Healing Discourse

ヒーリング随感4 第9回 術から藝へ

◎本ディスコース・シリーズをここまで読み進んで来られた方は、もうそろそろレット・オフの究極的とも言える使い方へと、徐々に進んでいかれるとよいだろう。術[わざ]から、藝[わざ]へ。
 すでに、ウェブサイト内の方々で明示あるいは暗示し始めているからお気づきの方もいらっしゃると思うが、然[しか]り、レット・オフを「自分自身」に対し、かけるのだ。
 迷いや不安がある時、または喜んでいる時、何かに夢中になっている時、なんでもいいから、その迷い・苦しみ・喜び・泣いている「自分(私)」そのものを感じ取りながら、一指禅。
 脳も感情も感覚も思考も、すべてをひっくるめた神経系内の動きを「精神」と、今後は定義する。
 その「精神」を、指さすことで張ることが・・・・労宮の中心に基づけば、できるのだ。
 それ(精神と意思のリンク)ができたなら、レット・オフにより何が可能となるか、おわかりだろう。
 そう、精神をレット・オフ。
 これは、人生を賭けるに値する実践だ。
 どんどん楽になり、信じがたいほど滑らかに、俊敏に、心と体が同時に働くようになる。
 私は大げさに誇張・虚偽を述べているのではなく、ただ自分自身で感じているあるがままを、言葉として表現するべく苦闘している。

◎精神(自分自身)を自分の意思で張ることができるなら、静中求動レベルのレット・オフ修得者であれば、それを解体することが可能だ。カ・イ・タ・イ・・・。それも、微細粒子レベルでほどく。
 勇気がない人には無理かもしれない。意気地がない人も、ここから先はやめておいた方がいい。
 その意味・意義がわかる知性と、勇気ある人のみのための、ここから先は道だ。
 古来、人類にとり究極の問いであった、「私は誰か? 私はどこから来たのか? 私はどこへ行くのか?」に対する応えを、この身このままに舞い・生きる道[タオ]。道なき道。
 問いに対する解答を得んがためではない。問いかけそのものを、ほどくのだ。

◎これまで皆さんは、「自分」がヒーリング・アーツを練修し、「自分」ができるようになる、わかるようになる、そのために、熱心に稽古してこられたと思う。
 今度は、そのヒーリング・アーツを修している「自分」自身を意識しながら、強調→レット・オフするのだ。一指禅が、非常に使いやすい。使う指は、もちろん特定の1本のみとは限らない。慣れたら五指でも十指でも可(一指禅については、ディスコース『ドラゴンズ・ボディ』第1回参照)。あるいは、掌芯を凝集→レット・オフすることをかけあわせてもいい。

◎こいつは最初のうち、ちょっと、あるいはかなり薄気味悪い・・かもしれない。
 例えば、自分の前腕とヒーリング・タッチで触れ合い、掌芯を粒子的に凝集→レット・オフ・・・しようとする際、同時に、そうしようとしている自分自身をもレット・オフする。
 ある人はそれを試し、「これまでは自分が手にわざをかけていたのに、逆に手からわざをかけられたように感じた」と言っていた。
 その後に残るものは・・・・思考が止まった、身体感覚のみの世界。
 すべての記憶を失った者が、ふと気づくと、掌と前腕とで触れ合っている自分を発見した。今まで何をやっていたのか、これから何をすべきか、何も知らないし、一切関わりがない。・・・・・そんな感じさえする。
 そこから、良質のSTM(自然発動する調律運動)が湧き出てくる。
 一番気持ちいいSTMは、「自分(自我)」の存在感がない時、現われる。

◎今、龍宮拳では「下脚のこと」とか「前腕のこと」などについて示現しつつあるのだが(ある瞬間以前に自分が知らなかったこと・できなかったことが、次の瞬間にはわかり・できるようになっているという意味で、私は「示現」という言葉を使っている)、その伝授の模様を先日撮影したのでお目にかける。
 内容は、龍宮拳「肘のこと」と「下脚のこと」。
 伝授会冒頭、まず、「肘のこと」は初めてという一参加者のため、実体験の時間を設けた。観照される際は、私の肘の向き(任意に変えている)と、受け手の身体に起こる作用(波紋)との関係にご注目。なお、ここで言う「肘」とは、尺骨肘頭の上腕三頭筋腱付着部あたりを指す。肘を深く曲げなければ触知できない。
 並んだ受け手たち全員が倒れるシーンでは、将棋倒しのような倒れ方でなく、床から湧きあがるような波紋が前から順に伝わっていく様を、観の目で観・取っていただきたい。私は、何かの作用を出しているわけではなく、ただ地球と受け手との仲介役を、肘と足裏を通じ果たしているのみだ。
 ムービーでは引き続き、「下脚のこと」の解説・示演に移る。

◎しかし、「下脚(膝から下)のこと」ひとつとっても、本当に面白いと思う。
 腓骨そのものの存在感を意識し(腓骨に意識を入れ)、それが偏らないように、常にトータルに注意し続ける。・・・と、下脚の裡にぐーっと実の感覚/意識が満ちる。
 伝授会参加者たちがしきりに感激していたが、下脚が充実すると全身カーッと「熱」くなってくる。第二の心臓たる下脚が覚醒したことを示す、これが最も明瞭なサインといえよう。
 武術的見地からも極めて興味深いことといえるが、下脚が覚醒した状態を保ちつつ常に動くことで、第二の心臓をポンプとして自在に働かすことが可能となり、それによって全身の血管系(血管のネットワーク)に圧力波紋が生じる。
 龍宮拳は、驚くなかれ、こうした特殊な波紋をも、自在に使いこなしてしまう。上掲ムービーの通りだ。下脚から生じた波が、自分と相手の全身を巡る。
 下脚を充実させることは神勇禅(肥田式強健術)の基本でもあり、いわゆる「頭寒足熱」状態を現前させるための鍵にほかならない。
 龍宮拳では、下脚を活かす調整器として腓骨の在り方を非常に重んじる。いかなる姿勢・動作においても、常に腓骨全体の意識・存在感が偏ったり、ひずんだりしないよう、注意を払う。
 これがわかり・できるためには、まず腓骨そのものに意識の火が灯らねばならない。腓骨の内部に心[マナ]が満ちねばならない。
 そのためには、ヒーリング・タッチで触れ合うのが一番の近道だ。

◎次回も、龍宮拳伝授会風景(の一部)をムービーにてご紹介予定。

<2012.03.20 春分>