文:高木一行
音楽・帰神スライドショー:高木美佳
※検察官と裁判官が癒着を隠そうともせず、神聖なはずの法廷で無実の罪を白昼堂々でっち上げてゆく・・・そうした信じ難い暗黒裁判のさ中、インターネットを通じ発表(2014.07.10)した草稿(高木一行)と音楽&スライドショー(高木美佳)を、ここに再録し、ご紹介する。
2023.12.08 高木一行・記
風のささやきに 耳かたむければ
やさしいあなたの 声が聴こえるわ
どんなに遠く離れていても あなたの愛は今ここにある
どんなに遠く離れていても 私の愛はあなたのそばに
I LOVE YOU 愛してる
I LOVE YOU 愛してる
朝陽に向かって 心ひらけば
まぶしいあなたの 笑顔がみえるわ
あなたの香り胸に抱きしめ 涙とともにそっと呑み込む
I LOVE YOU 愛してる
I LOVE YOU 愛してる
1つ1つの愛が、宇宙に咲く奇跡の花だ。
地球上に幾十億もの人間がひしめいているさ中にあって、人と人が出会い、愛が花開く。このこと自体、すでに奇跡的といえるし、地球が存在するに至った宇宙的な経緯をずっとたどってゆけば、宇宙誕生の瞬間にまで遡ることができるわけだから、その荘厳なる事実に想いを致せば、「愛は宇宙的な奇跡」と私が言う意味がきっとおわかりだろう。
命を拒む宇宙の絶対真空の中に、様々な形、色合いをもって鮮やかに咲き誇る愛の花々。
愛ゆえにこそ、人は生きられる。
愛ゆえにこそ、人は死ねる。
今回の一件に関して、裁判所に対し、妻の美佳も陳述書をしたためるよう、弁護士の1人から要請があった。
早速完成させ、主任弁護士を通じて大阪地方裁判所に「証拠請求」がなされたが、第5回公判にて検察側の「不同意」により、あっさり不採用となった。
何の価値もないかのごとく、まるでゴミクズを放り捨てるみたいに不採用を言い渡すE裁判長の事務的な態度・姿勢を静かに拝見していて、人間の感情や生命の倫理感を、この人は単なる数量や公式として計算・処理しているのではないかと疑わせるような「冷血さ」を感じた。
この裁判に対する誠意の証として、私が冒頭意見陳述書(被告人自身の言い分)に捺した血判を、意味不明な理由で頑なに受け取ることを拒んだ際のE裁判長の言動が、鮮やかに脳裏に甦ってくる。
・・・・私の誠意の具体的な形と明言しているのに、まるで汚らわしいものででもあるかのように、神聖なる法廷においてあからさまに否定し、拒むというのは、裁判官とか被告人という以前に、「人」として、いかがなものかなあ。それはつまり、自分には、この裁判には、「血」が通ってない、という裁判長自身による宣言なんだろうか。・・・なんて、あらぬことを考えたりもした。
私は別に、怒っても、憤っても、いない。くつろいだ気分で、演劇でも観ているように、すべてを静かに観守っている。
証拠請求とは、弁護側あるいは検察側の主張を裏付ける証拠として、何らかの資料を裁判で取り上げるよう求めることを意味する。請求した証拠のほとんどすべてが採用された検察側と比べ、当方の証拠がこれまで一体どれだけ不採用となったのか、あまりに多すぎて私には把握しきれてない。A4サイズの書類を積み重ねれば、優に30~40センチの高さに達するだろう。社会学者の山本奈生先生(佛教大学特別専任講師)が、私の裁判のためにわざわざ記してくださった専門家としての意見書も、同様に切り捨てられてしまった。
それら、理不尽に切り捨てられた「証拠」や「資料」などをインターネット上で公開することは自由とのことなので、これまで主なものを逐次発表し、読者の皆さん1人1人のご判断を仰いできた。
不採用となった妻の陳述書も、同様に公開しようかと考えたが、私たち夫婦は共に、芸術の道を歩む者だ。否、幼少時より音楽家を志し、努力精進を重ねてきた妻は、中年になって初めて「芸術」の何たるかに突如目覚めた私などよりも、遥かに、骨の髄から、「芸術家」だ。
ならば・・・、妻独自の表現法を通じて、伝え、訴えかけたいことを、「陳述」すべきではあるまいか。
そこで妻は、彼女が帰神撮影した写真作品をスライドショー化し、これに自らの作詞・作曲・編曲・演奏になる帰神ミュージック『1万回の「愛してる」を、あなたへ』をクロスオーバーして、独自のユニークなアート作品として仕上げた。
それを今、インターネットを通じて天地神明に奉納し、読者諸氏と分かち合わんとするものである。
『1万回の「愛してる」を~』という風変わりなタイトルについて、若干の説明を付させていただきたい。
皆さんはすでにご存知と思うが、私は60日間に及んだ留置・取り調べの間中ずっと、「これは冤罪である」「そもそも、意識を変える自由は基本的人権である」と主張するため、食物の一切を拒否する完全断食によるレジスタンスを敢行した。
「水杯を交わす」という言葉をご存知だろうか?
