Healing Discourse

たまふり [第4回] 無為の為

 手の粒子感覚に基づいて凝集・拡散の作用を感じ取ろうとする時、最も良いのは他者と手を触れ合わせて稽古することだ。特に上級者と触れ合えば、凝集・拡散の感覚が以身伝身でダイレクトにインストールされてくる。相手が凝集すると、こちらの手にも自ずから凝集の動きが起こり、相手の拡散にピタリと符節を合わせて自分の手が拡散する。
 一人稽古である程度凝集・拡散感覚をつかんだと思っても、上級者と触れ合えば、「こんなに繊細で柔らかく優しげなものだったのか!」と、たちどころに認識が変わる。
 こんな風に、触れ合いを通じた伝授を受けることがヒーリング・タッチ修得の最捷径ではあるが、今はこの道を独りで歩んでいる読者諸氏のために、時間と空間を超えてその本質を伝えるべく、私も努力を重ねよう。

 今回のテーマは「オフ感覚」だ。
 上記のように、「すること」だけでなく、「するのをやめること」も触れ合いを通じて他者に伝わっていく。同時に多数に伝えることもできる。それはあたかも虚空の中にとけ込んでいくような感覚だ。
 この「やめること」は、消極的な無為、無関心、引きこもり等とはまったく違う。ある行為の根源までさかのぼり、その「しようとする」意図を、まるで電気のスイッチを切るようにオフにしてしまうのだ。その結果、オフの波が連鎖反応的に拡大していく。この内なる波に完全に委ねることを、私はレット・オフ(Let off)と呼んでいる。

 レット・オフによる真の拡散感覚を体験していただくために、自らの身体と触れ合いつつ練修する方法を以下にご紹介しよう。ただし、独習のみで行なう場合、各自の勝手な解釈によって本質がどんどん歪められていく危険性があることをあらかじめ警告しておきたい。修法の実践によって、繊細・精妙であると同時に沸き立つような活力や楽しさ、喜びが直ちに感じられ、日常生活の中でもそうした充実感を味わう瞬間がどんどん増えていくようであれば、それが<たまふり>の道を正しく歩んでいる証だ。これは「何となくそんな気がする」とか「言われてみるとそうかもしれない」といった曖昧なものではなく、リアルな実感として生理的・心理的に感じられるものだ。

 それでは実技の解説に入る。
 まずかしわ手を何度か打つ。そして手の内部で微細に振動する粒子感覚を確認する。
 次に左前腕(手首と肘の間)の適当な箇所を、右手で柔らかくそっと包み込む。掌のあらゆる部分が前腕の皮膚にピタリと密着しているように、しかし皮膚がわずかでもへこむほど強く押さえつけない。そして触れ合っているどの部分も同じ圧力であること。つまりある部分は浮き上がっていたり、他の箇所は押さえつけていたり、といったアンバランスがないように注意する。準備段階においてすでに、普通の触れ方とはかなり違うことがわかるだろう。

 ここから包み込んでいる右手を「小さく、柔らかく、粒子状に」凝集させる。左前腕の内部に向かって圧縮していくのではない。あくまでも右手の内部に凝集させるのだ。そして凝集に偏りがないよう、指先や手首寄りの部分にまであまねく注意を払う。このようにしてそっと凝集させれば、包まれている前腕にも自ずから粒子的凝集が起こってくる。
 改めて、自分がどのように凝集しているのか、粒子感覚に基づき凝集の方向を「感じて」みよう。「頭で考える」のではない。空間を通じて皮膚の外側から「感じたつもりになる」のでもない。触れ合っている「皮膚そのもの」で感じるのだ。つまり、神経を介して感覚器と脳とを結ぶのだ。当然ながら、腕、肩、首の「中」を通じて「つながり」が感じられる。

 当然、と書いたが、ほとんどの人は皮膚の外側の空間を通じて「感じよう」としていたはずだ。これまでの無意識的行動とのギャップにとまどいを覚えている方も多いだろう。それについてさらに深く探求すると、驚くべき真実に到達し、従来の世界観が根底から崩壊してしまうことになるのだが、それはもう少し先のお楽しみに取っておくとして、今は凝集・拡散による<たまふり>に専念しよう。
 不完全・不充分でも構わないから、ある程度凝集の方向性が感じられたなら、それをオフにする。これは、「拡散させよう(開こう)」という意図を新たに持つことではなく、あくまで「今やっていることを、ただ、やめる」のだ。

