◎キナバタンガンの朝は早い。
まだ夜も明けやらぬ早暁より、河沿いに点在するあちこちの集落で、朝鳴き鳥たちがしきりに鳴き交わし始める。
ニワトリにも音程が外れたやつがいることを、皆さんはご存知だったろうか? 私は知らなかった。
キナバタンガンの朝の<音風景>を、読者諸氏と分かち合うため採録してきた(妻の美佳が音楽制作の参考用も兼ね、今回初めての試みとして現地録音したものの一部)。
目を閉じて、しばし耳を傾けていただきたい。「聞こう」とするあらゆる作為を、<強調→レット・オフ>しながら。聞こうとすることで耳に入る力みを、どんどん手放しながら。
聞きつつ、手を(労宮中心に)ごく軽く凝集→レット・オフするだけでも、「聞くこと」が直ちに粒子状に細やかに多層分解され、「聴くこと」へと変容していく。
熱鍼法を会得済みの方は、聴きながらの耳への施術を、是非試してほしい。集音装置としての耳の性能が、その場で端的にアップする。多くの人が報告していることだが、最初、片耳だけに少し行ない、その後左右で聴き比べてみれば、その違い(効果)は明らかだという(片耳しか聴こえない私には味わえない、興味深い体験だ)。
◎ポトポトぱたぱた、水滴が遠慮がちに葉を叩く音に気づかれたろうか。
最初、小雨でも降っているのかと思った。
が、よくよく観察すると、高濃度の湿気が葉で結ばれ、滴りとなって、バルコニー周辺の葉叢[はむら]を打ち鳴らしていたのだ。
毎朝、キナバタンガン河から濃密なもやが盛んに沸き起こり、立ちあがり、森の樹々とからまり合って幽玄な光景を成していく様子が、高台にあるこのバルコニーから遥かに見渡せた。
そんなに湿度が高い場所じゃ、さぞかし住みにくかろうとお思いだろう。が、案に相違して、河辺の暮らしは意外なほど快適だ。
スカウに滞在したのはわずかな期間だったが、連日、暑からず寒からず。あれほどの居心地の良さは、これまで50年間生きてきてあちこちで味わった環境中、最高のものの1つだったかもしれない。
あんなにぐっすり、くつろいで眠ったのは、随分久方ぶりの気がする。まったく同じように、妻も感じたそうだ。肌もしっとりつるつるになると喜んでいた。
瞑想も自然に深まった。
河の民は、敵に追いやられてやむを得ず河辺を住み処[か]にしたわけではなく、そこで暮らすことを自ら選び取ったのだと、今回の巡礼行を通じて初めて理会した。
もちろん、他所[よそ]の河では事情はまったく違うかもしれないが。
◎私たちがスカウのリゾート・ホテルに到着した日、ホテル・オーナーやスタッフらによる音楽と歌と踊り(マレーシアの伝統武術・シラットの表演)の歓迎式が、夕食後、レストランを片づけた即席の舞台にて、にぎにぎしく執り行なわれた。
これに対する返礼として、キナバタンガン流域を司る女神への奉納の意を込め、私も神明流の舞を一さし、舞わせていただきたいと申し出た。
オーナーの快諾を得て、舞台の中央へとしずしずと進み出、おもむろに合掌し、祈りを捧げ、かしわ手を打ってヒーリング・モードに入る・・・・と、たちまち感(神)応が起こって、霊動(STM)が自ずから顕[あら]われてきた。
最初はゆっくり柔らかに、次第次第に複雑・精妙に・・・。そして、突如はじけたかと思うと、目にも止まらぬ速さで次々と炸裂する爆発的・流動循環的な舞の裡に、全身全霊を委ねていった。
同じ動き、同じパターンの繰り返しは2度とない。休みなく、時に激しく、時に柔らかく・滑らかに、緩急自在・変幻自在に、ここでばったり倒れて死んでもまったく悔いなしとの意気込みをもって、いのちの舞を舞い続けることしばし・・・。
やがて、自らの内面へと折り畳むようにして、流れるが如く動きを引き取っていき、合掌→かしわ手→沈黙の祈りで、奉納の舞を収めた。
◎うおおおーっと沸き起こる大歓声と、いつまでも鳴り止まぬ拍手。
こちらが困惑するほど、大いに喜ばれ、大いに称賛・称揚された。
私の舞に触発されたかのように、トラディショナルダンス大会が自然に開幕。老いも若きも、男も女も、皆、熱狂的な踊りの渦に飛び込んでいく。
スタッフらが演奏するエレキギターとドラムが、伝統とモダンが奇妙に融合した独特のリズムをかき鳴らし、叩き出し、レストラン周辺の闇を振るわせた。
たくさんの熱い視線がぶつかり、絡まり、笑顔がはじけ、互いを認め合い、楽しさが爆発し、感極まった女たちの口からヒュルルルルーッと甲高い歓声が漏れ溢れる。巡礼の地に全面的に受け容れられたことを、総身で体感した。
オラン・スンガイたちに混じり交わって踊りに踊り、彼女/彼らの動きを元にその場で直ちに新しいムーヴメント(所作、ステップ)を産み出しながら、一瞬たりと休まず体を激しく動かし続けた(ちなみに、私はこれまでディスコに行ったことが1度もない。カラオケで歌ったこともない)。
直前にご馳走になったドリアンが極陽の作用を及ぼしたらしく、全身カーッと熱くなって熱汗がしたたり落ちる。が、まったく息切れしなかった。無駄・無理、不自然、不要・無用な動きを、一切しないからだ。
