01
02
03
04
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
高木一行
近所の植物公園で夜桜会が開かれると聴き、妻共々、カメラを手に出かけた。
驚いたことに、夜も刻々と更けゆくというのに、かなり肌寒いというのに、小さな子供を連れた家族連れなど大勢の人々で、園内は大変な賑わいだった。
日本人は、本当に桜を愛でる民族なのだと、肌身で感じた。
本作は、妻と交代で1代のカメラを用い、二人一体的に撮影し、現像・編集した。スライドショーをごらんになる際は、光や花だけでなく、闇や幹・枝などにも注意を払うようにすると、さらに面白さが増すはずだ。
より良く観るための、より観えるようになるための、修法(具体的練修法)を一手、二手。
<フォーミュラ(実践公式)1>
観の目でみながら、合掌し、強くかしわ手を打つ。
この際、まばたきしたり、目に力を入れたり、視点を動かしたりしないことがコツだ。
ずっと、同じように観続ける。その観ている眼球に、かしわ手による衝撃波を響かせる。
この修法による変化(効果)は、かしわ手を打って眼球が衝撃波で振るえ始めた瞬間から起こるが、一瞬で大きく変わるものではなく、ゆっくり作用が浸透してくる感じだ。その間、まばたきしたりよそ見したりすると、すべてが台無しとなってしまう。くれぐれもご用心を。
とはいえ、いったん「観え」始めたなら、まばたきもよそ見も、目の痛みも、完全に忘れてしまうだろう。
それくらい、凄い世界が、超空間的に展開されてくる。
最初は、1つのフォトにつき、かしわ手1つで、充分だろう。
慣れれば、鋭く先鋭に、超立体的に観えている真っ最中に、さらにかしわ手を重ねる。
すると、ますます凄くなる。
そこでさらにまたかしわ手!
打つたびごとに、「観ること」そのものが、ビリッと振るえるのがおわかりになるだろう。観ている世界に、揺らぎが走る。
この衝撃波には、観え方をよりクリアーに禊祓っていく作用があるのだ。
そのようにして凄くなったところに、妻の高木美佳が独自に授かった修法をさらにかけ合わせる・・・と、「ヒーリング・フォトグラフは超越的な御札[オフだ]なり」と、私たちが唱える意味が、あなた方にもきっとおわかりになると思う。
<フォーミュラ2>
観の目の拡がりを、写真の縁(四角形)のところで留めてきた仮想に気づき、その限定しようとするコマンドを強調→レット・オフせよ。
サーッとパソコン画面から視界があふれ出して四囲に拡がり、満ちる。
その真ん中に、立体的に浮かび上がる写真の四角い面そのものが、いかにも未来の御札といったおもむきだ。
その、モノリス的な空間ならざる空間に、超絶的な様々な光景が映し出されてくる。
非常な奥行きと重なりの層があるように観えるのに、実際にはただの平面に過ぎない。
空間を成す、最小単位。
その空間を超えた奥行きの裡に、ヒーリング・フォトは顕現する。
ヒーリング・フォトグラフには、ある種の生命力、意思(意図)とでも呼ぶべきものが宿っている。
その生命力は、観る者を観返す。
観の目を会得した者は、ヒーリング・フォトグラフを通じ、様々な「生の質」を自らの内面に感得することが、実際にできるようになる。
例えば、今回のスライドショーでは、酔ってしまいそうなほど濃厚・濃密な、夜の桜花が放つヴァイブレーションが、それぞれの作品にそれぞれ異なる階調にて、込められている。
様々なモノノケたちが、桜の花のマッスを器として顕現し、下界をがやがや往来する人間たちのことなどまったくお構いなしに、精霊たちの夜の宴をにぎやかに華やいでいる。様々なあやかしの姿、顔などが、咲き誇る桜の山波の重なりに、重なり重なって、「観え」てくる。
その時、爆発的な生命のにぎわいの質感を備えた<たまふり>感覚が、あなたの裡にも共振的に起こっていることに気づくだろう。
それが、私の言う<ヒーリング>だ。
<201.04.19 虹始見[にじはじめてあらわる]>