スライドショー1-6 <熱帯温室にて> @広島市植物公園 撮影:高木一行 2010.11.24

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ライナーノーツ

高木一行

熱帯温室にて @広島市植物公園 撮影:高木一行 2010.11.24

 特に、何か面白いものが撮れると期待して出かけたわけでは、実はなかった。
 植物園の温室みたいな、人工的な環境に植わっているようなものに、鮮烈な精霊の力(マナ)が宿るなど、これまで考えてみたこともなかった。
 カメラの操作法に慣れるため、 ただそれだけの理由だった。
 ところが・・・・・、
 熱帯温室に一歩足を踏み込んだ途端、濃密な生命[いのち]の波紋が、圧倒的な力感・存在感を伴って、四方八方から私に打ちかかってくるではないか。
 ちょっとした、お手軽な、ヒーリング撮影など、あり得ないのだと、「教えられた」感じがした。
 
 次に、どこに目をつけて被写体を探し、どんな風に撮っていけばいいか・・・。何も考えずとも、自ずからわかる。植物的オーガニズムの線と色、そして光と影に着目し、諸要素を組み合わせ絵画的に表現すべし、・・・と。
 私は歓喜に満ちて、シャッターを斬りまくった。
 具象と抽象の交合[インターコース]。
 時には、『龍神』撮影で授かったシャッター開放撮法を、そよ風に揺れるパピルスなどに試してもみた。
 その結果、・・・
 かなりの程度、「狙い通りに(あらかじめわかった通りに)」作品として結晶化させられるように、いつの間にか、なっていることに気づいた。

 以下は、ネット上のプライベートBBS(掲示板)における、過去記録からの引用だ。作品に直接関係ない記述は、すべて省略した。

 ・・・・・・・・・・

取り上げられてしもうた  投稿者:高木一行 投稿日:2010/11/24(Wed) 20:21 No.198 

 ヒーリング・フォトの新しい世界が、次から次へと拓かれる。
 昨夜遅くまで帰神フォト撮影に専念し、あんまりエネルギーを劇しく燃やしすぎて心身ともに疲れ切り、今朝は普通に歩いていても身体に違和感を覚えたほどだが、午後から近所の植物公園に出かけていき、またしてもヒーリング撮影にトライした。
 そして、植物の精霊の躍動を、写真という媒体を用い、芸術的に表現する手がかりをつかんだ。
 手がかりを、云々と書いたのは、撮影の真っ最中、突如としてカメラのシャッターが下りっ放しとなり、そのまま動かなくなってしまったからだ(原因不明)。
 先ほど、カメラ屋に持っていって修理を依頼したが、直るまでに1ヶ月近くかかるそうだ。
 みえざる世界を写し撮らせてなるものかという魔の妨害か、はたまた熟達してきたからそろそろ最新のカメラを手に入れなさいという超越的なメッセージか(より奥深くを写し撮るために)、あるいは単なる偶然の故障か・・・・今のところ不明だ。

 ヒーリング・フォトグラフがあんまり面白くって、「芸術の魔神に魅入られる」とはこのことか、と最近しばしば感じるようになった。美佳もまったく同じだそうだ。
 ところで、スライドショー1-6の中に、いかにも作り物っぽいシロモノが木の幹からぶら下がっている写真があるが、あれはカカオの実だ。私の手くらいの大きさがあった。

生命の力感  投稿者:佐々木亮 投稿日:2010/11/24(Wed) 22:19 No.200 

 スライドショーを作成させていただこうとファイルを開いた瞬間から、「このような生命の力感溢れる植物の写真を観たのは初めてだ・・・!」と感じ、本当に新しい芸術表現だと思いました。岡本太郎の作品で、躍動感のある精霊的な存在が描かれることがありますが、それがダイレクトに写し出されているかのような生々しさに驚いてしまいます。
 生命力が目に観える形として顕現しているとしか言いようがなく、世界がくるりとひっくり返り、裡に秘められていたものが顕わになっているかのようです。
 ヒーリング・フォトの力を浴びたせいか、こうしている間にも元気がわき出てくるのを感じております。

帰神ヒーリング・フォトを拝見して  投稿者:久保朋司 投稿日:2010/11/25(Thu) 21:06 No.203 

 あふれる躍動感、生命力の波がみごとに写し撮られ、みている私もどんどん元気になってきました。実際にその植物が生い茂る空間に、入り込んでいくような、立体的、流動的な作品で、最初の1枚目の写真が写し出されると、葉が私に向かってつきささりそうなリアルさを感じて、思わずのけぞりそうになりました。

帰神ヒーリング・フォトについて  投稿者:渡辺義文 投稿日:2010/11/26(Fri) 01:31 No.204 

 「スライドショー1-6」において植物の光り輝く生命力を感じていると、田中一村の絵を観ているような感覚になり、田中一村にはこの植物の生命力がありありと輝いて観えていたのではないかと感じました。

ヒーリング・フォト感想  投稿者:増岡三四郎 投稿日:2010/11/26(Fri) 02:50 No.205 

 「スライドショー1-6」を拝見させていただきました。渡辺さんも書いておられますが、田中一村の世界に相通じるものを感じました。植物から放たれる生命力が写真の中で躍動し、あたかもそばで植物の息吹を肌で感じているような生々しさを感じました。

ヒーリング体験  投稿者:佐々木奈緒子 投稿日:2010/11/26(Fri) 05:56 No.207 

 スライドショー1-6の作品を拝見して、まずお写真が非常に絵画的であるという印象を持ちました。絵のようでありながら、植物の生命力が煌めいているのがリアルに迫ってくるのは圧巻で、写真によってこのような表現が可能であるということに、驚きと感動を新たにしています。本当の芸術作品としかいいようがありません。

新たな作品を拝見して  投稿者:道上健太郎 投稿日:2010/11/26(Fri) 08:59 No.208 

 スライドショー1-6を観照させていただいたのですが、他にも書かれている方と同じく、田中一村の絵画の世界を連想いたしました。植物の存在感が圧倒的で、その大きさ・実在感を強烈に感じました。昨日には拝見させていただいていたのですが、その時に、田中一村の画境と共通するものを感じ、本当に「そう観えている人がいる」ということを実感したのですが、そのことについてなぜかショックを受けて、自分の中で消化できずにいました。
 学校教育等では思ったとおりに描く、見たままを描く、その一方で芸術家達の作品を鑑賞させられる、という手順で指導されました。その中では芸術の大家たちがなぜそのように表現しているのか、それらの人々にはそう観えていたのだろうということについては少し触れられるものの、なぜ自分はそう見えないのか、どうして違っているのかは一切説明もなく受け入れさせられていました。そのために、相当小さな頃にはもう、「芸術」というものは本質的に自分にはわからないものなのだ、と放棄していた事に気づかされました。一晩たってようやく、ショックを受けた理由が、自分がわかるはずがないと思っていたことを作品としてみせていただいている事への衝撃だったこととして納得できました。


<2011.04.15 虹始見[にじはじめてあらわる]>