疲れることを「顎を出す」というが、下顎を咽喉の一部として認知し、頚椎上部と対応させることも、動中において息の乱れを防ぐコツの1つだ。
「あなたの動きを一目みただけで、ただ者じゃないとすぐにわかった。とても柔らかなのに凄いパワーを秘めている。それに、あれだけ激しく動き続けて全然息があがらないとは、驚くべきスタミナだ」なんて、自らシラットを修したこともあるというオーナーが、後でしきりに感心していた。
◎これ以降、私たちは「特別待遇」となった。
毎日のリバー・クルーズの合間にも、スタッフやオーナーにあちこち連れ出され、あれこれふんだんにたっぷりサービスを受けた。野生のカンコン(空芯菜)やら巨大なリバープローン(キナバタンガン河に棲息するオニテナガエビ)など、珍しい食材をいろいろ使ったゴージャスな料理が、毎回食卓にずらりと並んだ。野生のマンゴーも、今回スカウで初めて味わった。
オーナーからは、「スタッフの若者たちもひどく関心を持っているし、次は是非ロングステイして、私たちにあなたのわざを教えてほしい」と、真剣な申し出を受けた。
ヒーリング・アーツは、河の民にも強烈にアピールしたようだ。
スカウのリゾート・ホテルで記念植樹。環境考古学者・安田喜憲氏いわく、「日本人は、木を植えることに喜びを感じる民族だ。わざわざ海外にまで自費で出かけていき、植樹を楽しむ日本人の行動・心情は、他国民にはとうてい理解不能のようだ」と。確かに、その通りかもしれない。
◎妻は、歓迎式の冒頭、少年たちが演奏したドラムのアンサンブルがいたく気に入り、自身の新曲『キナバタンガン』で活用するべく、オーナーに頼み込んで、その原理と方法を熱心に習っていた。
日本人にはなじみのないリズム論に基づくものらしく、すぐには理会が追いつかないところもあったようだが、くらいついたら離さぬスッポン的意気込みをもって、真面目に真剣に、楽しく徹底的に、例によって「なんて覚えが速いんだ!」としきりに感心されたりしながら、<学び>に取り組んでいた。
覚えたてのドラム奏法で、河の民とアンサンブル。互いに相手を同化しようとせめぎ合いつつ、同時に調和を生み出していく特殊な手法であり、他者の手の動きに引き込まれないよう、それぞれそっぽを向いて演奏する。この時練修に使ったドラム(コンパン)を、妻はオーナーから特別に譲り受け、大切に日本に持ち帰った。
後日、オーナーが雑談の中で、「文化レベルで積極的に交流を図ろうとするあなたがたのようなツーリストは初めてだ。世界中からここを訪れる誰もが、象とかオランウータンとか、動物にしか興味を示さない。実を言うと、そういう人たちばかりを相手にすることに、私たちは少し疲れを覚え始めていたところだ」と、しみじみ語っていた。
「This is just the beginning(これからさ)!」と応え、力強く励ました。
訪れた地の伝統・習慣を重んじ、敬い、奥深いレベルで人々と交流・交友・交遊する。それも、ヒーリング・アーツ式巡礼の大切な要素だ。単なる一過性のツーリストとして通り過ぎるより、そちらの方が断然楽しいし、旅が濃密になる。いろんな人と魂がビリビリ共振し合い、互いに活気づく。
@スカウ。涼やかな緑の光が満ちる、美しいトレイル(遊歩道)にて。
◎辺境・秘境のイメージが強いボルネオ島だが、日本人にとっては意外と「近場」だ。
関西国際空港からわずか5時間強のフライトで、マレーシア領ボルネオの玄関口、コタキナバル・シティに到着する。東京の羽田空港との間にも、まもなく直行便が就航予定とのことだ。
コタキナバルの街角にて。明るく優しく、元気でフレンドリーな人々。
海洋民族の血を濃厚に受け継ぐシーフード好きにとって、コタキナバルは魅惑の地、というよりは楽園と呼んだ方が適切かもしれない。香港や台湾などからも、海鮮料理目当てに大勢の観光客がコタキナバルを訪れるそうだ。
伊勢エビ並のばかでかいマンティス・プローン(蝦蛄[シャコ]:たっぷりの刻んだガーリック及び香草と一緒に揚げると美味)や、マングローヴの素敵な泥の香りがする小さな赤貝みたいなハイガイ(ボイルして特製チリソースにディップしながらいただくと珍味)、多種多様の魚、貝、エビ・カニ(カニ・エビの味・食感は、種類によりすべて異なる)などなどなどを、この街では、財布の中身をあまり気にすることなく、心ゆくまで楽しむことができる。
各種マレー料理の味付けも、大半の日本人にとり、充分合格点がつけられるものだろう。辛過ぎず、甘すぎず、薄過ぎず、濃すぎもしない。それでいて、単調でも平板でも浅薄でもない。素材の特徴を充分活かし、クロスオーバーする術[すべ]を、小さな屋台の主[あるじ]までがしっかり心得ていることに、しばしば感心させられた。
マレー、インド、中華[マンダリン]、フィリピン、先住民などの諸文化が、色鮮やかなマンダラの如くに混交するマレーシア独自のテイストは、日本人の感覚にしっくり馴染みつつ、同時に新鮮な驚きをいつも提供してくれる。
マレーシア・バグース(最高)!