 自分がどうやって凝集させようとしているのか、それを感じ取り、その意図をオフにする。繰り返すが、初心者は往々にして閉じた手を能動的に(自分で意図的に)開いてしまいがちであり、そうなると練修の効果は減殺されてしまうから、この部分は特に注意が必要だ。
 この練修で求められているのは、自分が意識的に、粒子状に入れた力を、ただオフにすることのみだ。自分で「する」ことはここまでで、オフに切り替えたとたん、凝集していた手が緩み広がっていく拡散のプロセスが自動的に開始される。思ってもみなかったところから、思ってもみなかったような緩みの作用が起こり、手の中の粒子が活発に振るえながら、ふわりと拡散して広がっていく感覚が現われる。この<たまふり>状態に委ね切るのが、レット・オフだ。

 右手をオフにしたとたん、包み込まれている左前腕の「中」からもフワーッと柔らかな広がりが起こり、手首側と肘側の両方へと拡がっていくだろう。それが充分に感じられないとしたら、右手をまんべんなく凝集させ、そのバランス状態を保ちつつオフにしているかどうかを、改めてチェックしてみるといい。つまり、右手全体をまんべんなく均等にオフにするのだ。
 非常に精妙な術(わざ)と感じられるかもしれないが、この程度はヒーリング・タッチの入門編に過ぎない。だから、あなたが真の奥義を極めようとする高い志を抱いているのであれば、「もうこれでわかった」、「当分の間はこの程度で充分だろう」などと独り決めすることなく、自らの術と感性に磨きをかけ続けていくべきだ。

 腕にレット・オフの作用を伝えようとか、そういう余計なことは一切考えなくていい。ただ右手の凝集をオフにしさえすれば、あたかも鏡に映るかのように、左前腕のオフは自ずから起こる。
 私はこれまで「「触れ合い」という言葉を常に意識的に使用してきた。「触れる」ではなく「触れ合い」だ。つまり、一方から他方への一方通行ではなく、「触れること(能動性)」と「触れられること(受動性)」の双方向的な響き合いだ。こういうちょっとした言葉遣いの中にも、ヒーリング・タッチの重要な要訣が隠されている。

 上記の練修では、凝集・オフを、「小さく、柔らかく、ゆっくり」行なった。つまり、極めて小さなものではあるが、肉体的力を使ったわけだ。この微細な力をさらに小さく、柔らかくしていく。
 行なうたびにもっと小さく、もっと柔らかく・・・。ついには一切力として感じられないレベルに至り、さらにそれを超えて、意図・意志のみを動かす。そしてその意図のスイッチを入れたり切ったりする。
 拡散の波が立体的に身体内に拡がっていく途中で、無理に凝集させようとしないこと。充分に拡散すれば、自ずから凝集の機が熟す。それに乗るようにすれば、自然に凝集のプロセスへと移行することができる。呼吸は自(おの)ずから凝集・拡散の波と合致してくる。どこで息を吸うべきか、吐くべきか、などとあれこれ頭で考える必要はない。現段階では自然に任せればいい。

 慣れるに従い、使う力が小さければ小さいほど、レット・オフによって起こる拡散はより柔らかく軽やかで、しかも奥深いものとなっていくことに気づくだろう。意図のみを使うレベルに至れば、オフに伴って「虚空の中に消え去っていくがごとき」感覚が、少しずつ顕われるようになり始める。最初のうちは、底知れぬ深淵をのぞき込むような異次元感覚に驚き、立ちすくんでしまうかもしれない。焦る必要はない。1歩1歩を着実に踏みしめつつ進んでいくことだ。
 ヒーリング・タッチの練修においては、触覚を働かせ、手そのもので粒子感覚を「感じる」ことが重要だ。現代人は特に視覚や聴覚が優位となっているため、この2つの感覚を遮断して練修することも非常に有益だ。アイマスクをつけて「自分は視力を永久に失った」とリアルに感じてみたり、耳栓をつけて外界の音が聞こえない状態にし、触覚のみを頼りに練修することで、驚くほど掌の中に感じる粒子感覚に対して鋭敏になってくる。私は実際にそういう修練を重ねてきた。時にはまる1日アイマスクをつけて過ごすのも面白い。

 緩み開くことを「する」ことはできない。レット・オフとは「オフが拡がっていくがままに任せ、委ねる」ということだ。ただ任せて、待つ。自分からはもう何もしない。何も求めない。緩むことも、開くことも、単なる結果だ。それは自然に湧き出てきて、身体いっぱいに拡がっていく。これがレット・オフであり、老子のいわゆる無為の為であり、無為自然(為すこと無くして自ずから然らしむ)だ。

 レット・オフはヒーリング・アーツにおける基本中の基本であり、これなくしては何も始まらず、何一つ学ぶことができない。だから次回は、この大切なレット・オフについて、読者諸氏と一緒にもう少し詳しく掘り下げてみることにしよう。

<2007.04.20 穀雨>