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高木美佳
『奇跡の手』シリーズは、夫の手を帰神撮影したものだ。
「手」だけを撮っているのに、一舞一舞、まったく異なる軌跡が描き出されていくことに驚きを禁じえない。
「毎日欠かさず、30年近く、日々舞い続けてきたが、まったく同じ動きは2度とない」、そのように夫は言う。
少し前、2週間ほど連続して夫の舞を帰神撮影したことがあるが、映る姿は毎回まったく違っていた(この実験は、超越界の非常に危険な力を招き寄せることがわかり、いったん中止とした)。
何の制約もなく、勝手気ままに動いているようだが、その実、とても厳格な規律、秩序が内在しているのが、『奇跡の手』なのだ。
ただ何となく手をヒラヒラ動かしているところを撮影しても、こうした形は決して像を結ばない。
先般巡礼で訪れたフィリピンで、伝統舞踏のダンサー(セミプロ)を夫が帰神撮影してみたのだが、画像が流れるようにブレた単調な写真が撮れただけで、心身内面の複雑精妙な流動・循環性を示すようなものは何もあらわれなかった。
自然の法則と生命の戒律に厳格に則った波紋に、手を委ね明け渡すことによって、奇跡のような光の芸術が顕われる。
神の手に動かされている、あるいは手に神の力が宿るともいえるだろう。
複雑精妙な音楽の旋律やリズムが、波紋として表わされているともいえる。
また、神話のストーリーが手の舞によって語られていると感じることもある。
じかに観ると、それは本当に美しい。誰もが、神聖さに撃たれて厳粛な気持ちを味わうようだ。
そうした驚きや感・動が、『奇跡の手』シリーズには鮮明に写し撮られている。
07 『陰陽門』
11 『静中求動』
16 『かしわ手』
<2011.06.23>