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高木美佳
かつて、中国武術の八卦掌[はっけしょう]や形意拳[けいいけん]で使用されたという日月弧形剣[じつげつこけいけん]は、太陽と月、あるいは陰と陽を象徴する滑らかな弧形の2つの刄が組み合わさった、冴え渡るように美しい幻の秘剣である。一見しただけでは、どのように使われるのか見当もつかない。
超越界に祈りを捧げた後、夫がおもむろに日月弧形剣を両手に持つと、剣はゆっくり回転を始め、顔や身体の周囲スレスレをまとわりつくように動き始める。やがて剣の動きは目の追いつく速度を遥かに越え、煌[きら]めく光を放ちながら、超高速度で美しい光のマンダラを空間に描いていった。
変幻自在の激しい動きが風を呼び、渦巻く乱流を生んでいく——それはまさしく、天地の間を自在に遊泳し、神出鬼没する龍の姿を彷彿とさせるものであった。
時々、左右の剣が「カーン」と鋭く甲高い音を立ててぶつかる。それは、電光石火の稲妻が走り、落雷した時のような衝撃であり、舞に一種独特のリズムを創っていくのである。鋭い切っ先が、今にも体を傷つけてしまいそうで、みている方がはらはらしてしまうような光景だ。実際、わずかでも雑念が入れば、日月弧形剣は容赦なく持ち手の体を切り刻んでしまうという。
10年以上前のことになるが、ある指導会で、夫は日月弧形剣を自在に操り舞いながら、多数の参加者が座っている間を縫うようにして旋風のごとく駆け抜けていったことがある。鋭い牙が参加者たちの顔面スレスレに迫り、物凄い速度で光を放ちつつ走り抜けていく。ちょっとでも動こうものなら、たちまち剣の餌食になってしまうような、空恐ろしい光景だ。ある参加者は、剣が起こす風で髪の毛がふわりとなびいたと語っていた。
また別の指導会の折り、顔なじみの参加者に「君が着ているそのTシャツは(もうかなりくたびれているので)要らないものか?」と夫が何気なく尋ね、「はい」と相手が答えた次の瞬間、夫が手にしていた日月弧形剣でTシャツの胸のところがザクリと斬り裂かれていた。もちろん、相手の体にはキズ一つつかない。
私も、同じ術[わざ]を体験したことがあるが、その時はTシャツを2枚重ね着した状態で、下はそのままで上だけ斬り裂く、というものだった。
以前中国武術の本で観た図版から夫がインスピレーションを得て、1度でフリーハンド書きした図面を元に試作品(焼き入れなし)を造ってもらったのだが、まるであつらえたかのように手にフィットするそうだ。中華包丁と同じ素材が使われている。
できあがってきた日月弧形剣を、夫が初めてヒーリング・タッチで手に取り、マナを込めると、驚くべきことに、その武器に魂が宿り、それ自身の操作法を教えるかのように舞が顕われてきたという。
その場で直ちに、「できる」ようになってしまった。
信じがたいかもしれないが、上記で多数(50余名)参加者の間を駆け抜けつつ云々というパフォーマンスを演じた際、夫は日月弧形剣を手にするのが2度目だったのである。
これが神明流の凄みだ。
夫によれば、神ならざる神の流れと通じている時には、日月弧形剣をあたかも獰猛な猟犬を手なずけるかのように完璧にコントロール下に置いており、自分も他者も絶対に傷つけることはないと、ハッキリわかっているのだそうだ(後で考えると、一体どうやったのか全然わからないとのこと)。
以前(ヒーリング・フォトグラフが開かれる前)は、何度挑戦しても絶対に撮影できなかった夫の日月弧形剣舞だが、帰神撮影法によって、ようやくその凄さの一端をとらえることができ始めたように思う。
硬い金属板であるはずの日月弧形剣がぐにゃりぐにゃりと溶け始め、ついには神聖宇宙文字のようなものまでが顕われ始める。
<2012.01.03 雪下出麦>