Healing Discourse

質疑応答 [第5回] 新たな旅立ち

<第8の質問>
 ヒーリング・ディスコースを読ませていただいて日々実践させていただいていると、以前の私とは比べものにならないほどに心身が開かれてきているのを感じています。 
 ヒーリング・ディスコースの中での修法や教えは、どれも本当に理会しやすく、読むたびに実感し理会が深まっているのですが、私がその中でも特に理会が足りずに難しく感じているのは、骨盤を開放し、仙腸関節と恥骨結合の可動性を増大させるということなのですが、恥骨の間が溶けて仙腸関節が波打つという感覚が、圧倒的に足りていないのを感じています。
 左右の腸骨に手を当てて手の裡を凝集し、レット・オフすると、骨盤が気持ちよく開放されているのは感じられるのですが、性的な抑圧が根深いのか、こうならなければならないと頭で考えているのか、どうしても先入観があるように思います。
 実力以上の境地を得ようとしているのかもしれませんが、生理的な実感を伴なって理会を深めたいのですが、どうしても実感できていません。 
 骨盤について、助言等をいただけたらと思います。 
 よろしくお願い致します。<H.M. 男性・東京都>

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 質問者は、フォーミュラの形式にとらわれ過ぎているようだ。骨盤に働きかける修法において、両腸骨としか触れ合っていないのだろう。
 骨盤のあらゆる部分にヒーリング・タッチしていきなさい。骨盤全体に、細かく探査の手を伸ばしていくのだ。
 恥骨結合を開放したいのであれば、まずその部位をダイレクトに感じることから始めなければならない。恥骨にヒーリング・タッチして、恥骨そのものの感覚・心を覚醒させる。・・・すると大抵の者が驚きの声を上げる。これまで漠然と思っていたよりも、実際の恥骨は随分後ろにある(直立時)。というよりは、体の中に恥骨が引き込まれるような感覚が起こる。

 ついでに脚つけ根の折れ目も指先でなぞりつつ意識すると、腰の構えをいかにすれば最も自然で楽かがわかってくる。ここでも私は、腰を反らせろとか腹をどうしろとか、そうしたDoingについては一言も語っていないことに注意してほしい。
 私はただ、あなた方の今現在の身体のありのままを、触れ合いを通じて感じ取るよう注意を促している。感じて意識すれば、内的な変化が起こる。骨格が、自ずから組み変わっていく。すると、筋肉、腱、血管、神経のトーン(張り具合)も変わる。

 ヒーリング・タッチを使って探っていけば、仙腸関節も恥骨結合も仮想になっていたことを見出すだろう。それらの仮想を放置したままでは、ごく軽い骨盤の開放感を味わう程度の初級レベルを越えることが、いつまでたってもできないのは当然だ。
 なにゆえに、私たちは自らの骨盤に対してかくも無意識的なのか? デズモンド・モリスがどこかでこんなことを言っていた。「排便、排尿、射精、インサート、マスターベーション、フェラチオ、月経、これらタブーの筆頭にあげられる言葉が、骨盤部には集中している」、と。
 ヒーリング・アーツの観点からすると、これら諸々のタブーは、文明レベルの病を示している。


<第9の質問>
 仮想身体は最初にどこから生じてくるのでしょうか?
 実際のありさまとは違う仮想の身体が出来てしまうのは、成長の過程のどの部分でどういった所で誤って植えつけられることから始まるのでしょうか? ディスコースの本文の中にある手首の仮想に関する記述で、子供の頃には誰もが本来の自然な手首だったはずだと指摘がありますが、やはり手からなのでしょうか。それとも特定の部分からというのではなく、生まれたときから仮想の身体で生きている家族の中という環境で、様々なレベルで同時に仮想が進行しているのでしょうか。<K.M. 男性・山口県>

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 小さな子供は自然な状態の中で生きている。心と体のブレは小さく、仮想は少ない。だが彼らは、それをまったく自覚していない。
 そこから徐々に自我の形成が始まる。自我の別名が仮想身体だ。古代インドの賢者たちは、仮想身体の本質を表現するために「世界はマーヤー(幻)だ」と言った。
 これを「世界は仮想だ」と言い換えてみるといい。それが意味するところについて、徹底的に考え抜き、感じていってほしい。
 人が世界をつくり、世界が人をつくる。真なる世界は裡にあり、仮想の世界は外にある。
 ある民族、国家、文明に特徴的な仮想もある。その具体例を実体験するため、尻をヒーリング・タッチで感じていくと面白い。尻の位置、形、角度をヒーリング・タッチで丁寧に意識化していくのだ。

 多くの者にあって、尻はびっくりするくらい上に仮想されている。それは西洋的な身体観、美意識の基準に自らを無意識のうちに合わせようとしている結果だ。
 尻をありのままに意識できるようになると、脚がひどく短くなったように感じるだろう。実際には脚は短くも長くもなっていない。ただ、あなたの仮想が破れて、身体のありのままの事実があらわになっただけだ。
 肥田式強健術(ヒーリング・エクササイズ)の基本姿勢は、「腰を反らせて尻を突き出す」のだが、その尻が仮想のままでは、強健術が要求する基本姿勢さえまともにとれないことになる。基本姿勢ができていないままで、いくら型を繰り返し練修しても、その結果は春充の言葉を借りるなら、「ゼロ足すゼロの合計はやはりゼロ」だ。


