01
02
03
04
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
高木一行
宮島の弥山[みせん]に、一昨日、巡礼に行ってきた。
希望の光、を探しに。
「これから私たち[ニッポンジン]はどうなってしまうのか」を、神明に問いかけるために。
スライドショーPart 1は、その「問いかけの旅路」を帰神撮影した作品だ。巡礼路前半のそこかしこで、私を打ってくるモノと真正面から対峙し、受け・容れながら、写し撮って・きた。
スローモーションで爆発する新緑のダンス。シダの精霊が群れ、巨大な「神の石」が古代の記憶を・信じがたいほどの遅さで、物語る。
観の目でご覧になれば、ヒーリング・フォトを介して聖地の山中へと分け入っていくかの如き感覚が、・・・実際にあなたの身の裡に起こってきて一驚されるだろう。
どうか、今後、何度でも繰り返しご覧になって、そのたびごとにまったく新しい、ヒーリング・フォトグラフによる<いやし>の感覚を、是非ご堪能いただきたい。
それは、実際に、<いやす>のだ。途方もなく深く。
ただし、そのヒーリング効果を遺漏なく心身の裡へと取り込んでいくためには、まず、画像情報を有益活用するためのスキル・観の目を開かなければならない。
観の目とは、ヒーリング・フォトグラフという道の入門術[わざ]だ。まずこれができるようにならないことには、何も始まらない。始められない。
あなた方の開悟のヒントとなることを祈りつつ、今後も、観の目の稽古法の様々なニューバージョンを、色々な機会をとらえて発表していこうと思っている。
呼び方・練修法は違えども、目の使役法の本質(リラックスした、どこにも偏りがない目)は、いかなる流儀・流派においても決して変わるものではなかろう。
政治家や裁判官なども含め、ありとあらゆる職業においても、「偏らない目(価値観)」は最重要事の1つではあるまいか。
観の目は、ヒーリング・アーツすべての基礎でもある。ヒーリング・タッチもヒーリング・マーシャルアーツも、ヒーリング・セックスもヒーリング・メディテーションも、すべて観の目で執り行なう。
よくよく、徹底的に、これくらいでよかろうと研究の手をゆるめることなど決してないよう、探求していっていただきたい。
それは、より豊かな生の質を実現するための、基本なのだ。
閑話休題。
希望の光を探して、ヒーリング・アーツをあれこれ修しながら、時折静かにたたずみ瞑想したりもして、ロープウェイ終着駅から山頂へと向け、舞うように辿っていった。
この経路ならば、老若男女が楽しむことができる。
初心者向きの巡礼路とはいえ、起伏に富んだ山道では普段の日常生活ではめったに使われることがない筋肉が適度に働き、とても気持ちいい運動になる。人の手が入ったことがない原始の森、はるかに見下ろす瀬戸内の島々、あるいは古代の巨石信仰の跡など・・・が次々と巡礼者を迎え・送ってくれるから、退屈している暇など、まったくない。
弘法大師が最初に灯して以来、1200年間守り続けられてきた「消えずの霊火」なんてものまで、道中にはある。なぜか、それを見る人は皆、火そのものよりも、その上にかけられている大釜の方に注意を奪われるようだが。
そんな風にして楽しみながら、帰神撮影していくうち、期せずして顕われ来[きた]った作品群が、<希望の光 弥山巡礼 Part 1>だ。
観の目で向かい合えば、新たな生命[いのち]の希望が、あなたの裡にも共感的にわっと一斉に芽吹き始めることだろう。
私が、弥山山中で感じたままに、同質的に。
春の訪れを、これほどまでに悦ばしく感じたことは、かつてなかった。
<2011.04.22 葭始生[あしはじめてしょうず]>