二度と会えない永遠の別れの儀式をいうが、自分たち流のやり方で水杯を交わした上で、つまり死を覚悟して、私は絶食レジスタンスに臨んだ。
断食とは元来、俗世間から遮断された深山幽谷に身を置き、いかなる外的ストレスもなく、読むことも、語ることも、記すことも、考えることさえせず、ただひたすら静かに自己の内面と向かい合うものだ。
それとは正反対の、雑多で悪意や敵意にまみれたヴァイブレーションが充満する劣悪な環境において、連日長時間(8時間以上)に渡る厳しい取り調べを受け、断食中にやってはいけないとされている禁忌をことごとく破りながら絶食を続ければ・・・重篤な危害が身体に及び、命を失う可能性が高いことは、火を見るよりも明らかだった。
それでも構わず断食したのは、そうやって命をかけて主張することによってのみ、私の言葉に重みと尊厳が与えられると信じたからだ。それがやがて、心ある人々の魂へと届き、勇気に火が点される契機(きっかけ)となるように、との祈りも常に欠かさなかった。
昨年(2013年)早春、友人の1人が突然家宅捜索を受け、その後大阪水上警察への出頭が求められた。海外のインターネット・サイトを通じて私的な研究・実験用に購入した化学薬品が、いつの間にか法で規制されていたらしい。
さて、厄介なことになったが、知らなかったとはいえ起こったことは仕方ない。警察でこってり油を搾られることになるだろうが、まあこれも貴重な人生経験と思って誠実に対応するように・・・。
そんな風に笑って別れた友人の行方は、その後杳として知れなくなり、待てど暮せど何の便りもなかった。今どこにいて何をしているのか、何が起こっているのか、警察に問い合わせても、彼の弁護士ですら、一切答えは返ってこない。
そうこうするうちに、彼の裁判が終わり、2年の実刑判決を言い渡されたとの信じ難い知らせが、別の友人より唐突に飛び込んできた。しかも、ことは「組織ぐるみの麻薬密輸犯罪」へと奇怪な変貌を遂げ、主犯である私がカルト信者たる友人らを操って危険な麻薬を大量に国内に運び込もうとした、とのストーリーが判決文として法廷で読み上げられたというではないか。
これに先立ち、他の何人かの友人宅にも、早朝、多数の刑事らがいきなりなだれ込むという事件が相次いで起こった。プライベートな空間を土足で踏みにじるかのように、あちこち勝手に引っ繰り返す「家宅捜索」を平然とやってのけ、あげくの果てに「任意」であることも告げず近隣の警察署に拉致し去って取り調べを強要したそうだ。こうした警察のやり方は明らかに違法であり、当然ながら何の問題もないから全員が即日放免された。単なる脅し、嫌がらせだったのだろう。
そして、いずれのケースでも警察が残していった書類には、当てつけのように「被疑者 高木一行」と記されていたとのこと。
私がターゲットであることは、明らかだった。
いつ、自宅に刑事らが踏み込んでくるのか。
逮捕され、裁判にかけられれば、主犯たる私は、 共犯者としてすでに有罪宣告を受けた友人よりも、さらに重い刑を科されることになるのだろうか?
一体、何が起こっているのか?
この先、自分たちは一体どうなってしまうのか?
これまでの無私の努力は、無駄・無意味だったのか?
