Introduction

生命の芸術 高木一行

 ヒーリング・ネットワーク・・・・これは、私が2002年5月29日から8月26日に至る90日間の連続断食を行なった際、ある日突然、私の内面で鳴り響いた言葉だ。
 それは普通の言葉とはまったく違う、どこか神秘的な場所からやってきたように感じられた。声に出して唱えると、時間と空間を超えて無限の彩り豊かな世界がマンダラのように拡がっていくのを、ありありと感じることができた。<ヒーリング・ネットワーク>とは私にとって、生命が通う言葉であり、大いなるヴィジョン(透察、展望、幻視)の結晶だ。

 それ以前、二十歳頃から20年以上に渡って心身錬磨の修養に打ち込んできた過程において、「ヒーリング」も「ネットワーク」も私の主たる関心事となったことは一度もなかった。しかし、自らの内より期せずして湧き出てきた<ヒーリング・ネットワーク>という言葉を何度も繰り返し味わううち、自分が半生をかけて追求してきたものこそ、まさにヒーリングでありネットワークにほかならない事実が次第に明らかとなっていったのだ。

 ここでいう「ヒーリング」は、世間一般で使われているヒーリングとは多少意味が異なるかもしれない。ヒーリング(healing)は普通「癒し」と訳されるようだが、「癒」という漢字の字源をさかのぼると、「膿瘍を手術刀で切除することで不快感がなくなる」という意味に行き着くことをご存知だろうか? すなわち癒とは外科的手法による治療を意味する文字であり、それは私にとってヒーリングの一部ではあっても全体ではない。

 私が言うヒーリングとは、生理的・心理的にはっきり感じられるある状態だ。微粒子レベルで強烈に帯電した圧力感の如きもの。活力であり、歓びであり、穏やかさであり、充実感だ。
 身体のあらゆる箇所で、ヒーリング状態を目覚めさせ、活性化させることができる。それらをネットワーク化していけば、全身のバランスが取れ、身体と精神は自ずから統合され、限りないしなやかさ、自由さ、すがすがしさに満ちあふれた生のあり方が実現する。
 私は今、こうしてこの文章をしたためながら、ヒーリングを心身丸ごとで実感しつつある。たった今この世に生まれ落ちたみたいに新鮮で、祭の盛り上がりのように賑やかだ。と同時に、矛盾するようだが、まったき静謐さを感じる。

 こうしたヒーリングの多元化(ネットワーキング)は、自分自身の内面だけで完結するものではない。ヒーリング作用に満たされた者が他者と触れ合う時、不可思議な共振が生じ、相手の心身にも直ちにヒーリング状態が映ってくるのだ。 
 初めて体験する者にとってそれは「無重力感覚」、つまり囚われからの開放と表現するのが最も適切だろう。これは抽象的な意味で言っているのではなく、私と触れ合ってヒーリングの共鳴を体験した人々の多くが、まるで宇宙空間で自分の重さがなくなってしまうような無重力感覚について報告しているのである。
 重力の桎梏(しっこく)から解き放たれ、心身が粒子状に分解されたかのようにフワフワに緩み蕩(とろ)けていく時、現人類の大多数にとっては未知の新しい意識が覚醒し始める。それは表と裏、右と左、善と悪、光と闇、過去と未来、生と死といった二元対立が渾然一体となって溶け合う超越的・根源的意識だ。この超意識状態においては、自分と他者という区別はもはや存在し得ない。それはトータルな調和の感覚だ。

 宇宙に出て地球を眺める者がしばしば経験するという意識の拡大、人種や国籍、民族の違いを超えた全人類的・全地球的一体感の覚醒にまで、ヒーリング体験は深まっていく。
 より多くの人々がこの新しいグローバル意識に目覚めれば、環境問題や人口爆発など、私たちを取り巻く地球規模の危機的状況に活路を開いていくことさえ可能となるかもしれない。つまりヒーリング・ネットワークというヴィジョンには、社会的・国家的・国際的・地球的レベルのヒーリングまでが理想・理念として含まれるのである。

 こうしたヒーリングが私1人だけに可能なものであったり、あるいは難行苦行を通してのみ獲得できるようなものであるとすれば、そんなものに大した価値があるとは思えない。だが、私がここで説いているヒーリングには具体的かつシンプルなメソッド(手法)という側面があって、必要な姿勢と動作、体得するために踏むべき手順、肉体と精神に及ぼす影響とその原理に至るまで、すべてが整然とシステマティックに調えられている。つまり正しく実践すればあなた方もヒーリングを体験し、修得し、周囲の人々と分かち合っていくことが実際にできるのだ。こうしたメソッドは今も尽きることなく私の内から次々に湧き溢れ続けているのだが、私はそれらの術(わざ)を総称してヒーリング・アーツと呼んでいる。

 ヒーリング・アーツとは、生命(いのち)の芸術だ。深遠なる<いやし>の作用を通じて生命の力を燃え上がらせる術(わざ)だ。画家がキャンバスや絵筆、絵の具を使って絵を描くように、あるいは音楽家が楽器や声を媒体とするように、ヒーリング・アーツは生命力そのものを積極的に活用して生の歓喜を表現しようとする。
 宗教とか能力開発法、あるいは健康法、治療法ではなく、芸術という表現を私が特に選んだのは、物質的にも精神的にも高度な発達を遂げた未来の社会においては、芸術こそが至高の価値を与えられることになると感じるからだ。偉大な芸術家であり思想家であった岡本太郎は、これからは私たち一人一人がアーティストとなり、創造の営みを通じて社会全体の活力を高めていかねばならないと力強く説いた。私は彼の預言的ヴィジョンに深く共感する。

