・・・どうも「ラブレター」らしくなくなってきた感じがする。
日々の出来事や私の状態を、ありのままに綴[つづ]り、君に報告してきたのだが・・・。
一体何が、私の身に起こりつつあるのだろう?
私にはわからない。
それは、ただ神秘だ。
こんな風に、次から次へと、宝石のように輝く叡智、術を授かりつつあるが、誰かを相手にそれを試す機会もなく、ただ自分1人が感・動し、自分1人が感激し、自分1人が喜んでいる。 ・・・ただそれだけ。
他の人はどうか知らぬが、こういうのは本当に空しいと私には感じられる。
修養の道を歩み始めて以来ずっと、30数年間というもの、「分かち合い」と「人類の福祉向上」を旨[むね]として進んできた。
せめて、君や友人らに、その一端なりと伝えたいと思い、こうして書いているが、文章だけを通じどこまで伝わるものか・・・。
あるいは、これは私の中に残された「こだわり」であり、「とらわれ」なのか。
個人、または少数者のみで独占することなく、広く分かち合いたいとの願い、祈りもまた、ある種の執着なのだろうか・・・。
断食するといつもそうだが、従来の疑問への解答と同時に、ものすごい量の課題が突きつけられる。
すべてを捨ててここへきたというのに・・・。
気づいてみれば、何と多くを、私は今、手にしていることだろう。
まぁ、先のことは一切考えないようにしよう。考えても仕方ない。
それにしても美佳、さきほど膝密珠の真[まこと]の向きをヒーリング・タッチで意識しながら、左右の脚をそれぞれ1、2度、曲げ伸ばししただけで・・・下脚(膝から下)がものすごく充実し、足がポカポカ暖かくなってきたよ。
あまりにも暖かいので、靴下を脱いだほどだ。
脚のストレッチ運動の際にも、膝密珠の向きを意識し、そこを脚の曲げ伸ばしの支点として使えば、体全体、どこも過不足なくぴたっと「収まる」感じがして、すごく楽になる。
美佳、静謐[せいひつ]なる愛を、君へ。
一行
2013.10.12(断食 DAY19)
<夕>
愛する美佳、
何かを期待する「私」。
あれこれ考える「私」。
面白がっている「私」。
その「私」を意識しながら、掌の中央を凝集し、それからレット・オフすることを、常に心がけている。
「私」という存在感がばらばらに解体される、この感覚は素晴らしい。
悩みも、思いわずらいも、苦しみも、不安も、不満も、同時に雲散霧消[うんさんむしょう]する。
「私」(自我)こそが、苦しみの元だ。
苦しみそのものを消そうとあれこれ努力するのではなく、「苦」を感じている「私」の感覚を、強調してレット・オフする。
レット・オフについては『奇跡の手 ヒーリング・タッチ』やヒーリング・ネットワークのウェブサイト内に嫌というほど記したから、改めてここに書くことはしない。
そういえば、レット・オフも「わからない」「できない」と人々から言われ続けたのだった。新興宗教まがいの暗示作用、と深く検証もせず、決めつける者もいた。
君と共に織[お]り上げてきた聖地巡礼シリーズは、地球そのものからの生命[いのち]のメッセージを受け取り、人類に伝えることだったのだと、今はよくわかる。
私たちの聖地巡礼は、果たして完結したのかな。
地球全体からみれば、私たちが訪れた場所はあまりにも少ないけれども。
美佳、聖なる愛を、君へ
一行
2013.10.12(断食 DAY19)
<夕(2)>
愛する美佳、
これまで書いた分をざっとチェックしてみたが、すでにかなりの分量であり、ちょうどよい区切りとなる21日目でいったん打ち切り、作品として完成させることにした。
奇妙なもので、とうの昔に離れたヒーリング・カリグラフィー(書道)の新たな作品イメージが時折鮮明に浮かんでくる。
再び筆をとるつもりなどないが(何せ私の書道は部屋中に墨が飛び散るからね)、私の内部にまだ表現し切れてない何ものかが残存しており、それが出口を求めて、ザワザワ身の裡[うち]をうごめいているかのようだ。
そういえば話は変わるが、取り調べの刑事や護送の係官らと雑談の最中、私があれこれいつもどおりの調子で語っていると、相手が突然話をさえぎり、「やめてくれ。これ以上聴いていると、あんたの信者になってしまいそうだ」なんて叫ぶことが、これまで何度かあったよ。
呵々[かやかや](大笑いの意)、だ。
先ほど体重を量ってみたら60kgちょっとだった。こちらへ来て、お茶、水以外、一切口にしていないのに、19日間で10kgほどしか体重が減っていない。
それに、いまだに下腹部はゆったりふくらんだままなんだよ。
食気法(胃に空気を取り込む、いわゆる霞[かすみ]を食す神仙術の法)の効果か。
美佳、1万回の「愛してる」を、君へ。
一行