生きたタウナギ(ドジョウとウナギのあいのこみたいな魚)とヒーリング・タッチし、目がタウナギとなるの図。コタキナバル市内のシーフード・レストランの素材コーナーにて。
◎今回、久しぶりにマレー半島のクアラルンプールに立ち寄った。
2020年までに先進諸国の仲間入りを果たすことを目指し、先見の明ある優れた指導者の元、国民一丸となって努力してきた国だから、その首府であるクアラルンプールは相当様変わりしたことだろうと思っていたが、案の定、昔とは比較にならないほどの激変ぶりだった。
かつて、裏通りの危険な匂いがする路地の隅々まで知り尽くしていたチャイナタウンも、今やすっかり整備され、神戸の南京町や横浜中華街みたいに立派な赤門まで建てられて、世界各国からの大勢の観光客でごった返していた。
クアラルンプールのごくごく一部を、今回の旅では観たに過ぎない。が、この街はより複雑に、さらに多彩に、魅力溢れる場所として、今現在も盛んに成長発展を遂げつつあると感じた。東京や大阪と比べると、街の造りも、行き交う人々も、遥かに重層的かつエネルギッシュで面白い。多様な民族、文化が、均一に混ざり合ってしまうことなく、せめぎ合いながら調和しているからだ。
クアラルンプールのいろんな場所で撮ったスナップショットをいくつか、スライドショーでご覧に入れる。
メドゥーサ修法の出番だ。腰腹相照原理をすでに得た人は、それもしっかり活用して。
◎私同様、ドリアンに目がない妻は、今回初めて、噂にきくマレーシア産ドリアンと現地で相まみえることができ(昨年ボルネオを訪れた際はシーズン・オフだった)、積年の願いがようやくかなった、といたく感動し、ご機嫌だった。
ご存知の方も多かろうが、マレーシアはドリアンやマンゴスチン、ランブータンなど、数々のエキゾティックな熱帯果物の故郷だ。バナナの原産地でもある(マレーシア産バナナの原種には種がある)。
ボルネオでは、硬く鋭い長大なトゲで鎧われた野生のドリアン(オランウータンの好物だそうな)や、鮮やかなピンクの実を持つドリアン(これは実は料理用で、生で食べても味も香りもほとんどない)、濃いオレンジ色の変わった食感のドリアンなど、私も初めて味わういろんな種類のドリアンと出会った。
ドリアンの野生種。品種改良の手が一切加えられてない、シンプルにして濃く密な味わいが特徴。@サンダカン近郊の屋外マーケット。
クアラルンプールでは、ホテルに到着早々、ドアマンからドリアン屋台の場所を聴き出した(ドリアンを食べたいと言ったら、たちまち目を輝かせ、懇切丁寧に教えてくれた)。早速足を運び、いくつかある屋台の中から、観の目でこれぞという店を選び(私の目利きは、まず外れない)、クアラルンプール滞在中、毎日2回ずつ、欠かさず通い詰めた。そこの主人とはすぐ顔なじみになり、毎度、たくさんのドリアンの中から最高のものを慎重に選び出してくれた。
クラシックな名品種・D24(D-twenty four:DはDurianの略号)を始めとして、最高級とされる猫山王(マオシャンワン)や紅蝦(レッド・プローン)などなど、いろんな魅惑的な栽培品種を、毎回取っ換え引っ換え、味見し、堪能した。
もちろん、ヒーリング・アーツ流で、味覚・触覚・嗅覚を粒子状に開放し、レット・オフ状態にて全身全霊で味わうのだ(他のあらゆる食べ物もしかり)。
いずれの種類のドリアンも甲乙つけがたかったが、全体的なバランスの良さという点で、私たちはD24に最終的な軍配をあげた。言うまでもなく、人により、好みにより、評価は大きく分かれると思う。
私たちは、シンプルな玄米菜食も大好物だが、異国を訪れたなら、その土地の味覚を最大限に身に受け、楽しむことを常に心がけている。
高級レストランなんかより、気の弱い人ならたちまち気分が悪くなりそうな熱帯の市場の渾沌のまっただ中で、庶民に混じって楽しむ格安の食事の方が、ずっと美味しく感じる。
旅先でちょっと疲れているような時でも、強烈・鮮烈な匂いと色彩とが渾然一体となって渦巻く市場[マーケット]に身を置くと、途端に元気が出てきて、全身の細胞が活き活きと息づき始めるから不思議だ。
<2010.09.23 秋分。龍が淵に潜むとされる日>