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高木一行
今年、ヒーリング・ネットワークでは海の巡礼を、繰り返し執り行なっていくこととなった。
海の邦[くに]のわざ、神話レベルの根源的な禊[みそぎ]祓いを引き起こす、波のわざ。
そのようなものが、今、巡礼を通じ、私たちに授けられつつある。
去る6月24日、夏至過ぎの深夜。フィリピンのエルニド巡礼で授かったわざを自在に駆使し、奉納の意を込め、天行院にて自由に舞った。それを妻の美佳が帰神撮影したのが、『奉納舞』3部作だ。
今回訪れた聖地への感謝と敬いと称賛の気持ちを、心と体の丸ごといっぱいで表わすため。と同時に、次なる聖地巡礼に備えての準備供犠として。
我が命をかけ、舞いに舞った。
自分から作為的に手を動かす、足を動かすといったことは、一切しない。とりわけ、上体(みぞおちから上。手も頭も)は終止、虚にして虚。これは、休んで(オフになって)だらんとたるみだらけているのではなく、張りを保ったまま、ずーっとオフになり続けていく感じだ。終わりなきオフ・レット・オフ。
私は、そのような態度姿勢にて、常に聖地巡礼に臨んでいる。私にとって巡礼とは、最初から最後まで一切気の抜けない、全身全霊で取り組むべき課題であり・試練であり、そして楽しみだ。
エルニド巡礼を経て、自身の動きが、「より水的」になったことを、今、日々、実感しつつある。
水と平行して、火(天)の要素の修養も、同時進行中だ。
火のファクターとは、例えば体感の粒子性に関することなど。
体だけでなく、精神も粒子的にほどくことができる。それを使えば、意識の本質が、前後・左右・上下の6方向へと最終的に還元されることが、実際の体感を通じ確認できる。6方向を同時に意識しながらワッチ(観照)するためには、ある程度の意識訓練[トレーニング]が必要だが。
閑話休題[それはさておき]、
自らの内なる水を意識しつつ(注)棒を手にとれば、棒はたちまち波紋の媒体となり、流動的に躍動し始める。
これが妄想でない証拠に、私が舞う棒を他者が握れば、あっと驚くような波紋の作用が伝わってくる。実際、この波紋に出会うと、皆びっくり仰天し、中には大声をあげ叫ぶ者もいる。部外者からすると、まさに阿鼻叫喚といったところか。 私が思うに、こうした身体運用原理はゆらゆら揺れる船・舟上での戦闘に最も適している。
ところが、彼女/彼らは、私に崩され、倒され、投げられ、きりきり舞いさせられ、ぐにゃぐにゃにとろかされ、ふわふわに緩められ、あれこれそんなことをやっているうちに、どんどん体と心が開かれ、楽に・気持ちよく、なっていっているのだ。
心も体も軽やかだ。楽しくてうれしくて仕方がない。歓びが背骨や脳の中で微細粒子爆発する。
これがヒーリング・アーツ流の武術、ヒーリング・マーシャルアーツの一例だ。
注:人体は、実際に水を元にして成り立っている。
<2011.06.29 菖蒲華[あやめはなさく]>