<第10の質問>
 高木先生、いつもヒーリング・ディスコースを拝読させていただいております。1人で、またヒーリング・アーツ仲間とともに練修に励んでいると、ディスコースを読み返すごとに、ほんとうに奥が深く、新たな感覚の発見があり、また分かっていなかったことに気づかされます。ディスコースの要点を確認し、正確に行なっているかを心がけていると、ヒーリング・アーツにおける基本の凄さと、大切さが身に染みて実感されてきます。
 心身と丁寧に触れ合いつつ、ディスコースを読み進めていると、稀にほんとうに自分の身体を内側から見ているような、内側から心身が感じられるような感覚になるときがあります。実際の身体とズレた仮想の身体と、真に身体の部分そのもので感じられたときのあまりの心身の次元の違いが実感されるようになりました。
 また最近、特に机に掌を置いて、<小さく、柔らかく、ゆっくり>力を入れ、抜く練修を行なっていると、どんどん、感じられる粒子が細かくなり、手が解けるとともに、全身がバラバラと細かく解けるような感覚を感じる時があります。
 そんな中で最近気になっているのが、手の裡を凝集、レット・オフする際、凝集のとき、どうしても外側から内側へと向かう方向で凝集してしまう感覚があることです。労宮を中心に手が凝集する感覚とはどのような方向性なのか疑問に感じています。それによって、静中求動の感覚、心身の内へとレット・オフの波が広がっていく感覚が全く違うのではないかと感じています。ご教示いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。<Y.S. 男性・神奈川県>

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 机に手を乗せて凝集と拡散の練修を行なう際、小さな半球を手と机の間にはさみ、球の頂点が労宮に当たるようにすると意識化がアシストされる。半球のサイズは、いろいろ試して自分に最も合うものを探すように。
 そして、労宮の周囲から始めて徐々に範囲を狭めていき、労宮そのものをその場所でダイレクトに感じていく。手の甲側から透かし見るようにするのではない。半球と触れ合っている感触を頼りに、手そのもので感じるのだ。
 労宮の1点を真に意識すれば、物事は実にシンプルになる。それだけで自然に手の裡にバランスよく意識が納まる。どの方向から凝集するか・・といった配慮は一切不要となる。

 質問者は、あらゆる態勢において労宮を真に感じる努力を怠ってきたのだろう。例えば労宮を中心にして、指先をピンと揃えた手を前に伸ばす。質問者がそういう態勢をとると、労宮から指先へと向かう流れが感じられるのではないか。「労宮を」前方に伸ばしたのであれば、そこからさらに前に向かう流れがあるのはおかしい。それは、労宮ではなく指を伸ばしているのだ。この時、手の中心は労宮よりもっと前(指先側)に移動している。
 そういう状態から、(もう一方の手の指先でヒーリング・タッチしながら)腕を伸ばす際の先端として労宮を真に意識し直せば、指先から労宮、さらに体内へと逆流する感覚が発生し、全身各部の伸び具合が再調整され、腰腹に充実した緊張が起こる。全身のバランスが整った後は、労宮から先はニュートラルな状態となる。

 1つ修法を伝授しておこう。たとえ「稀に」ではあっても、「内側から心身を感じられる」状態を味わえる境地に達している者であれば、本修法のポイントが理会できたとたん、叫び、激しく振るえ、そして踊り始めることだろう。
 フォーミュラだ。

[フォーミュラ]
 机上に断面を下にして置いた小半球の頂点に労宮を充て、掌を柔らかく机とそっと触れ合わせる。机と掌の接触面に、いずこにも圧力の偏った箇所がないよう可能な限りの注意を払う。その状態において、労宮を労宮そのもので感じつつ、一指禅!

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 妻の美佳と2人でこのウェブサイトを立ち上げて以来、自らの裡なる体験について、賛同も共鳴も求めることなく、ただありのままを綴ってきた。
 そして約1年が過ぎた今、私たちの周囲では目まぐるしい変化が起こりつつある。
 つい先日も東京に赴き、相承会を執り行なってきた。私たちが提唱する<たまふり>について学びたいというグループに招かれたのだ。
 6歳の女の子も道衣に身を包み、相承会に元気に参加していた。試しにそっとヒーリング・タッチしてみたら、全身丸ごとでレット・オフを深く感じていたから少し驚いた。

 今回の相承会では雑誌の取材も受けたが、その場で本の出版も決まった。詳細はこれから編集者と打ち合わせながら練っていくが、特に女性たちのために、ハートの言葉を多用してヒーリング・アーツを語っていくつもりだ。

——質疑応答・終——

<2008.04.21 葭始生(よしはじめてしょうず)>