重度の腎臓病患者が完全な健康を取り戻したケースなど、現代医学の常識を覆すような、筋骨矯正術による治病報告がたくさん残されている。
その偉功を物語る逸話を、以下にもう1例ご紹介しよう。
<エピソード:4>
中川惣太(工学士)は、元来体が弱い方ではなかったが、ある時体調不良を覚えたので主治医に診察してもらうと、心臓も悪い、リュウマチも手伝っている、との診断だった。
かれこれする内、脈拍が1分間に2、3度停滞するという騒ぎになった。大学の有名な博士たちに診察を仰いだところ、いよいよ神経衰弱ということに病名が決定し、内服やら電気療法やら、前後3年間療養した。が、あまり効果はなかったそうだ。
「神経的なものか、筋が緊縮するような気持ちがし、頭から身体全体にゴムでもかぶったようなあんばいで、不愉快でならなかった」という。のみならず、判断力が鈍ってきて、ボンヤリしがちになり、胆力は減ってくる、ネズミがガサッと立てる音にも怖じ気づく、ものを気に病むという有り様だった。
転地療養を勧められたが、寸功もなく、小田原では激しい胃痙攣に苦しんだ。医師の診断では、胃拡張とのことだった。
それからというもの、1週間に1、2度は必ず痙攣に襲われるようになった。親族の家に出入りする灸の先生が至極良いとの勧めで、7ヶ月間その人にかかったが、やはり何の効果もなく、「あなたの病気ほど頑固なものは知らぬ」と言われる始末だった。
中川は、次のように語っている。
「ところが、親友がある日見舞いに来てくれて、この頃岡田(虎二郎:岡田式静座法創始者。1872〜1920)という人が静座法というものを広めているが、君も行ってみてはどうか、と勧めてくれました。早速、岡田先生に面会を願い、親しく話を聞き、また岡田氏の身体の発達には実に感心し、この法を永続すれば、病は必ず癒えると確信して、親しく先生につき3ヶ年続けました。
先生も、自分の熱心と、腹部の出来たことには驚いておられたくらいで、体重も1貫2百目(約4.5kg)増えましたが、しかし病気の方は、やはり退いてしまわなかった」
「そのうち、静座法に類した呼吸法で、息心調和道というものを藤田先生(霊斎:ふじたれいさい。1868〜1957)が行なっておられると聞き、これまたお訪ねして、熱心に1年半くらい、先生について親しくつとめました。
無論効果はないではないが、自分の病気が慢性になっているためか、どうも面白くゆかず、その後は迷いに迷い、紅療法、鍼、揉み治療、抵抗療法、運動療法、塗擦療法、断食療法、その他、人が良いと勧めてくれることは、何でもやってみました。しかし、少しの功もありませんでした」
そのうち彼は、腰部に激しい疼痛を覚え、明くる日は腰がまったく立たなくなってしまった。早速、大学で医師たちの診察を受けると、脊髄病と座骨神経痛ということで、薬をつけたり飲んだり、電気をかけたりして60日も経つうち、人の肩にすがって、やっとのことでブラブラ歩けるようになった。
が、それからは持病の胃痙攣は起こる、脈拍の停滞は甚だしく、腰は痛む、手足はしびれるで、またぞろ医療と温泉転地を繰り返していた。
箱根湯本で、同宿となった児島医学士に診察を乞うた時のことだ。
児島が言うには、「君の病気は慢性的になっているから、医療では到底充分な見込みがない。それについて、僕が京都で高校時代に強度の肋膜炎を患ったことがある。有名な先生衆に百日以上世話になったが、寸功なきため転地せんと思っている矢先、校長の是非にとの勧めで、井上仲子女史の治療を受けた。女史の治療は非常な妙術である。今でも、教わったことはしっかり守っている。1期7週間、2期5週間、3期2週間で全治した。この井上先生について、その治療を受けられたならば、あるいは全快されるかもしれない」、と。
今すぐにでも治療を、と勇み立つ中川であったが、児島によれば、「京都の深草におられる頃までは文通もしておったが、その後東京へ引っ越されてからはご住所不明のため、実に残念なことながら、今すぐ紹介するわけにはいかない。しかし、君も東京にお住みのことなれば、またいかな好機会で先生に出会われるかもしれない。よって、僕が紹介の名刺を差し上げておく」、とのことであった。
意気消沈の中川が東京へ戻ると、妻の里から義父が見舞いに来てくれた。談話の最中、「ある病院長にお前さんの病気の話をしたところ、先生が言われるには、自分が強度のリュウマチで寝起きもできないようになった時、井上仲子という人に助けられた。この人の治療は実に妙法で、自分はしかと信用し、患者にも勧めて治療を願っているが、皆効果がある、とのことだが・・・」という話になった。
それこそ、児島医師が勧めていた井上氏に違いないと、中川は欣喜雀躍、早速その病院長を訪問し、紹介状を願った。そしてついに翌日、仲子を訪ねて診察を請うことができたのである。
仲子の見立てによれば、筋の作用が不整理になったため、脊髄の湾曲を来したのが発病の原因だから、それさえ矯正すれば全治するであろう、ということだった。
