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高木一行
弥山山頂より、来た道をそのまま引き返さず、音戸瀬戸の島々を遥か眼下に望みおろしつつ、古代大祭祀場をあとにして、別路、御山[みやま]神社へと、ゆったり降っていく。
前回ご紹介した、弥山のいわば「表の参道」に対し、こちらは裏の、あるいは陰の道、とでも呼ぶべきものだ。
そこを通る人の数は、最盛期でも非常に少ない。「大自然の中で一人きり」という大いなる贅沢を、思う存分楽しめる。
鳥たちのさえずりは、ここではずっと近い。肌に直接音波が響いてくる。
木々が、わっと押し迫り、おし包む。
コケのにおいが濃密だ。
葉叢[はむら]や枝々たちが、強烈な生命[いのち]のダンスを、踊り・回る。それは、いまや豊穰を越えて、すでにエロティックですらある。生命[いのち]の交合・交感。
人々は、この道の折々で、祈りを込め、小石を積む。
カラリとした表の道に比べ、こちら側は、より暗くて、湿っている。ひんやりとした陰の気が、そこかしこに立ちこめている。
そうした内向的・内省的な雰囲気が、じっと静かに心を鎮める瞑想の修練には、非常に適している。
私のお気に入りの瞑想場も、この山頂から御山神社へと向かう筋道の途中に、ひっそりと隠されて、ある。そこには、瞑想者をいともたやすく、さらなる意識の高まり(ハイフリークエンシー)へと導く不可思議な作用が、磁場のように満ちている。
そういう、いわゆる「力の場所」が、弥山にはあちこち無数に鏤められているのだ。
私は、この山に巡礼するたび、いつも、健康感の活性化となぜそれが起こるのかという原理の理会(体と心で同時・均等にわかること)とを、啓発的に与えられてきた。
今回は、足に関する新たな理会と修法を得た。得た、とは、弥山に上る前には知らなかったこと、できなかったことが、下山し終える頃には、わかり、できるようになっていた、という意味だ。
ここ数ヵ月間ずっと、足に関わるマナがシリーズ的に示現してきている。自分の足に、これほど根深い仮想が伏在していたのかと、今年になってからというもの、毎日毎日、新たな発見と理会と驚嘆とを、こもごも連続的に味わいつつある。
時に、濁流的ラッシュ感覚を伴って。
あるいは、滔々と流れる大河の如くに泰然として。
<樂[たのし]>!!!
ところで、こんなことを唐突にお尋ねするのはたぶん、異例にして非礼なことであるに相違ないのだが、あなたの足は・・・・・・、いつも自在に、舞うが如く、伸縮して、息して・・・・いらっしゃるだろうか?
私の足は、現在、そうなっている。
非常に楽で自由だ。自在だ。
これを知る前と後とでは、術[わざ]の切れ、鋭さ、力まぬ速さ、考えない応答速度、出せるパワー、などが、段・違いになった。
間もなく東京で相承会が執り行なわれるが、ちょうど「足・腰」がメインテーマになっているから、私がここで述べているようなことを、参加者1人1人に実際に体感・体験していただきながら、ヒーリング・アーツの醍醐味をたっぷり味わっていただきたいと思っている。
樂しもう。
・・・・・・
弥山山中に戻る。
原生林を割いた道をうやうやしく、楽しく歩み、御山神社に到着。
ヒーリング・アーツ流で参拝、舞の奉納。
しばし瞑想の後、帰路の山路を楽しく辿らんとした。・・・・ところ、ガサガサッと落ち葉を踏みしだきつつ、一頭の大きな野生鹿が、いきなり私の眼前に現われた。
道の真ん中で立ち止まり、振り返り、人懐こい賢そうな片目をこちらに向ける。
『どうぞお先に』
まるでそう言われたみたいに、鹿と目が合った瞬間、感じた。
『それでは失礼』
私も目礼を返しつつ、狭い道を鹿の体すれすれのところで、追い越していった。
こういう体験が、宮島では頻繁に起こる。
奇跡的なことだと、いつも感・動する。心も体も粒子状に楽しくはじけ、爽快な気分となる。希望の光に満たされる。
宮島の鹿が人に慣れたのは、800年も昔のことだという。
人と自然とは、かくも良好な関係を持つこともできるのだと、私は宮島を訪れるたびに教えられる。宮島は、私たちの美しい夢の、1つの実現なのだ。
少し行ったところで、ふと気配を感じて振り返ってみると、くだんの鹿がずっとついてきていて、今しも、光を背負いつつ、坂を登り切ろうとしている最中だった。
すかさずカメラを構え、シャッターを斬った。
スライドショー最後の1舞だ。
撮り終えて、ほっと一息。それから、思わず笑い出し、拍手した。
「(日本は)(坂を)乗り越える!」
・・・と。
今回の巡礼にあたり、超越的に問うた。
「私たちはどうなってしまうのか」と。
その問いかけに対し、神界からのメッセージがこんな思いがけない愉快な形で示現した。・・・そんな風に、感じた。
暗くなってはいけない。もっと笑いなさい。・・と。
大丈夫だ! ・・・と。
希望の光と共に行きなさい・・・と。
宮島では、古来より鹿は神の使いとして尊ばれた。古代中国や日本では、鹿の肩甲骨を用いて、神意を問うことも執り行なわれた。
あの鹿は、本当にカミのメッセンジャーだったのかもしれない。
<2011.04.24>