Healing Discourse

グノーティ・セアウトン [第4回] インターミッション 1

 いろいろな人たちがディスコースに応答してきている。
「仮想身体をリアルに感じるところまではいっていないが、しっかり取り組んでいきたい」などと書いてきたうっかり者もいたが(仮想身体は実体のないものだからリアルに感じることはできない)、大半の人は私が述べていることを正しく理会し、着実に歩みを進めつつあるようだ。
 今回は私の元に寄せられたメールの一部をご紹介し、読者側の視点から仮想身体に新たな光を当ててみたい。

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◎ヒーリング・ディスコースを実践させていただいていると、自分の手や手首が新たにいのちを吹き込まれたかのようにありありと感じられると同時に、普段の仮想の状態がどれほど慢性的で、ひどいものなのかを感じます。手が腕からまっすぐ生えているように感じて疑わなかった事実でさえ、ヒーリング・タッチで触れ合うことなしには、こんなにもはっきりと理解することはなかったと思います。
 ヒーリング・タッチで本来の手や手首の感覚を取り戻しても、日常の中ではすぐに仮想の状態が戻ってきて、腕からまっすぐ手が生えているような角度にするために、常に余分な力が加わっており、手の甲側の緊縮を特に顕著に感じます。この緊縮も今までずっとあったものなのに、感覚が曇らされ、感じられていなかっただけだったのだと分かります。気付いたときに手首とヒーリング・タッチで触れ合い、感覚をクロスオーバーしていくと、たちどころに手、手首の感覚が変化し、内側から骨格が組み替えられていくようで、体がミシミシいっているのを感じられます。
 また、橈骨と手の間を掌側からと甲側から指ではさんでヒーリング・タッチすることを練習していますと、まるで指が新しく生えてきたようにリアルに感じられ、「こんなところに指があったのか!」と行なうたびに目が開かれる思いで、特に親指の角度は普段の仮想状態と著しく異なっていました。練習を行なった手と行なっていない手を比べてみましたら、行なった手の方は行なっていない手に比べて一回り大きくふっくらしているように見え、実際の感覚も手が大きくなったように感じて驚きました。
 このように実践してすぐに効果が感じられるのは、ヒーリング・アーツの素晴らしいところだと思います。
 ヒーリング・ディスコースでは多くのことを学ばせていただいており、感謝に堪えません。本当にありがとうございます。<N.S. 女性 東京都>

◎不調とまではいかないが、好調ともいいがたい。常になんとなく体が重く、頭のなかは喧噪に満ち、心は波立っている。幼いころには感じていたはずのはつらつとした壮快感を覚えなくなって久しいが、年齢を重ねるとはそういうものなんだろう。・・・そんな思いをずっと引きずってきたわたしのような者にとって仮想身体の理論とヒーリング・ネットワークの修法は人が抱える病いの根源にまで考えを到らせ、同時にそれから解き放たれる可能性に眼を啓かさせていただける途方もない価値を有するものです。
 深遠な世界の入口をのぞいたにすぎませんが、身体の存在感が落ち着くべきところに落ち着いた時に訪れるこの安定感と軽やかさ、心が澄み渡るありありとした感触にはまさに眠りから呼び覚まされる思いがいたしました。試みるたびに味わえる感動と、なのにあっという間にもとの窮屈で騒々しい自分に戻ってしまっている病いの根の深さの双方を見据えながら、今後も少しずつ感性を磨いていきたいと思います。<K.M. 男性 愛知県>

◎事務的な作業をしていて、ふと「手首は斜めになっている」とその角度を意識しますと、カクンと肘から肩にかけての緊張が抜け、視界が広がりました。
 教えていただくまで、手首の角度など意識したことなどなく、前腕からまっすぐについているものと思っていましたので、驚きました。「手首はまっすぐだ」という思い込みによって、その状態を保持するために慢性的な力みが生じているのだということがわかりました。
 さらにヒーリング・ディスコースには、「手は橈骨のみにつながっている」という驚くべきことが書かれてありました。解剖学の本で確かめてみると、たしかに橈骨としかつながっていません。その事実と、手首の角度を意識して手を振ってみると、なんと軽やかに自由に動くことでしょう。嬉しくて、何度も繰り返しておりました。
 反対に、今まで当然だと思っていたように、前腕と手が一直線で尺骨側もつながっているというように戻そうとすると「うぎゃ!」思わず声が出るほど不快です。全身が連動して固定化していき、まさにロボットみたいです。仮想のからだで、動きの制限された世界で生きていたということに愕然とします。<M.I. 男性 大阪府>