・・・妻は、決して口にはしなかったが、不安にさいなまれ、恐怖に身も心も締めつけられる苦痛を、幾度も幾度も繰り返し味わったことだろう。
物陰で独り静かに耐えつつ涙するその姿は、私の心を強く揺さぶらずにはおかなかった。
が、真の自立と独立独歩を志す者は、独りきりで己の恐怖や苦しみと向き合い、自分独自の道を通じて、それらを越えてゆかねばならないのだ。
こうした緊迫感に満ちた期間中、これまで生涯をかけ探究してきた「生命の法」についてさらに深く天地神明に尋ねるべく、妻と私は小笠原と伊豆七島の利島へ巡礼した。
最後の旅を共に、との切実なる思いもあった。その詳しい内容報告は、『ボニン・ブルー』『ドルフィン・スイムD』という2つのアート作品として、 ヒーリング・ネットワークのウェブサイト上で奉納し、人類と分かち合っている。
昨年春、私が独りで沖縄の聖地・久高島に巡礼した際の奉納作品(『久高島巡礼:2013』)と併せてご熟読・ご観照(鑑賞)いただければ、本裁判のスピリチュアル(霊的)な側面の一端に、光が当てられることになると思う(久高島巡礼は、友人の事件が起きた直後)。いずれも、 ネガティヴな暗さや陰気さとはまったく無縁の、生命力に充ち満ちた作品ゆえ、どうかじっくり腰を落ち着けて観照し、たっぷり楽しんでいただきたい。
私たちが体験してきたすべてが、つながり、リンクし合って、現在と連動し、龍宮への道を織りなしつつある。私が言う龍宮とは、生命の本質であり、あらゆる生命の本源だ。
龍宮は、どこか遠くにあるゴール、達成されるべき未来ではない。
龍宮への道、それ自体が、龍宮だ。龍宮への道の一歩一歩において、龍宮はみいだされる。
私は、結果ではなく、「今」「ここ」の一瞬一瞬を貫き、絶えることなく滔々と流れ続ける道を、プロセスを、重んじる。
長らく男性的な競争原理を奉じ、それを基軸とした家父長的な社会・文明を形成してきた人類の元に、女性原理に基づく新たな価値観、新たな生命倫理、新たな生き方が、宇宙的なサイクルとして、到来しつつある。そのことを、私は約20年前から、生理的感触を伴ってリアルに実感するようになった。芸術家とは、やがて来るところの新しい価値観や意識を、繊細にして鋭敏な感性によって先取りし、それぞれ独自の表現様式を通じて人々に告げ知らせる役割を果たす者たちだ。
実は、女性原理によって社会が編まれていた文明が、いわゆる古代四大文明に先立ち、世界各地に存在した。最新の考古学的発掘により、その実態が徐々に明らかとなりつつある。
それら(超)古代文明の遺跡から発見される遺体は、武器による損傷が極端に少ないことが特徴で、そもそも武器自体、明らかに儀式用とわかる装飾的な(実用にはなりそうにない)ものを除き、ほとんど発見されてないそうだ。ほとんどの都市が防壁すら持たなかったといい、争いや戦争のない平和な状態が長く続いたことを静かに物語っている。
それらの古代文明において、神々は、「女」だった。
女神が統べる、女神の文明。
私の逮捕が現実のものとなったのは、初めて友人宅が家宅捜索された日から半年もの歳月が流れ去った後だった(2013年秋)。
そこまで遅れた何らかの事情が警察側にもあったようだが、半年もあれば、「覚悟を決め」「愛する人々と別れを告げる」には充分以上だった。
そして私は発見したのだ。
自分がいかなる死に方をするか、何のために死ぬか、それをハッキリ観定めた瞬間、死はたちまちその様相を一変し、恐ろしいものでも、嫌なものでも、厭うべきものでも、なくなるという事実を。
人には各々、天命によって定められた死に方がある。死へと入ってゆくためのそれぞれ別個の扉を、各人が生まれながらに与えられている。
誰かの死とか、抽象的な死、ではなく、自分自身の死。
その、「自分の死」に正確に狙いを定めた上で、「今」を全面的に、徹底的に生きる。一瞬一瞬・・・時の経過のない、1点としての瞬間・・・において、命を最大限に燃え上がらせる。「先」(未来)は、もはや、ない。
その時、人は死を完全に受け容れ、それに伴って死の恐怖の超克が自然に起こるのだ。
今や死は、大いなるエクスタシーに満ちた究極的安らぎの体験として、悦ばしい戦慄を伴いつつ予感されるようになる。
死とは、人生の最大のクライマックスだ。人生のオーガズムだ。
これまでの人生を構築してきたあらゆる瞬間のすべてが、生の全体験が、「今、ここ」の1点に重なり、溶け合う。
最大限に生ききった者のみが、死を最大限に迎えることができる。最後に残されたとっておきの大恩寵の裡へと、歓びのダンスを踊りながら、安らぎに満ちて溶け込んでゆくことができる。
そのことが・・・・・死のトータルな受容を通じ、ハッキリわかった。私が言う「わかる」とは、全身全霊で「知る」ことを意味する。何かについて知るのではなく、心身一如で「知」そのものとなりきる。ゆえに、私にとって「わかる」と「できる」は、常に同義語だ。
心静かに逮捕の時を迎え、前代未聞と警察官たちを驚嘆させ・震え上がらせた長期絶食レジスタンスを大した苦痛も覚えることなく完遂できたのは、いつも「死」が私に慰めと力を与え続けたからだ。
