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高木一行
桃の花を帰神撮影すべく広島市内の縮景園を訪れたのだが、まだ早すぎたとみえ、咲いている木は1本だけ、それも人の背丈ほどしかない若木だった。花の数もごくわずかだ。
が、それもまた面白いチャレンジではないか。この、一見撮るべきものはほとんどない状況にて、どれだけ面白い作品をものにできるか。妻と2人で、いろんな角度から斬り撮りまくった。
あちこちに一杯咲いていたなら、あれほど細やかに、詳細に、桃の花1つ1つと相対することはなかったかもしれない。
私は、帰神撮影を始めて以来、花がデフォルマシオンされた踊る人型と、しばしば観えるようになった。この度も、またそうなった。
妻も同じものを観ているようだ。
皆さんはいかがだろうか?
そして、あの蕾たちが内側から生命の光でランプのようにぼおっと紅く輝く様はどうだ?
花の動脈を巡るいのちのしたたり。
そういった、命の本質世界の精細な光景をとらえ表現することが、現代のデジタルカメラにはできる。今改めて思うが、これは凄いことだ。
デジタルカメラとコンピュータを使う、新たな芸術表現の一様式、それがヒーリング・フォトグラフだ。
池の亀たちも、冬眠から目覚めたようだ。
春。
<2012.01.26 水沢腹堅(すいたくふくけん)>