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高木一行
『金秋』(SS[スライドショー]1-2)の道を、その約1ヶ月後、妻と共に再び辿った。
このたびは、2人とも、それぞれのカメラを手にして。
そうなったいきさつを、ちょっとお話しておきたい。
前回、植物公園における撮影時、カメラが突如として作動しなくなった出来事については、スライドショー1-6のライナーノーツに少し記した。
「ノっている」と強烈に実感している真っ最中、突然子供が親におもちゃを取り上げられるみたいに、帰神撮影を続行できなくなったから、「これは進むべき道ではない」との神界からの警告か、と本気でそう思いかけた。
しかし、ヒーリング・ネットワークの友人たち・後援者たちが、極めて真面目な調子にて、「それは、新しいカメラを購入して、もっと本格的に取り組むべし、という意味だと思います!」と、私たち夫婦を鼓舞・応援してくれた。
基金が設立され、たちまち必要額を満たし(奉納者には希望の帰神フォトを贈った)、そして新しいカメラがわが家にやって来た。旧カメラの後継機にあたるものだ。
故障したカメラも、当初の予定よりも早く、きちんと修理されて戻ってきた。こちらはこちらで、画像に独自の味わいがあって捨てがたい。
という次第で、それ以来、新旧のカメラを夫婦で交互に使い、帰神撮影を執り行なっている。
今回の巡礼では、妻が旧カメラを使った。
妻は、風景に対し帰神撮影を執り行なうのは、これが初めてだ。
同じ道を辿りつつも、各々がそれぞれ感じ・動くままに、自由に、自在に、好きなものを斬り撮っていく。
シャッターを斬る、と私は書いているが、日本刀で斬撃するのと本質的に同じ身体使いを、私はカメラを手にしながら運用している。
「青を感じる」と、撮りながら、妻はしきりに言った。
その青の印象[インプレッション]が、いずれの作品にも見事に写し撮られている。
初冬の気の心地よい涼冷感が、画面の裡より立ち昇ってきて、ひゃっと打ってくる。
ちなみに、本作最後(14)に写っているのが、『金秋』(SS1-2)の12と同じイチョウの木だ。厳島神社そばの道端に、ひときわ高く、大きく、そびえている。
『春来りなば』(SS2-1)の20も、同じ木。
これら『神の島巡礼』のシリーズは、聖地・宮島の四季のうつろいを、内面的な質体験(マナ)として、心ある人々と分かち合わんとする試みだ。
<2011.05.01 牡丹華[ぼたんはなさく]>