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高木一行
・・・プライベートBBSより抜粋。
昨日は、近所の植物公園にて、夫婦揃ってヒーリング・フォトグラフの撮影を執り行なった。ちなみに、この植物公園はわが家のベランダから小谷一つ隔てて向こう側にみえるくらいの至近距離にある。
スライドショー1-6(『熱帯温室にて』)の撮影後、植物公園の観るべきもの、撮るべきものは、ほとんど観尽くした、撮り尽くしたと思っていたのだが・・・・それはとんでもない大間違いであったことが、そこに一歩足を踏み入れた途端、明らかとなった。
周りをみわたすと、いくらでも撮りたくなるものがある。面白いものがある。「何だ、これはッ!?」と驚くようなものまである。
そうこうするうち、植物の形の中に、デフォルマシオンされた人型のようなものや、奇妙な形の超次元生命体みたいなものなどが、浮かび上がって、または隠れ潜んで、観えるようになってきた。これは、いわゆる妖精体験の一種といえるかもしれない。
植物から放射される、存在主張・ある種の意思、のようなものまでが、輝く透明な圧力感としてハッキリ感じられるではないか。
熱帯温室は、やはり圧倒的だった。巨大な温室内いっぱいに繁茂する熱帯の植物たちから、むせかえるような生命の存在感が迫ってきて、そのあまりの豊饒さに私は圧倒されっぱなしだった。そして、実際に強烈に「酔った」。何度も休憩をさしはさみ、瞑想して姿勢と呼吸を調えないと、とてもカメラを構えていられないほどだった。
しかし、生命[いのち]の波紋の海で酔うとは、何という素晴らしいエクスタシー体験なのだろう!!
ランの花が両側の崖にいっぱい植え込んである一帯にさしかかった時などは、まるで無数の女陰でできた海の中で溺れていくみたいに感じた。
ワーグナーのオペラ『パルジファル』の中で、美しい花の精霊の群れが聖杯の探究者を取り囲んで誘惑する場面を、唐突に思い出した。
聖中心を得ると、万物が、みすぼらしい草木のようなものでさえ、燦然と神々しい光を放ち始める、という話は諸君も良く知っているだろう。
ヒーリング・フォトグラフはそうした境地をも写し撮り、写真作品として表現することが可能であると、このたびの撮影によってハッキリわかった。
野で出会った一輪の草花に向かい、肥田春充が、「なぜおまえはそんなに美しいのかと、私はきっとにらみつける」と述べた文章があったが、その時彼がいかなる感・動に浸されていたのか、私は今や自らの体感を通じてハッキリ理会できる。
その感・動を諸君と分かち合おうとするのが、ヒーリング・フォトグラフの道だ。
今回は、私が旧カメラ、美佳が新カメラをもっぱら使い、それぞれの機能・特徴を最大に活かしながら帰神撮影を試みた。得られた作品は、まもなくギャラリーで発表予定。
植物公園にて、ヒーリング・フォトグラファーが熱心にヒーリング撮影をなさるの図。
この時の作品(イチゴ)は、スライドショー『生命の幾何学』で発表予定。
ある時はモデル、ある時はフォトグラファー、またある時は音楽家。大活躍である。
<2011.06.09 蟷螂生[とうろうしょうず]>