◎手首の仮想について、ディスコースを参照しながら実践してみたところ、その効果は驚くべきものでした。ヒーリング・タッチを意識しつつ、手首と触れ合っていくうちに、思いもよらないところから生々しい感覚が生まれてきました。最初は曖昧でしたが、触れ合っている箇所をクロスオーバーしていくと、意識が身体の内部に引き込まれるような感覚が生じ、手首と全身との客観的な位置関係が突如明確になっていきました。何もない空間に3Dモデルが突如現れたかのようでもあり、骨格の動きが幾何学的に感じられました。言葉では表し難いですが、単に身体の問題というだけでなく、生きている世界、人生観、今いる場所・・・自身の存在感そのものが変化して、新たに生まれ出たような、凄まじい感覚がありました。
 この感覚と元の仮想の感覚を行き来していると、普段の状態は本当に皮膚感覚もなければ骨もない、身体全体のつながりもない・・・というとんでもない状態であることが明確に感じられる瞬間が訪れました。その時は意識の流れは頭中心となり、恐ろしいことに「ここにあるはずだ」という思い込みのみがあり、クロスオーバーすることで現れた感覚と、明らかに異なっていることが確認できました。現実の手首が少しでも意識化されてくると、ただちに大きな充足感、滞らない流れを感じて、幸福感に包まれます。しかし同時に、どうしてこれまで無理をしていたのか、とハッとさせられ、自身の仮想、思い込みの根深さを感じ、さらなる意識化の必要性を痛感しているところです。<R.S. 男性 東京都>

◎私は中学、高校時代と柔道を行なっており、得意技が背負い投げだったのですが、その時左手首を無理な力で使い過ぎたため、手首を頻繁に傷めていました。
 思い出してその頃の手首の曲げ方を再現してみますと、まさに前腕と直角でした。今さらながら身体に対する無意識の恐ろしさを思い知らされた次第です。
 手首とヒーリング・タッチで触れながら意識をクロスオーバーしていきますと、皮膚感覚が薄れていき、境界が無くなっていきました。さらにそのまま続けていきますと、全身が統合されていくのと同時に、意識が落ち着き、深い瞑想状態に入っていきました。終わってみて、手首と触れ合っているだけなのにこれほど意識が変容するものかと、驚愕するのと共にヒーリング・アーツの素晴らしさを身にしみて感じさせられました。<H.I. 男性 兵庫県>

◎ヒーリング・ディスコース<グノーティ・セアウトン>を拝読しつつ、手首と触れ合っていると、ありありとした流れの感覚をともなって、今までそこにはなかった、ある種の振動が湧き起こってくるように感じられました。
 橈骨と手の間を指で挟むようにヒーリング・タッチで触れ合っていくと、まったく今までとは違う感覚の手が空間に現われてきました。触れ合っている指先の部分を、均等に意識することを注意深く行なっていくほど、実際に手首の空間に液体のような、また霧のような粒子的感覚を感じました。そしてその手首から、微細な振動感、また電気的なビリビリとした感覚を伴いつつ、空間に「手」が形作られてきました。それは感覚的には実際に生えてきた!といっても過言ではないほど、リアリティを持って感じられ、その手の細やかさ、滑らかさ、瑞々しさに感動せずにはいられませんでした。
 ヒーリング・タッチで触れ合っていると、真の手首から、全身に流れが広がり、あるときは胸、背骨が共鳴するように動くのを感じ、手首からの波紋が折り重なるように全身に波及してきました。思わず声が出てしまうほどの感覚であり、ありありとした波が3次元の空間を様々な方向に流れていくのを感じます。これは空想の産物なのだろうか?と疑ってみるのですが、その微細で複雑な、明瞭な感覚を伴った多元的な波を考えて作り出そうとしても不可能なことに思い当たります。そしてなによりそのヒーリング・タッチで目覚めた心身、空間の透明感、清々しさに驚かされます。 この新たな感覚の手で身体と触れ合うと、それだけで、そこに新しい流れや、粒子的な感覚が感じられてくるようで、本当の手首、手の感覚が合致してくることでどれほどの恩恵、気持ちよさ、楽しさがあるのかを感じはじめています。このようなことが体験として起こってくると、自らの心と体が離れているという事実が、生理的実感を伴って真実であると感じられてきて、ヒーリング・タッチで心身と触れ合う前の自分は、どこにいたのか?と、時に空恐ろしくなることもあります。
 今までの手首の角度に戻そうとすると、ギシギシと軋むように心身が固まってくるのを感じます。今までは、確かにその感覚の世界に生きていたのですから、真の手首が感じられてくると、大げさではなく、意識が変わったような、心身が新しい世界に生まれたかのような清々しさと楽しさが感じられ、驚きとともに感動しています。<Y.S. 男性 東京都>

<2007.06.15>