いかなる時も、死を感じ、死を受け容れれば、たちまち大いなる安堵感に包まれ、安らぎに満たされ、と同時に、真勇が腰と腹の間から滾々と湧きあふれてきた。これは、今でも変わらない。
常に、自分が死の上に「据わって」いるのを想起し続けることで、厳しい取り調べや人権を無視した扱いなども、平然として、楽しみながら、くぐり抜けた。
下腹の中央部にある、いわゆる臍下丹田とは、実は「死のセンター」にほかならない。死は、そこを中心として起こる。
精神的に死をリアルなものとして感じ、受け容れることは、身体的には丹田に拠って上半身を立てた姿勢とダイレクトな相関関係がある。逆に、丹田が(腰と連なりつつ)上半身の重さを全面的に、自然に、楽に支えている状態(姿勢)を造れば、思考は自ずから静まり返り、死にまつわるあらゆる概念がスッカリ消え失せて、死は恐れるべきものではないと自然に「感じられる」ようになる。
度胸があるとか怖いもの知らずを意味する「腹(肚)が据わっている」という言葉は、こうした心身の状態を指して言ったものであろう。あなたも実際にそれを体感・体現すれば、なるほど「腹が据わる」とはうまい表現だなあ、と感心なさるに違いない。
それは、自分なりに納得がゆく説明を求め、頭であれこれ考えることとは・・・・・、まったく違う。
私が合計60日間を過ごした警察の留置施設では、取り調べの合間を縫って比較的自由に執筆することができたため、前述の『ボニン・ブルー』(小笠原巡礼記)と『ドルフィン・スイムD』(利島巡礼記)用の草稿をノートにボールペンで書きなぐり(ボールペン10本以上を留置場内で使い切った)、逮捕前にすでに仕上げてあった写真作品とクロスオーバーしてインターネット上で奉納し、人々と分かち合うべく、警察の厳しい内容検閲を経た上で(弁護士経由で)妻に送った。
と同時に、勾留生活中の折々に感じ、思い浮かんだままを『ヒーリング随感』として綴り、検閲後に送り出した(『ヒーリング随感5』第15回~23回)。
これらと併行して、妻へのラブレターを日々したため続けたのだが、それはやがて、私たち夫婦の個人的な枠組を越えてあふれ出し、普遍的な愛の讃歌となって、それ独自の「流れ」を生み出し、ついには1つのアート作品として結実するに至った。
妻へのラブレターという形式を取ったこの作品を、私は『1万回の「愛してる」を、君へ』と名づけた。
かつて、妻とのプライベートな交際が始まった頃、お互いにやり取りし合った電子メールのラブレター(かなりの長文多数)を後で数えてみたら、1年で千通以上になっていた。その後、一緒に暮らすようになって10年以上が過ぎたが、この間、お互いに「愛してる」と心を込めて言い合った回数は、かなり控えめに見積もっても1万回以上に達しているに違いない。
私たちは、愛を大切に育む努力を、これまで怠ったことが1度もない。限定と独占により、愛をちっぽけで薄っぺらなものへと貶めることなく、広く・高く・深く、愛を限りなく成長させ続けてゆく道を、真剣に、誠実に、歩んできた。
1万回の~という言葉には、だから、数えきれないほどたくさんの、という意味と同時に、宇宙に満ちるあらゆる愛への敬いと賛仰の想いが込められている。
『1万回の「愛してる」を、君へ』は、他作品と違って妻への私信とみなされ、あらゆる私的な通信を禁止された「接見禁止」状態にあっては、留置場の外へ出すことすらできなかった。
そこで一計を案じ、堂々と、警察の入念な検閲を経た上で、この作品を妻の元に送り届けることに成功したのだが(詳細はウェブサイト収載の『1万回の~』序文をご覧いただきたい)、弁護士があれこれ余計なことを考え過ぎて一般公開を渋ったため、実際に発表できたのは逮捕後約3ヶ月が過ぎ、接見禁止が解かれた後だ。
私のこの作品に対する、いわば返歌として、妻は今回ご紹介する楽曲『1万回の「愛してる」を、あなたへ』を創作した。返歌というのは返し歌の意味で、人から贈られたり、投げかけられたりした和歌に対して、対を成す和歌を詠み返し、共同創造を楽しむのである。
その、返歌としての妻の音楽作品を私が実際に聴いたのは、平成26年1月末に思いがけず保釈された後であり、逮捕から約4ヶ月が過ぎていた。
『1万回の「愛してる」を、あなたへ』は、表面的には明るい曲調だが、深く、暗い情念の深淵をその背景に蔵している。
当然だ。
私の逮捕に先立つ不安と恐れ。
心のざわめきは、私が連れ去られた後も、増えこそすれ、決して減ることはなかったろう。
そうした千々に乱れ騒ぐ心のさ中にあって、愛を想い、愛を念じ、ひたすら愛に徹しきることによって、安らぎと強さへの道をみいださんと努め続けた妻の切実な祈りが、この曲には込められている。
私の保釈後、裁判支援者への感謝のしるしとして妻が行なった広島でのライヴ演奏では、何人もの人がそっと涙をぬぐう姿があった。
それは、妻への同情などではなく、愛を讃美し、愛によって苦しみを克服しようとする生き方への共感であったろう。
<2014.07.10 温風至(おんぷういたる)>