「それからは、毎日1度、下腹部についておよそ20分間、筋を調べる治療をされました。
かくして3週間くらい経つと、何だか病気がだんだんと募ってくる気分になりました。これこそ、かねて聞いている変動だ、だが喜ばしい、と思いました。
それが7週間後からは、一刻一刻と軽快を感じてきました。これがちょうど第1期、10週間繰り返されたのです」
「第1期より第2期の治療までは、60日間休養しました。第2期は8週間受療しましたが、3週間目くらいになって病が少し募るような気分でしたが、その後追々と軽快を感じました。
2期から3期の間は、やはり60日間休み、第3期、即ち最後の治療は5週間受けましたが、この時は自分ではほとんど無病と思っていたくらいでした」
こうして、さては名医の診察、名士の健康法もそのところを得ず、名薬の服用もその効なく、この分では病苦の生涯を送るほかないのかと煩悶に煩悶を重ねた重い症状が、前後3回23週161日間の施術により、無病強健の身体となったのである。
中川は、次のように感激の言葉を綴っている。
「誰が何と言うとも、事実は何よりの証拠である。井上先生は、自分にとっては神様である。自分は、この大恩を井上先生に謝すると共に、天下の病弱者に対し、一刻も早くこの仁術妙法の一大特効を知らせたいと思います」
彼は治療中、自分の病気が癒えたことよりも、不治中の不治病とされるガンを始め、脊髄癆、中風、肺病など、西洋医療及び諸種の民間療法に見離された人々が全快していくことに、さらに驚いたということだ。
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前回ご紹介した、筋骨矯正術の「背を伸ばす」法を、読者諸氏はすでに試してごらんになったろうか? 2人で組んで行なうのが基本だが、1人でも椅子を利用すれば、同様の効果を得られる。
手がかりは、新聞記事の一節のみ。
「その法は、患者の腰部に自己の膝を当て、その両手を患者の胸部にし、脊梁骨の曲がった反対の側に幾回か仰向かせる」
正座した受け手の腰に膝を当て、両胸を後ろに引き伸ばして上半身をのけ反らせる・・・。筋骨矯正術が、そんな粗雑でいい加減なものであったとは、私には到底思えない。
各界の一流、超一流の人々がこぞって仲子の施術を求めた事実を慮(おもんぱか)れば、筋骨矯正術が身体調律法としてどれほどの高みに達していたか、読者諸氏にも容易に推察できるはずだ。
上記新聞記事の手法を、ヒーリング・アーツの観点から再現してみよう。
受け手の頭(こうべ)を巡らせ、背骨の歪みを整正することはちょっと難しい。だから、その前段階である「背を伸ばす」ところまでを行なうことにする。これだけでも、ポイントを正しく理会して実践すれば、筋骨矯正術の威力を充分体感できる。
ただし、独修者の場合は特に、決して無理をしないようご注意いただきたい。脊椎には周知のように、重要な神経が多数通(かよ)っている。
受け手は術者に背を向けて正座する。その腰(腰椎のカーブ中央)の左右に、術者は両膝を揃えて当てる。両膝を使わないと、上体を真っ直ぐ引くことができないから、左右いずれかに捩れてしまう。
さらに、受け手の両脇に後ろから両手を差し入れ、手首を折って両胸に手をかける(肩に手をかけるも可)。
ここから術者は、爪先に力を入れ、膝で受け手の腰を支えながら、ゆっくり斜め後方に上体を伸ばしつつ(顔は上向き)、受け手の背筋を引いていく。いきなり大きく行なわず、ゆっくり柔らかく、段階的に何度か繰り返しながら。
そうやって上体が反る時、腹は元の位置より内側へ入っていく。外側に突き出てはいけない。
最も肝要なのは・・・・・<術者・受け手とも、腹(特に腹直筋)を歪めないよう、常に注意を払い続ける>ことだ。
筋骨矯正術においては、「ハラ」が身体の最根本とみなされていた。ゆえに、これは単に背中を伸ばす方法ではなく、腰を支えとして腹を統一的に伸ばし拡げる術(わざ)であったと考えるべきだ。
この手法を、上述のようなやり方で実践すると、1セット(時間にして1〜2分)の施術で、全身がピン!と大黒柱みたいに真っ直ぐ立つから愉快だ。受け手も思わず笑い出し、傍で観ている者たちも笑いながら拍手喝采したりする。それほど、姿勢が内面的にも外面的にも激変する。
井上仲子輝毫による、「直」の字。姿勢を正して観の目で向かい合うと、仲子が体感していた「真っ直ぐ」の感覚が、観る者の身体にも映ってくる。
全身が真っ直ぐになれば、自然に腰が反り、下腹が内面から充実してくる。腰を反らせたり、腹に作為的な力を入れたりすることよりも、体を真っ直ぐにすることの方が、より根本的で重要な事柄だ。
腰を据えて腹に力を入れるのは、全身を真っ直ぐ立てるためなのだ。「真っ直ぐ」を抜きにして、腰も腹もあったものじゃない。
<2009.10.07>