 ヒーリング・アーツは私が頭をひねって考案したようなものではない。いろいろな既存のメソッドを比較研究して新しい方式を編み出したわけでもない。それは二元性を越えた超越世界との神秘的なコミュニオン(霊的交合)を通じてもたらされるものであり、原理から具体的方法、効果に至るまで、多層的な情報が一瞬のうちに私の心身にダウンロードされることによって、この物質世界に忽然(こつねん)として顕現する。
 実際に試してみれば、あらかじめ直感した通りの効果が味わえるし、他者に行なっても同様の結果がもたらされる。自分が知らなかったこと、知るはずがないこと、できなかったこと、できるはずのないことが、突如として、当然のように、わが身の裡(うち)にある。こうしたヒーリング・アーツの術(わざ)は日々増え続けていって、今や優に一万手を越えるに至っている。

 一体何が私の身に起こっているのだろう? ・・・・私にはわからない。だが、宇宙から地球を見るような視点でこれらのメソッド群を一望の元に納めると、ある種のメッセージが明瞭に浮かび上がってくる。
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「調和の術(すべ)を学び、実践し、分かち合いなさい」
「苦しみ、悩みの重さから解き放たれなさい」
「ゆるして、囚われから開放されなさい」
「いやしのネットワークを拡げていきなさい」
「地球と共に振るえ、地球にいやされ、地球をいやしなさい」
「未知の世界を求め、内なる意識宇宙の大海へと船出しなさい」
 ・・・・・・
 ここ数年、上述のごとき声なき声が、私の内面で次第に高まりつつある。おそらく、同様の呼びかけを感じている人は、日本国内はもとより世界各地で少しずつ増え続けているのではなかろうか? 
 何か大いなる変化が、地球レベルで起こりつつあるのかもしれない。

 生命力が高揚する楽しさ、豊かで慈愛に満ちた宏大な心、心身の信じがたいほどの軽やかさ・フレキシビリティ、精巧なバイオアーマーを装着しているみたいなパワーの出方、他者との波動的一体化、鋭く磨かれた感覚に映える世界の驚異、エクスタシーに充ち満ちた超越意識・・・こういった諸々の感動が、ヒーリング・アーツの各修法には精髄(エッセンス)として秘められている。身体各所を高度にチューニングしていく手法を応用すれば、各部の故障(病)を調律することも可能となる。
 よりしたたかに伸びやかに生き、いかなる逆境をも楽しんでしまうふてぶてしい生命力を養い育てながら、余力をもって周囲の人々を扶(たす)け、社会に、世界に、地球に、貢献していくことを喜びとする、それがヒーリング・アーティストの基本姿勢だ。

 私たちがいやしの術(わざ)を分かち合おうとしているのは、何らかの焦慮とか危機感、あるいは義務感や使命感ゆえではない。
 深刻になることは私にはとても難しい。煩悶も苦悩も、私の親しい友ではない。たとえそれらが裏口から忍び込んできて居座りそうになっても、両手でそっと頭と触れ合ってヒーリング共振を起こす術を修すれば、頭の中心からクールで繊細な波紋がふわりと湧きあふれてきて背骨を満たし、さらに全身のすみずみにまで拡がって、すべてを祓い清めてしまう。そして涼やかなユーフォリア(多幸感)のみが残る。それに要する時間は初級者で数十秒~数分、熟達すれば数秒程度しかかからない。いかにすればこういうことができるようになるか、その秘伝を本サイトですべて公開し、詳細に解説していく。
 煩悶苦悩と同様、世俗的成功への野心という重荷を持ち運び続けることも、私にはとうてい不可能だ。ヒーリング・アーツをちょっと応用すれば、最高の達成、満足の「感覚そのもの」を即座に、自由自在に引き起こして心ゆくまで味わうことができる。だから好きこのんで執着という名の牢獄に住み続ける理由が、私にはそもそもないわけだ。
 あの世とか地獄とか天国とか、そういうものにも私はまったく興味がない。ヒーリングという「楽」が極まれば、世界は直ちに極楽、生ける大聖堂と化す。自分自身を始めとしてあらゆるものが裡(うち)より聖なる霊光を放ち、無限のエクスタシーにうち震える。これは詩的イメージではなく、私自身が何度も経験してきた生理的実感だ。天国であれ何であれ、これ以上の楽しさ、嬉しさ、ありがたさが他にあり得ようとは、私には想像すらできない。

<2007年5月5日 立夏>

高木一行

 高木一行(たかきかずゆき)
 様々な瞑想法、健康法、能力開発法、武術等について、約30年に渡り深く研鑽を積み、かつては雑誌への寄稿、単行本の出版、不特定多数の人々を対象としたセミナー等を通じての啓蒙活動に従事。その後世間との接触を断ち、心身錬磨のトレーニングと並行して、長短の断食を行ない、シャーマニックな修業を試み、深山にこもり、あるいは南海の珊瑚礁や国内外各地の聖地に身をおいて感覚を開放するなど、豊かな心身修養ライフを楽しみつつ今日に至る。
 ヒーリング・ネットワークというヴィジョンの元、いやしのアートを分かち合う活動を2007年より開始。広島県在住。

高木美佳

 高木美佳(たかきみか)
 幼少より音楽に親しみ、東京芸術大学音楽科を卒業。女性の内に秘められた創造性の神秘やセクシュアリティについて探求していく過程で、音楽の未知なる次元と触れ合い、音楽に秘められたいやしの力に関する新たな洞察を得る。その後、自らの内より自然に湧き出ずるメロディー、ハーモニーを元としての楽曲創作や、音楽とヒーリングの関連について研究を進め、現在に至る。女神崇拝、精霊信仰、古代神秘思想、シャーマニズムなどの要素が渾然一体となって融合した、新たな音楽世界を切り開きつつある。