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高木一行
新しいカメラによって、夜の撮影が可能となった。
ちょうど宮島の大鳥居と厳島神社が夜間ライトアップされていると聴き、美佳と2人で帰神撮影巡礼へと出かけた。
前にも記したが、デジタルカメラのここ最近の進歩は、実に著しい。私は、機械とヒーリング・タッチで触れ合い、マナを込めることを、カメラを通じて教わった。
その体験は、昨年夏のキナバタンガン(マレーシア)巡礼の真っ最中に起きた(注1)。
小舟でジャングルの川を進んでいる時(何だかシュヴァイツァーみたいだな)、唐突に、「写真を撮る際にも、ヒーリング・アーツの原理をそのまま応用できる」と「わかった」のだ。
それによって開かれてきたのが、ヒーリング・フォトグラフだ。
カメラは、神と通じる通路となり得る。神通力招来のための、21世紀神道の法具。
夜の宮島を初めて訪れ、ちょっとがっかりした。
大鳥居をあんな風に真っ正面からあかあかと照らし出したのでは、せっかくの照明効果が台無しだ。写真家や彫刻家など、光と影の専門家たちの意見を是非採り入れるべきだと、美佳とカメラを「奪い合い」ながら、話し合った。
厳島神社はすでに閉まっており、回廊の一部が、申し訳程度に寂しげに照明されているに過ぎなかった。これも、実にもったいないことと感じた。もっと、いくらでも素晴らしくできるのに。
午後6時だというのに、参道脇にずらりと連なる土産物店の大半は、早々と店じまいを始めていた。昼間の賑わいがうそのように、森閑として風がわびしく吹き抜けていく。
島内にたくさんある旅館の宿泊客も、ほとんど姿を観かけない。
次第次第に暗くなってきて、潮騒の音しか聴こえないことに、ふと気づいて戦慄する。静寂が、ツーンと皮膚からしみ込んでくる。
そこかしこで、ほのあかりに照らし出された巨大な狛犬が、まるで月下にうずくまる怪獣みたいだ(美佳が気に入って撮りまくっていた)。
12月の末頃の夜ともなれば、かなり冷え込んでくるが、帰神撮影中はまったく寒くなくなることに、私たちはすぐ気づいた。
撮影をやめると、とたんに手がかじかみ、背中がぞくっとして首をすくめたくなってくる。
ところが、面白いものを観つけてカメラを構えたとたん、全然寒さを感じなくなるのだから面白いではないか。撮影中は、ずっと寒くなかった。
人は好きなものに夢中になると寒暑を忘れるというが、本当にその通りだわいと、美佳共々感心した。そして大いに笑った。
帰神撮影を進め、夜の聖地と共感していくほどに、どんどん気持ちよくなり、ヒーリング(たまふり)の度合いが上がっていった。ヒーリング・フォトグラフには、昇華されたセックスのような質が、確かにある。
昼間と違い、撮るものはあまりないと最初は感じられたのだが、(はじめは)「ゆっくり、柔らかく、粒子的に」のヒーリング・アーツ要訣に則り、じっくりゆったりやっているうちに、いろんな面白いモノが観えてきた。感じられるようになってきた。
夜にうごめく精霊たちと、調子が合う感じが・・・してきた!
<樂[たのし]!!!>(注2)。
かつて、旧正月初旬の夜、宮島付近の海面にはたくさんの灯火が、夢幻のごとく現われたという(龍灯)。
宮島の夜は、神秘が満ちている。
<2011.05.30 紅花栄>
注1:キナバタンガン巡礼については、『ヒーリング随感2』18〜22回に詳しい報告を記しておいた。私の初めてのスライドショー作品も付いている。
注2 :力強く樂!!と唱えつつ、それを振るわせるつもりで同時にかしわ手を打つと、本当に楽しくなってくる。